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我が家の次女の事。

明日10月19日は次女を出産した日です。

明日は忙しいので、さっき娘と一緒にケーキを買ってきました。
夜、一緒に食べようと思います。

我が家の次女は生きていたら13歳になります。
13年前の今日、病院で心臓が動いていない事が確認されて、家から少し離れた大学の付属病院に入院となりました。
妊娠31週に入ったところでした。

命日。

かつてはとても悲しい日でした。
金木犀の香りが漂い始めると悲しみが蘇ってきて不安定になっていた時期もありました。

けれど。

この数年、とても穏やかな気持ちで迎えることができています。

次女の誕生日にケーキを買ってお祝いをする。

それが私と娘の儀式です。
この儀式は10年以上かけて私達を癒やしてくれたようです。

ケーキ屋さんではそれぞれ一つずつケーキを選びます。
以前はホールのケーキに「〇〇ちゃんお誕生日おめでとう」とプレートを付けてもらっていましたが、今はそれぞれ好きなものを食べようか、ということになっています。

今日の会話。

私「〇〇ちゃんのケーキ、何がいいかな〜」
娘「くまちゃんの顔のやつは?」
私「小6だよ?お姉さんっぽいの選びそうじゃない?」
娘「え?もう13歳?そっか〜それじゃあそうかも」
私「あ、このプリンアラモード可愛いな〜」
娘「いや、きっとこっちのお芋のモンブランだな。黄色と紫で綺麗だし」
私「お姉さんっぽいね〜笑」
(お会計後)
娘「〇〇ちゃん、やっぱりプリン食べたかったって言いそう」
私「そうなの?」
娘「うん。そんな気がする(笑)
     2、3口食べてプリンが良かったって」
私「まぁ所詮まだ小学生だからね〜(笑)
     交換してもいいし。プリンは今度買ってあげようね」

こんな会話が自然に出来るようになった事に感謝です。


私達の中の当たり前の儀式。

それに対してこんな言葉を言われたことがありました。

「とらわれ過ぎないほうがいい。娘ちゃんも成仏できないよ」と。

ちょっと違うんです。
逆にもっと囚われた方がいいのではないかと思うくらい、普段は何もしていない私達。
仏前に線香をあげることすら殆どしていないのです。
…それもどうかと思うのですが…💦

だけど、それが私達のあり方なのです。
年イチの儀式。
私達の丁度よい距離。
きっと次女達もそれで許してくれていると感じています。

決して忘れられるはずはないのです。
いつも心の中にいます。
不意に思い出す事も当たり前の日常なのです。
風化ではなく。
時間薬がくれた穏やかな「私たちのあり方」なのです。


次女はとても可愛い顔で生まれてきました。
小さいけれど、娘にそっくりな赤ちゃん。
爪の形も娘に似ていました。
もし二人が並んだら、可愛かっただろうな〜と思います。
小さい子が好きで世話好きな娘は、きっと可愛がっていた事でしょう。

今、我が家には次女の小さな遺骨があります。
入れてあげられるお墓がなかったので、ずっと一緒にいます。
昨年、私の両親がお墓を建てました。
いつか、父か母が亡くなった時に一緒に連れて入ってくれるとの事です。
そして、そのお墓に私も入ります。

私は輪廻転生を信じているので、もしかしたら次女の魂は既に新しいお家に生まれ変わっているかもしれません。
むしろそうであってくれたらいいな、とも思います。
どこにいたとしても、幸せであってくれればそれで良いのです。

もしも、まだ私達を見守ってくれているのだとしたら。
心配させられないですよね。
だから、私達も幸せでありたい。

命が終わる日まで幸せを見つけながら生きていきます。

それが私達の約束だから。


お誕生日おめでとう。愛しています。

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