関心を向けてくれてありがとう

こんにちは!
今日は通院2軒…笑
付き添って下さっだ方に感謝だな〜

タイトル、「関心を向けてくれてありがとう」。私は自分に対して適切に関心を向けられた経験が少なくて、思い通りに育つための関心、相手側の希望満載の押しつけ的な関心は結構ありましたけどね…

そんな中ね、凄く嬉しい言葉を職場の他の先生にかけてもらって…

「柑橘先生、緊張しなくていいよ、私達のこと、お母さんだと思ってくれていいからさ、あ、柑橘先生のママより私達の方が年上か(笑)」

その時、その先生は私の家庭の事情なんてご存知でないし、軽い一言でした。

でもこの一言が本当に嬉しかったです。

後々、その先生が私の対人緊張や過敏性を察していたことはわかりました。

母親の希望で誰も頼ってはいけない状況の中、何気ない一言に物凄く救われました。もちろん、その先生に親代わりの愛着対象になってほしいとは思わないです。でもその一言から気にかけて、関心を向けてくださってることがよく伝わってきました。

発達障害(ASD)当事者の私として本当に辛いのが、彼岸の出来事として無関心の目を向けられることと、汚いものに蓋をするように目を背けられ、なかったことにされることです。

他の記事でも何度も言って不快な思いをさせてしまうかもしれませんが、私の親はこれに当てはまります。

もちろん、当事者の立場に立たないで勝手に理解した気になって押しつけるようにアドバイスを身近な人からされるのも辛いです。

でもね、それはまだいい方なのかも。関心があるだけ。

さっき、婦人科の女医さんにそこで処方されている薬を多量服用をした理由を「身体の不調があっても休めず限界だったこと、睡眠不足、発達障害の自分に疲れたから」と説明しました。
そうしたら、「何もかも柑橘さんの”個性”だから。柑橘さんの良さはたくさんあるよ。だから前を向いて」と(感情が昂ってちゃんと覚えてないです、多分こんな感じのことを)言われました。勿論、婦人科の先生は押しつけ的でも勝手に理解した気になっている訳でもありません。それは強く伝えます。

何ヶ月か前までは、発達障害を”個性”と言われることが辛かったです。でも周りの人に受け止められる経験を少しずつ積み重ねて行って考え方が和らぎました。

今は「相手は私の全てを理解することは出来ない。私は自分の発達障害を”個性”とは思えないし思わない。だけど相手は相手の立場から精いっぱい私のことを理解しようとして、関心を向けてくれていて、人としての優しさで”個性”と言ってくれているんだ。私にとって大切な人は、困惑や無関心故に”個性”言っているのではなく、想いを込めてそう言ってくれているんだ。」と思います。

勿論、発達障害は個性とは言えないと実感しています。個性と言うには神経すり減らすし、体力は奪われるし、苦しくなるし。でもこの特性を経験したことない人に全てを見て理解しろ、と言うのも傲慢です。人は良くも悪くも伝えていかないと理解に繋がりません。だから伝えられる部分は伝えていくしかない。でも特性を体験してもらう訳にはいかないですよね。だからこそ、関心を向けて、理解しようとして下さってるだけでありがたいことなのだと思います。

優しさを感じた言葉と、今、感じていることを書きました!笑

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