それは自分のこと


綺麗事かもしれないが

悪口がとても苦手である。

と、言っても私も口がいい訳ではないし、悪口言うこともある。

自分が発するのも、他者が発するのも

胸がチクチクと痛むのだ。


悪口を言うほどその人のこと知っているのか

悪口を言えるほど人間ができているのか

自分が言った時には、自分が放った言葉と自分の人間性を考える。ぐるぐると何度も何度も同じ考えを辿るのだ。


親しい友人が悪口や恨みを言っていると

「そんな言葉を放ってると、〇〇さん(主に推し)は悲しむと思うよ。」

となだめることがある。



パチっとパズルのハマる音がした。



その悲しむのってその人の推しや大事な人じゃなくて




自分や



自分が嫌と判断する言葉を聞きたくないだけなんだ


これからは、傾聴した上で、素直にそんな言葉を言ってる友人を見るのは悲しいな、それだけ友人は大変だったんだね、と口にしよう。そうしよう。


推しは私たちとは遠い世界で活躍する存命な方だが

偶像のような部分がある。

おそらく、「仏の顔は三度まで」とか「お天道様が見ているよ」とかそういう類の。

あるいは、「YAZAWAは何て言うかな?」みたいな。

(わかりにくい例えだな。)


自分の思いを偶像へ預けることは、心理学の自己防衛機能の中の「投影」や「逃避」にあたるもので、生きる上では必要な行動だと思う。

だけど、頼りすぎてもだめだよな。


そのバランスを取れるように生きていきたいな。


みのりもちこ



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