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映画の想い出(タイタニック)

映画といえば、子供の頃。
毎年、家族全員で初詣に行った帰りに、
デパートでご飯を食べて、父がチョイスした映画を見に行くのが恒例だった。
ゴーストバスターズのマシュマロマンに弟が似てるとか、グーニーズとか、インディー・ジョーンズとか、外国のワクワクするものをたくさん見せてもらっていた気がする。
映画を見るのはいつもその時くらいで、
特に映画が好きだったわけではない。
2時間で終わってしまうし、この役はこの人、と誰かに決められた顔を見させられる映画よりも、
自分の頭の中でいろんなことが想像できる小説を読む方が好きだった。

が。
今でもどーやって出会ったのか覚えていないのだけれど、「ボーイズ・ライフ」という映画で
「レオナルド・ディカプリオ」という男の子に出会ってしまった。
あっと言う間に夢中になった。
「ギルバート・グレイプ」という映画が公開され、
友人と見に行った。
とても心に染みる映画で、もう一度見たいと思った。

私は一人でどこかに行くのが苦手だった。
今でも一人でご飯を食べに行ったりカフェに入ったりするのは苦手だ。
電車もバスも、誰かに聞くくらいなら間違えて乗ったほうがいいというくらい、人見知りもする。

「ギルバート・グレイプ」をもう一度見たい。
でも友人は行かないという。
「なんで?あんなに素敵な映画なのに、また見たくないの?」
「うーん、そこまででもないかな。」
感覚の違いにショックを受けた。
ぐぬうううううと悩みに悩んだ末、
初めて、映画を一人で見に行く決心をした。 

「ギルバート・グレイプ」

そして、リオの映画はほとんど見た。
「太陽と月に背いて」では肩甲骨でコルクを開ける姿に「肩こりしないんだろうなぁ〜」と凡人の感想を抱き、年上の同性と接吻することに、
仕事とはいえ受け入れてる彼に驚いた。
ロミジュリみたいな大作にでるようになったかぁ〜。アイドルみたいになっちゃったなぁ〜。
と、もともと知り合いでもないのに、
知り合いが有名になって遠くなっていく様を見ているような少し寂しい気持ちになったりもして。
それからは、リオに限らず、映画をよく見るようになった。レンタルビデオやさんにも通い詰め片っ端から借りた。
この頃が一番映画を見ていたかもしれない。


そして、ついに、あの「タイタニック」がやってきた。


一番最初に見たとき。
例の船の先端のシーンで、私は映画館で風を感じていた。船の先に立って、海から吹かれてくる風を、
ジャックやローズと一緒に、本当に感じていた。
信じられないくらい気持ちよかった。
今でもあの体験はあの時限りである。

タイタニックは、1度ですべて理解するのは難しい。
ジャックだけを堪能すると、ほかがわからない。
もう一度。
そう、わたしはもう一人で映画を見れる人になっていたのだ。


気がつけば。

計70回。

「タイタニック」を映画館で見ていた。


そのうち、英語でセリフが聞き取れるようになっていたし、戸田奈津子さんの訳し間違いにも気がつくようになっていた。ビデオ化されたときは字幕が直っていた。
アイドルとしての地位を確立した映画のように言われるが、そんなつもりではさらさら見ていない。

ジャックの自由な生き方、優しさ、知恵、そして、愛。
ローズはジャックの言葉を心の中に永遠に宿しながら、あの時代の女性としては考えられいだろう数々の「飛行機に乗る」「馬に乗る」といった破天荒な体験をし、そして家族を持ち、幸せに暮らした。
そこが、一番好きなのだ。
男性に従って生きるのが当たり前だった時代に、
たった数時間一緒だった人の言葉で、
一度きりの人生を幸せに楽しく生ききった。
船の先から飛び降りようとしていたのに。
そして最後はジャックの元へ。
「よくやったね。」
あの階段のジャックを見たとき、そういって褒めてもらえるような気がして、今すぐ駆け出して抱きつきたい子供のような気持ちになる。
純粋に好きなのだ。
生きることが素晴らしいって、
教えてくれてありがとう、って。
コーヒーを混ぜたスプーンから、雫を切る方法もこの映画で学んだ。

そんなこんなで、タイタニックに夢中の私は、
タイタニックがノミネートされたオスカーを見に、ロサンゼルスに飛んだ。
リオはそれまでオスカーにノミネートされていたけれど、何故か獲れなかった。
でも、さすがに今回は。
だって、作品賞、監督賞、主演女優賞など14個もの賞にノミネートされてるんだから。
そう思ってロサンゼルスにつくと、友人から電話が来た。

「すぐ、テレビ見て。
レオナルド・ディカプリオ、今、イギリスにいるんだけど。」

「へ?なんで?」

確かにリオは、イギリスにいた。
今、生放送のニュースがそう言っている。
私はロサンゼルスにいる。
オスカーには帰ってくるんじゃない?なんて呑気に思いながら、
オスカーのブリーチャーズシートの入場券を獲得し、手首にまいてもらった。
なのに何故か人数オーバーでブリーチャーズシートには入れなかった。

オスカーの日はロサンゼルス中のリムジンが出払うという。
中に入れなかった私は、タイタニック出演者をおろしたリムジンを追い、一旦路駐したところで運転手さんに、
「このあと、タイタニック出演者のパーティはどこでやるか教えてください」と聞いた。
運転手さんは、タイタニックかわからないけど、とある会場の名前を教えてくれて、また次のゲストを迎えに行くからと走り去った。

もちろん、行く。
ケイト・ウインスレットや監督は、いた。
けど、やっぱりリオは、いなかった。
賞を獲った方が、オスカー像を持たせてくれた。
おめでとう。ありがとう。
生オスカー。感激。

その後、ガチで映画の道に進みたくなり、
ロサンゼルスに留学した。
リオんちが、割と近所だったので行ってみたら、
リオのパパが車でやってきた。
「パパー!」
こっちはパパの顔は知っているが向こうからしたら見ず知らずのアジア人。今思えば当然不審者なんだけど、当時の私はなんの疑問も抱かず、嬉しくて、
家の門を開けてもらおうとインターホンを押してるパパに「パパー!」と呼びかけたら、パパが降りてきてくれた。
「リオの大ファンでね、会いたいんだけど、今日は彼は出てくる?」
怖い。純粋無垢って怖い。
疑われるとは微塵も思っていないあの頃の自分。
パパは「今日は、出てこないと思うよ。
今ね、自分で脚本とか書いてる映画の打ち合わせで〜…etc」
とってもいい人だった。一緒に写真も撮ってもらった。
こんな話をしている間に、一度開いた門は閉まってしまっていた。
またインターホンを押して門を開けてもらい、中に入っていくパパを手を振りながら見送った。

映画の世界は現実の私の日常を変えた。

先日、タイタニックが3Dでリバイバル上映された。
なんと25周年記念だという。
に、25?25周年?って、四半世紀?
ついこないだのように思えるあの映画が
もう四半世紀前?
四半世紀って歴史として語れる時間じゃない?
そして私も70回も見た映画はあのあとないし、
未だにどこで話しても驚かれる。
立派な歴史だ。

その間に、ローズ役のケイト・ウインスレットは
3回の結婚で3人の子供のお母ちゃんになり、
細くてイケメンだったリオは、
ガッチリとした体格になり、
さらには若いモデルとしか付き合わないオジサン枠に入ってしまっていた。
何も変わっていないのはわたしだけらしい。


ねぇ、リオ。
私の隣、まだ空いてますよ?


#映画にまつわる思い出

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