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詩について④

 詩と暮らす。何もせずに過ごす自分を否定する頭の声を消すために、詩を書いている気がする。そんなときに出てくるのは、作り並べられたつまらない言葉。そこに真実のかけらはなくて、あるのは惰性と嘘ばかり。愛が伝染するように、わたしの怠惰がうつってしまうと思うと、なんとも言えない申し訳なさを感じる。

 詩とはなんだろうか。自分自身のデトックスであると同時に、呼吸でもあり、うまくいくときは絵画のようでもあって、不思議なものだ。人工なのか自然なのか、或いはその中間か。露骨すぎる言葉の心地悪さは、深い森の中に放り出されたときの不安、人工的すぎる言葉の心地悪さは、無機質な病院の廊下を歩く夜。自然と人工の絶妙なバランスが人を魅了するとき、言葉は時に芸術と言われるのかもしれない。

 胎児の姿勢でソファに寝転がり、オナラをしながらこんなことを書いていると知ったら、その時点でこの文章は迷惑な代物になるんだろう。わたしにとっての詩はオナラみたいなものだ。飲み込んだ空気がいつの間にか体内を巡り、耐えきれずに外に出る。

悪いものを食べると臭いオナラが、良いものを食べると害のないオナラがぷー。いずれにしろあんまり世に貢献はしなさそうだ。

 ああ、とてもしっくり来た。詩はオナラ。

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