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あまりにも久しぶり

あまりにも久しぶりの投稿です。
昨年2023年はたくさんの出来ごとがあった。

一番の思い出、経験はライカ使いの方々のコミュニティに参加させていただき、ほぼ1年間の間、楽しい思い出をたくさんいただけたこと。

一方で、自分の写真の拙さに改めて気づかされた経験でもありました。

写真や機材に対する思い入れ、技術、なによりも個性やテーマをしっかり持って「機材を選び」「撮影して」「プリントして」「展示する」ことに真摯に向き合う方々の活動におおいに感銘した。

一方、自分は
一度もプリントすることなく、展示もすることもなく
年末頃には勝手にコミュニティから距離を置くことになった。

2023年は自分が65歳になった年だった。
年末に父親が90歳で亡くなった。
親の死は初めての経験であり、葬儀から今現在にいたるまで、死後の手続きの多さと煩雑さに相応のリソースを割くことで、なおさら写真を撮るエネルギーが削がれている。

というのは言い逃れ。

ライカは自分にはやはり使いこなせない。

初めてライカを手にしたのは2021年9月。
M10-Pとズミコロン35mmを手にした時には相当の高揚感があった。
ズミルックス50mmを2台目のレンズとして購入して撮った時の感動はいまでも良い思い出である。

熱病のような状態だった。
レンズやボディをとっかえひっかえ。
身の程知らずの状態だった。

そして今、手元にはライカはM10-Pが残っているが、このボディも一度売却した末にまた購入してしまったのは熱病の副作用と思うことにしている。

ライカレンズも手元に残ったのはズミクロン50mm1本。
コミュニティで知り合った方から譲っていただいた1本。

この春、娘の卒業式の折に娘から写真をとってほしいと言われた。
単純にうれしかったし、思い出の写真を撮ってあげたかった。

成人式の時にも乞われて撮った。
その時には購入したばかりのM10-Pにズミルックス50mmのセットと
Nikon Z7に24-70mmf2.8の二台体制で撮った。
どちらの機材で撮った写真も、それなりに「まあまあ綺麗」な写真だった。

今回、卒業式の当日の二日前にNikonZ8を買った。
レンズはZ24-120 f4 1本。
ライカは持ち出さなかった。
なんとか「まあまあな写真」をプレゼントできたと自分に言い聞かせた。

ライカを最初に買ったときに「重い機材は卒業だ」とか言っていたのに
今またZ8+24-120を手にしている。
大いなる矛盾である。

いま、気軽に撮れるのはスマホ。
ライカへの未練なのかLeitzPhone2。
1インチセンサーで、良く撮れてしまう。
これでいいんじゃないかって思う。

インスタでたくさん「いいね」をつけていただくのは単純にうれしい。
気張って撮ってアップした写真より、自分ではそれほどなとおもう写真に
たくさんの「いいね」をいただいたりするのも面白い。

さてさて
テーマも目的も定まらないまま、なんとなく撮ってきたことは
そろそろ打ち止めのころ合いなのだろうか。

コミュニティで知り合えた方々とも疎遠になってしまった。
まったく自分自身の責任なのだけれども、一度距離感を感じてしまうと
歳のせいにしてはいけないのだけれども、もう一度その場に参加することに
大げさではあるけれど恐怖心のようなものを感じる。
ちょっと大げさだった。
恥ずかしいのである。

それもこれも自分の写真、写真そのものを含め、写真に向き合う自分の姿勢の虚弱さに基づくものである。

だけど
写真は好きだ。
素敵な写真、感動的な写真、素晴らしい写真を見ることは好きだし、
それらの写真はだれかが撮ってくれた写真である。
撮ってくれて見せてくれている方々に感謝である。

久々のnote。
写真も無しの下手な文章だけど、これがいまの自分であることを書き留めておくこととする。







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