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「フリーターはサマワへ行け」から約18年 ~合理性について考える~

2004年12月に当時の幹事長 武部氏が「フリーターはサマワへ行け」といった趣旨の発言をしました。当時は失言として連日連夜のようにメディアで取り上げられていました。当時の記事が見当たらなかったので以下、2004年12月に武部氏の「サマワへ行け」発言に対する社民党の反応を引用します。

自民党の武部勤幹事長が講演で、若い世代のフリーターが増加していることなど教育問題に関連して「1度自衛隊に入ってサマワみたいなところ行き、緊張感を持って地元から感謝されて活動して見れば、3ヵ月ぐらいで、またたく間に変わるんじゃないか」と述べたと伝えられる。折りしも、政府がまったく説明責任を放棄し、自衛隊のイラク派遣延長を閣議決定した当日に、退避勧告が出されているはずの「サマワに行け」などと述べることは、与党幹部にあるまじき暴言である。

自民党・武部幹事長の「自衛隊に入れば」発言について(談話)

あれから約18年の月日が流れたのですね。当時、学生だった自分はこの強気の発言に感化されて社会批判していたことを鮮明に覚えています。
世の中的にもフリーターという言葉も非正規雇用という言葉に置き換わりつつあります。非正規労働者問題は今でも継続していますが、当時は社会保障(特に年金)の観点から問題として取り上げられていた時期のように思います。いまでは厚生年金加入者であっても2,000万円の貯蓄が必要といわれていますので、フリーターに限らずサマワに行くべきなのですかね・・・。

そもそもフリーターって?

「フリーター」とはwikipediaによると・・・

フリーターとは、「フリー・アルバイター」の略称であり。日本の年齢15歳から34歳の若者(学生は含まれない)のうち、正社員・正職員以外の就労雇用形態(契約社員・契約職員・派遣社員(登録型派遣)・アルバイト・パートタイマーなどの非正規雇用)で生計を立てている人(労働力人口)を指す。

フリーター-wikipedia

非正規雇用の総称のようですね。35歳以上は非正規雇用でもフリーターとは呼ばないようです。生涯賃金や社会保障に差がありデメリットが大きいので、2023年現在でも行政が主体となって正規雇用転換できるような対策を行っています。

マックスウェーバーの合理性とは?

マックスウェーバーは社会行為を以下の4つに分類しました。

  • 伝統的行為・・・・習慣的に反復される行動で、その行為に合理的な意味はない。

  • 感情的行為・・・自分自身の感情に従って行動すること。感情が優先されるため、効率性や法律などは度外視されることもある。

  • 目的合理的行為・・・目標を達成するために最も効率的な手段を選択し行動すること。価値観や信念といったものが犠牲になることもある。

  • 価値合理的行為・・・宗教や芸術などの価値観(信念)を最重要なものとし、その価値観に適合させることを最優先に行動すること。結果は二の次の為、成功しないこともある。

武部氏発言の解釈

非正規雇用の自立支援は一律の解決策はありませんが、現在は本人たちの価値観や自尊心を大切にするべきといった論調が強いように思います。

武部発言の問題点は、「フリーターの社会復帰」という問題を解決するため、「自衛隊に入隊してサマワへいけ」という手段を選んだのだと思います。確かに、この発言の当時は「フリーター=甘え」や「フリーターは大人になり切れていないだけ」といった論調が強かったように思います。それがフリーターの原因であれば、自衛隊に入隊してサマワへ行かせて非日常を経験させるという意味では間違えたことではないでしょう。

ここで考えなければならないのは、「フリーターの社会復帰」という目的を達成するために、フリーター個々の価値観や生活の安全性(生命の危機からの解放)がないがしろになっていることです。これは目的合理的な行為(発言)のデメリットが顕著になった例でしょう。

野党やマスコミの本来の役割

ここからは、本来、野党やマスコミが果たすべき役割について整理します。武部発言の真意としては「フリーターの社会復帰」という目的に対する「自衛隊へ入隊してサマワへ行く」という異常な手段に問題がありました。
その手段の異常さを批判するのは、我々一般大衆や大衆芸能誌の役目です。我々が「感情的行為」として批判を行えばいいのです。

野党やマスコミといった知識層の人々が果たすべき役割は・・・

  1. 「自衛隊に入隊してサマワへ」とは別の手段(例え職業訓練校で在宅可能な技能を習得させる等)を主張する

  2. フリーターの価値観を尊重し、個々の価値観を優先させることで結果として「フリーターの社会復帰」に近づくプランを示す

こんなところではないでしょうか?社会が既定路線通りの社会を歩む者と、社会人としての責任を果たしたくないからアルバイトに甘んじる者の対立構造にありましたので、価値観が違っていることは容易に気づけたはずです。当時は多様性といった考えが希薄な事態でしたので、1番の他のプランの提示が当時の限界ではないかと思います。

結局、何をもってして合理的とするか?

結局のところ、何が合理的か・・・と考えたときに、価値合理的行為も目的合意的行為も、どちらか一方で正解とすることはできないでしょう。大事なのは「何をもってして合理的」と考えることです。

もっとも、武部発言の「自衛隊に入ってサマワへ行け」は日本国憲法の職業選択の自由や行動の自由に反するものですので、その発言自体が誤っているといえます。だからと言って、それだけでこの発言そのものを否定するのは早計といえましょう。

この発言の本当の問題は、武部氏のフリーターに対する侮蔑だろうなと多くの人が認識し、そこで議論が止まってしまったことにあります。あの発言から18年たちましたので、そろそろ我々一般大衆側も議論を活性化させられるように社会を変えていきましょう。

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