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宗教について思う 2 宗教の必要性について

宗教について思う 2 宗教の必要性について







日本の仏教の古い言葉に、

「善人なおもて往生(おうじょう)をとぐ、

いわんや悪人をや。」*

という言葉があります。


*(『歎異抄(たんにしょう)』1300年前後に編纂。)


「善人でさえ救われるのだから、

悪人なら、なおさら救われるはずだ。」


という意味です。






善人より悪人の方が救いに近いというのは

意外に思われるかもしれませんが、



たとえば、親が、

世話をかけない出来のよい子供より、

いつも世話をかける出来の悪い子供の方を

より多く心配していることを思うなら、



神様や仏様が悪人の方をより救ってあげたいと思う
というのは、

それほど意外ではないはずです。


神様や仏様は裁判官ではないからです。






「善人でも救われるのだから、
悪人なら、なおさら救われるはずである。」



私はこの言葉は、

宗教にしか言えない言葉であるだろうと

思うのです。




私たちが、

人や社会に受け入れられ、

愛されて生きてゆくためには、

善人である必要があります。


善人でも悪人でも関係なく、

ただ無条件に愛してくれるという存在は、

この世にはないからです。




でも、

すべての人は、

いつもいつも善人であることができるでしょうか?

それは無理であると思います。


人間であるからには、

そうできないということも必ずあるはず
だからです。







私たち人間が生きてゆくためには、

愛されていることが必要です。



私たち人間には、

自分がどのような存在であろうと、


自分が善人であるときも、

そうできないときも、

ただ無条件に愛してくれる存在が必要です。


でも、

この世の存在には、

そのような無条件の愛を与えてくれるような

存在はない、



だから私は宗教が必要であると思うのです。







宗教とは、

無限なるものを想うことです。




無限なる存在の前では、

私たちの罪は無であるだろうから、


無限なるものだけは、

その無限性(広い心)によって、

私たちのどのような罪も無にし、


その無限性によって、

いつも変わらずに愛し、つつんでくれるだろうから、



だから私たち人間には、

ときに

無限なるものを想うことが必要であるように思うのです。








白鳥静香







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