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自己表現と恐れの箱

私たちは恐れという箱の中に、知らず知らずのうちに閉じ込められている。

そう、全てが恐れに紐付いているのではないかという仮定を立てた。

例えば、自分の会社のHPでのプロフィール写真。
クリーンで明るいオフィシャルな印象のものを使うか、それとも完全に自分を反映した、癖の強い、思想がにじみ出るようなものを使うか。

この選択一つとっても、恐れが潜んでいる。
前者を選ぶ理由として考えられるのは、自分を率直に表現したときに生まれる摩擦への恐れ。
自己主張をして人を傷つけたことにより自分も傷つくことへの恐れ。
はたまた、それによって社会的なイメージが悪くなりビジネスの機会損失が生まれ、ひいては経済的安定が得られないことへの恐れ。
挙げてみるとこんなものだろう。

私は職業的にも広義での生き方、という点においても自由に生きているほうだろう。しかし、こと「自分の”スキ”をどこまで鋭利にして社会や他者に突き刺すか」という問いに対しては随分と切っ先を丸めてきた=手心を加えてきたのではないか、と最近思う。

要はその原因は
自分の刃で他者を傷つけることを恐れているのではなく、
他者を傷つけたことを自認することにより自分が傷つくことを恐れている
に過ぎないのだ。

それらの”恐れ”だけが行動しない理由なのだとしたら、行動することには何のデメリットもない。それらの大部分は幻想であり、例えるなら「フラれるかもしれないので一生告白出来ない奴」でしかないからだ。

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