せっかくだから、自己紹介①
折角noteを始めたのだから。
初めましての方とも繋がりたい。
というわけで、自己紹介をしてみようと思うのです。
よく考えれば、自己紹介的なことってあんまりやってこなかったなと思っていて。
なんか少し小っ恥ずかしい感じもするのだけど。
※書いていたらとても長くなってしまったので、何記事かに分けますねw
今日のこれは、僕の今までの人生をサクッと、振り返る記事にします。
①自己紹介
吉本和裕と言います。
神奈川県、鎌倉市出身の34歳。あと1週間もせずに35歳になります。
主に舞台をはじめとして、色んな表現活動をしています。
肩書きとしては役者、脚本家、演出家。
最近は全くやっていませんが、舞台監督をやっていたこともあります。
「FIFTH Units」という劇団を主催していて、そこの代表でもあります。
全公演の脚本、演出、プロデュースを担当してます。
肩書きはかっこいいですけど、苦労が多いです、笑
また、数年前からボイストレーナーとして、様々な指導もさせていただいております。
嬉しいことに生徒さんが途切れることもないのですが、甘んじることは絶対にしたくないので、日々研鑽を重ねています。
自分が満足しちゃうと終わりな気がしているので。日々勉強です。
長い生徒さんだと、たまに言うことが変わっているかもしれないけど、許して欲しいなって思ってます、笑
②幼少期から、小学校。一番のモテ期。
ほぼずっと神奈川県の東部で過ごしてます。
幼少期に何度か引っ越しはしてるみたいですが、正直覚えていません。
どうも一つのところに留まっているのが好きなのか、引っ越す回数は少なめです。しかも近距離。
個人的なアレですが、引っ越し業者様に手伝っていただいたことがありません。
劇団の仲間や、役者仲間が手伝ってくれました。感謝感謝です。
自分も人の引っ越しを手伝ったことはあります。
幼稚園についてはほとんど記憶にないのですが、人生最大のモテ期だったようです。
バレンタインのチョコレートはとてもたくさんもらっていたらしい。
(写真は数年前に妻にもらったやつです)
お返しに苦労したと、母が言っていましたw
本当にこれ以来モテ期がなかなか来なかったので、しっかり覚えておきたかったです。
小学校の時はかなーり引っ込み思案だったと思います。
友達が少ない方ではなかったですが、多い方でもなかったです。
というか、そもそも学校にいた人数が少なかった、ともいえます。
ゲームばっかりしてたし、勉強も運動もまぁまぁ。良くもないし悪くもない。
習い事もありがたいことにいっぱいやらせてもらってました。
水泳、エレクトーン、サッカーですね。
一番できなかったのはサッカーでした。とにかく下手で。
レギュラーの子に嫌味を言われるのが嫌で、一時期本当に練習に行きたくなかったのを覚えてます。日曜日は雨降れ!って、いっつも思ってたw
最後の最後、6年生の12月辺りにようやくコツがわかって、そこからは楽しかったです。たった3ヶ月でしたがw
公式戦の初ゴールは、すっごい地味で情けないゴールでしたが、涙を流して喜んだ思い出があります。
水泳はまぁまぁ。苦手でもなかったですが、特別得意でもなかったです。
でも、進級するとご褒美を買ってもらえたので、頑張ってました、笑
得意なのは平泳ぎで、嫌いなのは背泳ぎでした。
一番続いたのはエレクトーンで、実は大学卒業した後も少しやっていました。
今ボイストレーナーをやっていて鍵盤を弾けているのは、概ねこれのおかげです。
小学校の時からやっていて、まさか仕事で使うことになるとは思ってもみませんでした。人生わからないものです。
③中学の夢は「箱根駅伝を走ること」
中学に入って陸上部に入りました。
理由は単純で、中学校にサッカー部がなかったのと、6年生の時に走った長距離走で確か1番を取ったこと。
入った当時の夢は、将来箱根駅伝を走ることでした。
でも、そんなにうまくいかないですねw
部内でもそんなに速い方でもなく、年々走る距離が短くなっていきました。
1年生1,500m、2年生800m、3年生400m。ってな感じに。
陸上の最大の記録は、3年生の最後の大会で。400m市内6位でした。
土砂降りの中の決勝で、予選8位通過だったけど6位になりましたw
入賞できただけ、よかった。
そういえば、この間母校を覗いてきたんです。
校舎、新しくなってました。
④高校、演劇との出会い
高校に入って、ここで初めて演劇と出会います。
いや、正確にはそれまでで演劇に触れてはいたのでしょうが。
演劇を始めた理由は割と突拍子もなくて。
まずは、もう運動部が嫌だったってこと。
ただ、文化部って基本的に女子が多くて近寄り難かったんですよね。。
陰キャだったので。。(いや今もそうですが)
当時からアニメとかドラマとかは好きだったし、男の子らしからぬ人形遊びとかもしてたので、演劇かぁ。。。
と思って、一年生の教室の近くにあった部室の前をうろうろしていたら。
「入部?!入部?!」
と、当時の部長に部室に引っ張り込まれた。というのが理由ですw
あとは容姿端麗な先輩方に押し切られました。(今思っても、レベルが高い)
一年生の大会作品でいきなり主役に抜擢されて、先輩方との関係が微妙になったり。
二年生の大会作品でばあさんの役をやらされたり。
三年生の時は審査委員の罠にかけられたりw
と、高校時代は本当に演劇一色でした。
ちょっとこの辺りはここで書くとあまりにも長くなるので、別でw
最近、大きな大きな出来事もあったので。
そのせいで、演劇以外のことをやる頭がなくなってしまって。
大学も演劇の学科に入ることになるわけです。
今思うと、僕の人生はこのあたりから今の道を進みだしたのだなぁ、と思いますね。
⑤大学、就職を辞めて、進む道を決めます
そして大学ですね。
前述した通り、演劇の学科に入ります。受験勉強もせずに推薦で。
でも、まぁ、ここでも大きな大きな壁にぶち当たります。
芝居ができてない、ってことに気付かされるんです。
いやぁ、本当に抜け出せませんでした。
今なら、何を言われていたのかある程度は理解できるのですが。
当時は何がいけないのか、全くわかりませんでした。
大学のことも語り出すとキリがないので、また別で書こうかと思いますが。
今の僕を支えてくれているのは、この大学時代だなぁ、と思います。
あ、そして僕はそんなスランプ的なこともあって。一度役者を辞めようと思って、就職活動をするのですが。
どうも、心がざわついてしまって。本当に就職していいものか、と。
働きたくなかった、といえばその通りなんですが。未練があったんでしょうね。
僕の周りもまぁ話のわかってしまう人が多くて。
母も許してくれたし、何より大好きだった祖父の言葉が一番の後押しになって、僕は就職をせずに、演劇の道を歩くことになりました。
父には柔らかーく反対され続けました。でも、今思えば言っていたこともとてもわかるし、就職する道もありだったなと思うこともありました。大体、当時はそういうことを理解できていなかったし、したくなかったんでしょうw
でも、そこはやり直せない方向を進んでしまったので、申し訳ないと思いつつ、突っ走るのがいいかなと、今は思ってます。
⑥社会へ。20代は常にもがき苦しむ日々。
でも、人に助けられた日々。
そして、フリーターをしながら、芝居を続ける毎日を送ってました。
もちろん不安でいっぱいです。
好きなことをしていたから、不幸せではなかったのですが。
人より収入はない、地位もないっていうのは、やはり不安です。
なんでもいいから、役者として売れたい。と思って色んなことをしました。
舞台はもちろんやりました。
縁があって、映像に出たりもしました。
声優を志した時期もありましたし、実際近しいものになっていた時期もありました。でも、全然何もできずに終わってしまいました。
そんな簡単な世界でないことはわかっていましたが、なんかまだやり切った感がないんですよね。
なので、ずるずる今日まで、やってます。
でも実は、ただずるずるやっているわけでもなくて。
ある友人に言われた言葉を糧に、やっている節もあります。
「吉本くんは、いくつになっても芝居してそうだよね」
と、言われたんです。
この友人、今では結構な有名人なので、そんなこと忘れてると思いますが。
形になったらいいな、と思いながら日々過ごしてます。
もちろん、そいつに言われたから、というわけではないですよ?w
(こういうことをサラッと言えるやつが、有名になるんだな、とも思いましたw)
停滞は衰退。衰退は消滅。
だと思っているとこもあるので。
そういう意味でも、日々研鑽を忘れないで生きたいと思ってます。
このエピソードもそうですが、やはり僕は人に恵まれていて。
支えてくれる人がいて、友人がいて、なんの希望もないのに応援してくれる人もいて。
20代はもがき苦しんだと思ってましたが、なんだかんだ、幸せだったのかもしれませんね。
今でも、結構人に支えられている、という実感があります。
誰かのために、芝居をしたい。
と思い出したのは、それこそ前述した言葉を言われた辺り。
ここ10年くらいの話ですが。
でも、そんなことを想わせてくれているのは、これまでの僕の周りにいてくれた、全ての人たちのおかげです。
⑦30代。これまでの糧と経験を、誰かのために使いたいとか思いだす。
んで、現在に至るわけです。
30代も半ばになり、ここまでも色々ドラマがありました。
大事な人と結婚したり、新たな仕事ができたり、とても色々変わりました。
そして、誰かのために、芝居をしたいと思うようになってから、僕の考えも少し変わっているような気もします。
変わっていないような気もしますがw
でも、せっかくここまで続けてるんですから、これが誰かのためになるのであれば、どんどんやりたいわけです。
もちろん、自分も楽しいですが、それ以上に、誰かに楽しんでもらいたいなぁ、なんて考えるようになりました。
こう、改めて文面で振り返ってみると色々ありましたね。
何者でもない人はいない、と良く言いますが、本当にそうですね。
小学校の時は、ただゲームが上手いだけだった少年が、こんなことを想うようになるのですからw
やはり、人生何があるかわかりません。
まだまだ人生これから。何があるのか。
ここにつづっていくことになるのかなぁ。
それもまた、面白そうですね!
今回はこの辺で。
また、自分のこともたくさん書いていきますね。