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ペンギン騒動に見るSNS世論形成の危うさ~世論をコントロールするのは誰か~

朝の情報バラエティー番組「スッキリ」の放送内で、出演者が動物園のペンギンんの池に落ちるハプニングが発生しました。SNSをはじめとした世論とテレビなどのマスメディアの対立構造を色濃く反映した話しですので、内容を整理したいと思います。

今回の事件の経緯

3月24日に、オードリー春日がペンギンのお世話をする企画が放送されました。その放送内で、スタジオの加藤浩次が「池に落ちるなよ」としつこく煽り、それを前振りとして春日が何度も池に落ちたものです。
SNSを中心とした世論から「ペンギンがかわいそう」といった批判があがり、番組サイドは謝罪に追い込まれました。しかし世論に追い立てられる形で謝罪に応じた番組サイドですが、十分な誠意を尽くしたとは言えない状態で(池へ入ることは事前に許可を取っていたといった虚偽)、さらに炎上させる結果となってしまいました。

外野の意見~場外乱闘~

今回の件では次のような異常さをはらんでいます。異常というか、新しい時代の世論とでもいえばいいのでしょうか?以下の分類で第三者同士で争いを繰り広げているところが、今までにない流れを感じさせています。

  • 当事者(加害者)・・・テレビ局

  • 当事者(被害者)・・・動物園

  • 第三者(被害者擁護派)・・・視聴者

  • 第三者(加害者擁護派)・・・マスメディアや芸能人

ここでそれぞれの擁護派の意見を引用してみたいと思います。
まず、動物園を擁護する側の意見ですが・・・

「今回のケースでは、視聴者にペンギンがかわいそうだと感じさせたことが炎上した一番の要因だと思います。よくある演出や流れだとしても、見ている側が、出演者の行為で周りに迷惑がかかる、危険だと不安に思ってしまうと、不快に感じてしまいます。
 ただ、煽った加藤さんも、『めちゃイケ』時代は“暴れん坊”キャラでしたし、そこが持ち味でもあります。また、水があったら落ちるというのが、芸人の本能でもあると思います。そういった意味では、今回の事態は予見できることなので、スタッフも止めるべきでした」
~中略~
「今の若い世代は、テレビが品行方正になってしまった時代を生きているので、テレビにはコンプライアンスに従ったものを求めます。ただ、過激なものを見たいという欲求は変わらない。それを規制の少ないネットメディアに求めています。

週刊女性PRIME

反対にテレビ局を擁護する意見としては以下のようなものがあります。

だが、カンニング竹山は、一連の騒動に納得がいっていないようだ。27日の『ABEMA Prime』で、こう語った。
「いよいよこんな時代になっちゃったなって(思います)。せちがらいな。園側は抗議(は当然)だと思いますよ。いまも昔も『(池に落ちて)いいですよ』なんていうところはない。落ちちゃいけないところに落ちるから、笑いになるわけです。でも、これでたたかれる時代になったから、もう、こういうこともできないってことでしょうね。ロケに行って水があって、そこにたとえ動物がいようと、落ちるっていうのは、日本のお笑いの古典芸能みたいなものだったから」
「本音を言うと、これを見て、これはだめだと外野からたたき出して、炎上してごめんなさい、でもめて1セットになる仕組みが気持ち悪いなと思ってます。抗議する必要があるんだろうかって思います」

FLASH

この騒動について、竹山は27日夜配信のABEMA「変わる報道番組#アベプラ」で、「動物にとってはホントにダメなこと」とペンギンがいる池に落ちたことは疑問視。一方で、「テレビ局が園に謝りなさいと。それでおしまい。ネットでいろいろ言い出すのは気持ち悪くねぇかって」と熱っぽく語った。
また、「ここ数年、テレビがつまんないとか、コンプライアンスがキツいとか」と世間の風潮に触れ、「テレビをつまらなくしているのはみんな」とネット民が過剰に批判し、タレントや番組側が委縮していることを嘆いた。
テレビがおもしろくなくなった原因はネット民、タレント、番組の「みんな」にあると指摘したが、「何よりの原因はネット民と思っているのがホンネでしょう」(お笑い関係者)。

東スポWEB

池に落ちることで、ペンギンに生命の危機を与えることはないでしょうが、それでもペンギンの価値を低く見積もったテレビ局の対応には問題があります。テレビ局が企画するイベントブースで、同じようなことをしたら番組で取り上げて非難するでしょうし、それが様式美だと居直ったらテレビ局の対応も変わってくるでしょう。
大きな権限を振りかざせるテレビ局と、小さな力しかない一般人の構造が成り立っていた時代はそれでもよかったと思いますが、今は一般人がSNSで寄せ集まることで大きな力を行使することができるようになったことが見て取れます。

なぜ場外乱闘が繰り広げられるのか?

日刊ゲンダイの記事に以下のようなものがありました。不寛容になるのは、気持ちに余裕がないからとのことです。この記事では動物園擁護派の分析として書かれていますが、テレビ局擁護派に対しても”いちいち世論が悪いなど言わなくてもいいことを言わないと気が済まない”と考えれば同じことが言えます。

明大講師の関修氏(心理学)は、「不寛容な人たちにはいくつか共通点がある」とこう続ける。

「ひとつは自分の原理原則にこだわりが強い。さらに物事を多面的に見られない、などです。今のSNS時代は即断即決を求められがち。情報が猛スピードで次々と流れていくので、その場ですぐに《いいね!》かどうかを決めないといけない。それでは、物事には裏も表もあると深く考える習慣が身につきません。一面的にしか見られなくなる。だから気に食わないことがあると、情状酌量もせずに即《ノー》と結論づけてしまうのでしょう。加えて心に余裕がないことも、不寛容さに拍車をかけていると思いますね」

日刊ゲンダイDIGITAL

不寛容さの原因として、スピードが速い時代であることと、心に余裕がない事があげられています。ただし、以下の記事を考えると各論に誤りはあったとしても、総論としては問題ないでしょう。

まず、「男性が多い」という点について見てみると、炎上参加者の7割は男性であった。社会においても、この調査においても男女比はほとんど半々であることを考えると、この偏りは大きい。
次に、年収を見てみよう。世帯年収を比較すると、炎上参加者の世帯年収は平均して670万円であったのに対し、炎上に参加していない人は平均して590万円であった。つまり、炎上参加者のほうが、世帯年収が80万円も高かったのである(図1)。

東洋経済

不寛容な考え方の出発点

一度、ペンギン池騒動から話を離れて、一般人(世論形成する前の個人)がどのように考えているかの記事を参考にしてください。

「“あおり運転”をしたことについて後悔していない」と回答。回答者からは追越車線をゆっくり走ったり、割り込みをされたりしたことを理由に、自分はあえて“あおり運転”をしたと正当性を主張する声が寄せられています。
▽相手が危険な割り込みをして来たため、指導するために追いかけた(50代男性)
▽“あおり運転”されるほうが悪いことが多い。早く進まないのであれば後ろに道を譲るべき(50代男性)
▽加害者ではあるが、同時に被害者でもある。事故を未然に防げただけありがたいと思えとさえ言いたい(60代男性)

まいどなニュース

ここにきてようやく、すべての記事に合点がいきました。
「今の若い世代は、テレビが品行方正になってしまった時代を生きているので、テレビにはコンプライアンスに従ったものを求めます。」や、「世間の風潮に触れ、「テレビをつまらなくしているのはみんな」とネット民が過剰に批判し、タレントや番組側が委縮していることを嘆いた。」ということの意味が分かります。

また、一度SNSなどで醸成された世論は承認欲求や独特な仲間意識を巻き込んでブレーキが効かない状態を生み出していることも確かでしょう。少し内容はずれますが集団が暴走した時代の流れを引用します。

「関東大震災のときの自警団は、最初のころ、行政が治安維持に利用しようとしていたわけです。ところが、自警団に加わった住民の行為をだんだん行政は止めることができなくなった。そして虐殺に至るわけです。戦時中の隣組にしても、戦時体制にからめ取られていく中、“非国民になりたくない”という力学が発生し、威力を持つようになった。配給などで『食料をあげない、もらえない』みたいな事態になれば、個人の生活が損なわれるからです。だから、誰も後ろ指を刺されたくない」

東洋経済 自粛警察「執拗すぎる相互監視」を生む根本要因

世論は誰のもので誰がコントロールするのか?

「ペンは剣よりも強し」という言葉があるように、”意見”は時に権力や武力よりも強くなります。一般人が集まって形成したSNS世論が既にマスコミに対抗できる規模まで成長しました。さらに「スポンサーへのクレーム」といった手段(剣)を手にしたことで、マスコミ側には勝ち目がないところまで来ています。

以下に、日本とドイツが第二次世界大戦に進んだ要因を引用します。二つの記事より力の暴走が引き起こした結果だとわかることでしょう。
マスコミがその使命や存在意義として「対政治権力としての組織」を標榜していましたが、これからは「世論を教育するための組織」として生まれ変わる必要があるのかもしれません。世論に受け入れられないバラエティー企画は本数を減らし、世論を導く(醸成する)組織としての立ち位置が求められる時代がきているのではないでしょうか?

順調に物事が進んでいるときには大きな問題は発生しないが、非常時になると全く機能しなくなるという日本社会の特質を改めて露呈する形となったが、一部からは太平洋戦争との類似性を指摘する声が出ている。
~中略~
日本政府が満州事変という軍部の違憲行為(統帥権干犯)を適切に処理していれば、先の大戦は避けられた可能性が高く、同じように国立競技場の問題が発覚した段階で組織のガバナンスを改革していれば、ここまでの事態には至らなかっただろう。

Newsweek 太平洋戦争の開戦に突き進んだ当時と変わらない日本

第一次世界大戦(1914-18年)に負けたドイツは、戦勝国が取り決めたヴェルサイユ条約によって、巨額の賠償金の支払いを命じられ、重要な産業地帯をとりあげられ、経済も社会も混乱していました。1929年の世界恐慌によってドイツの経済は大打撃を受け、失業者が町中にあふれます。人びとの不安や不満は頂点に達していました。
そのような社会不安を背景にして、アドルフ・ヒトラーがナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党)を率いて政治の表舞台にあらわれます。ヒトラーは、「ユダヤ人こそ我々の敵だ、不幸の原因だ」と叫び、人々の憎しみをあおりました。

NPO法人ホロコースト教育資料センター

~追記~

竹山の考えがわかる記事があったので、追記します。記事はカンニング竹山が探偵ナイトスクープの探偵局員に抜擢されたときの話しに触れたものです。芸人4人でコンペオーディションを行い、その中から竹山が選ばれました。選ばれた理由を記載しているのですが、彼の”テレビは何者にも屈しない”といった理念が強く伝わる内容となっています。前出の記事もこのようなことがあったからの発言なのでしょうね。

 「何で選ばれたのかスタッフに聞くと、俺が1番苦情が来たって、ナイトスクープの視聴者から。キレ芸だし関西じゃないしって。でも1番苦情が来たのを見てスタッフが竹山だって。“今1番マイナスで誰からも愛されてない。ということは、ここから探偵になれば伸びしろがすごい”と。それで決まった」と説明。「スタッフは優秀で。テレビのをことを教えてもらったのは、実はナイトスクープ」と感謝していた。

カンニング竹山 「ナイトスクープ」探偵抜てきの裏側告白

なお、視聴者からのクレーム以外にもジャニーズ事務所に対しても弱いようで、結局のところ日本のテレビ局は腑抜けてしまったのかなと思う。放送法をちらつかせられたり、クレームの電話をかけられたり、スポンサーに降りると脅されたり、大口コンテンツ保有者に打ち切りを告げられたり、何かにつけてリスクを取らない程度の番組を作成することで保身を図っているようにしか思えません。テレビ局に言いたい。もっとリスクを取ろうと。
ジャニー喜多川氏から性的暴行を受けたとする告発があったが、その告発をテレビではほとんど報じていない。以下に弁護士ドットコムのニュースを引用します。日本のメディアは弱者に対してしかその力をふるうことができなくなってしまったのでしょうね。

ジャニーズ関連の不祥事を取り上げることが難しい理由。その「答え」を冒頭からいきなり示すと、みなさんもご想像の通り、ジャニー喜多川さんの疑惑を取り上げることで局に重大な不利益がふりかかると各局の上層部が考えているからだ。
~中略~
ジャニーズ事務所は、はっきりと要望を局に対して伝える、いわば「物言う事務所」であることは業界人なら誰でも知っている。 ひとたび怒らせれば、それなりのペナルティが課せられるだろうことは容易に想像がつき、あえてジャニーズとことを構えようというテレビマンはどこにもいない。

ジャニーさん「性加害」疑惑、やっぱりテレビ局は「深堀り報道」しない?

マツコがバッサリと切り捨ててますので・・・

テレビ業界もこの20年間で大きな変化があったとし「マナーとかを考えすぎた“極地”がつまらないテレビじゃない?この番組から暴言とったらカスカスになったんだから。(テレビ側の人間は)追いやられたっていうけど、自業自得だと思うよ。~中略~(誰もが)何にも頭を使わずにそうなんですね、そうなんですねって世の中の風潮にならっていった結果がこれですよ。全メディアがそうだよね。やり方ってあったはずなのよ。ウチは“治外法権”ですっていうのを意思表示する方法って。それをどこもしなくてさ、みんな右にならえでやってしまった」と指摘。

マツコ「自業自得だと思う」 “つまらなくなった”テレビに持論「やり方ってあったはずなのよ」

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