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「フェイクニュースの見分け方」その2

つづき。

だが、そもそもみんなファクトを知りたいんだろうか?
年初に『スマホ脳』を読んだ際「フェイクニュースほど
速く広く拡散する」ことに驚いた&納得した。
みんな、フェイクでもファクトでも何でもいいんだ、と。
刺激的な話題なら。
盛り上がるのなら。
だから「ポスト真実」の時代、なのだ。
ファクトを積み上げ真実に至る、真実の次(ポスト)なんて
あるものか、真実より大事なものなど無い、
と3年くらい前に鼻先で笑ったが、
現状、このザマです。
プーチン氏は爆笑が止まらんでしょうな。
共産国は80年前から「ポスト真実」なのだから。

本の話に戻る。fairnessの話が面白かった。
「欧米マスコミはキリスト的フェアネス、公平性を目標と
しているが日本には元からそれが無い」と。
さらに
「現実の人間は複雑で多面的」、しかし/ゆえに
「対立構造化・単純化すると民にウケる」。その結果、
世界は単純でフラットだと思い込む子供や若者。
その成れの果ての私(たち)。

まだまだ続く、烏賀陽氏のツッコミ。
権力と報道はいつの世も闘うのが常なのに、
最近の報道は忖度して自己検閲する体たらく。
取材なきオピニオンが多すぎ。
印象操作・過剰な修飾語多すぎ。などなど。

陰謀論者に対する氏の考えも面白かったし
法律ひとつで世の中が変わる話も面白かった。
大震災下の美談がウソだった、て話も。

「自分の本当に知りたいことをブレさせない。
重要ニュースとどうでもいいものを自分で分ける」
という話にも深く納得。
ファクトかフェイクか分類する以前に、
“そこはどーでもいー” ものは “どーでもいー”のだ。
タレントや政治家のゴシップとか失言とか、
中国や北朝鮮の元首の性格がどうだとか、
どーでもいーものを仕入れないことだ。

仕入れると瞬時に意見ができてしまうし、
意見があれば発表したくなってしまうし、
発表すればケンカになるのだ。
因果だ。
脳細胞とエネルギーの無駄遣いだ。

(まあ烏賀陽氏が言いたいのはそうでなくて、
「論点をスライドされることに注意」てことだ。
例えばウイルス発見個体数が重大なのではなくて
重症者の発生確率の方が本当の大事なのでは?とか
そういう話だ。ちょっと脱線いたしました)

『ファスト&スロー』は情報消費者側のバイアスを、
この本は発信者側に生じる偏り・バイアスを扱ってると
言えるかもしれない。
それは故意だったり、テレビ局の能力のせいだったり、
事故だったりする。
それらの事情・事例の一片でも知ることができ良かった。
これでフェイク全て検出できる、とは思わないけれどね。

『ファスト&スロー』の上巻を、まだ読了してない。
今250ページ。あれは根気が続く日でないと読めん。
正直しんどい。





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