矛盾を抱えた私から、矛盾を抱えたあなたへ
#なぜ 、私は書くのか。
週末にお見かけして、なんと締め切りがすぐそこ!でもこのテーマ、今、私、書きたい!
…と思い、滑り込みで参加してみることにしました。
編集者の華さんが主催する自主noteコンテスト
「なぜ、私は書くのか」
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私は頭の中に言葉がたくさんある。
それを「話す」ことは苦手だけれど、「書く」ことでなら、この言葉たちを外に出し、自分の考えや気持ちを整理することができる。
そう思って、noteに書き始めた。
始めは、本当にただ自分のために書いていた。
自分が書きたいと思ったことを、そのままの言葉で書いた。
ただそれだけで満足で、他には何も起こらなかった。
一年くらい経って、転職活動について定期的に書くようになったころ、読んでくれる人の人数が増えた。
スキやコメントも増えた。
書くだけでなく、仕事について悩んでいた私が、読み手として共感したり好きだなと思う記事やnoterさんも、どんどん増えた。
自分のために書いていることには変わりないけど、誰かに共感してもらえたり、言葉をかけてもらえることを期待する自分も、いつの間にか顔を出してきた。
私は自分が共感できる記事をみつけるとうれしいし、コメントもしたくなる。
「うれしい」の中身は、安心感だ。
同じ考えの人がいてよかった、同じ境遇でも頑張っている人がいてよかった、という安心感。この記事を書いてくれてありがとう、と言う気持ちで、リアクションする。
だから、私の記事を読んで同じような気持ちになってくれた人がいるのなら、それはこの上なくうれしいことだ、と思う。
自分のために書いているというのは、本音でもあり建前だ。
同時に、誰かのために書いているというのも、本音であり建前だ。
誰かのために、何度も推敲を重ねたり丁寧に構成を考えたり、役に立ちそうな話題に絞ったり、そういう努力はしていない。あくまで目的は、自分の頭の中の整理にとどまる。
だけど、やっぱり誰かの心に届く文章を書きたいとも思っている。気の向くままに書き方の本を読んだり、上手な文章のnoterさんに倣ってみたり、していることもある。リアクションの数を気にしている自分もいる。
自分の考えや気持ちの整理のために書いているけど、誰かに共感もしてほしいし、誰かの役に立つ記事を書きたい。
欲張りでわがまま、自分の力がそもそも及んでいないのは承知の上。文章を書くこと自体を仕事にする予定はないけど、こうやって何らかのコンテストに参加してみたいと思うということは、あわよくばという気持ちもゼロではないってこと。なんておこがましい。
こんな矛盾だらけの気持ちをいつでも抱えて生きている自分の、考えや記録で誰かの心をほんの少しでも軽くできるなら、それは自分の人生をかけて達成していきたい目標でもある。
いま、私がnoteを書く理由はこれだ。
統一感もない、結論もない、一定の層に役立つノウハウもない。けれど、毎日のこの矛盾のどれか一つが、誰かの矛盾と一致して、その誰かがうれしいだったり安心だったりという気持ちになってくれたなら。
私がnoteで受け取ったものを、私も返せたことになるかもしれない。
そんなふうに思って、書いています。
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