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登山。命を危険に晒す楽しみ

この題名、かなりヤバいだろ。
私は三十四歳から単独登山を毎年、夏に行っている。今は四十五歳であるから、十年以上と言うことになる。と言っても、一年中低山の日帰り登山はするが、泊まりで行くのは夏のシーズンだけだ。雪山に行く技術がないからである。
この十年で行った山で一番過酷だったのは、一昨年の前穂高から奥穂高への吊り尾根か、去年の剣岳か、今年の五月の八ヶ岳の赤岳か、この三つだと思う。このうち吊り尾根と赤岳は悪天候だった。剣岳は良い天気だったが単にもともと過酷な山であった。吊り尾根は、前穂高に登る前から、ガスが出てきて、雨の中をただひたすら、ペンキの○印を追いかけて登攀したので精神的にも追い詰められた。八ヶ岳の赤岳も未明からガスの中を登ったのと寒かったのとで、下山したときは精根尽きた感じだった。おかげで、生き延びたという歓びと共に辿り着いた、穂高岳山荘でのラーメンは人生で一番美味く感じたラーメンであり、赤岳から下山して入った八ヶ岳山荘の温泉は人生で最も疲れが芯から癒やされた温泉だった。
そんな私はこの夏、北アルプスでも最難関の一般ルートと言われているジャンダルムに挑戦しようと思っている。本当は今年はまったりとテント泊を繰り返そうと思っていたのだが、八ヶ岳の赤岳が私の中の冒険心に火を点けた。
落ちたら死ぬという緊張感のもと、それを乗り越え、登頂したときの歓びは半端ない。
しかし、登山で大事なのは冷静に安全重視で行くことである。だから、ジャンダルムには穂高岳山荘から往復三時間四十五分かかるそうだが、私は穂高岳山荘に二泊し、中日の丸一日をジャンダルムに捧げようと思う。朝、山小屋の朝食を食べ、ゆとりを持って天気が良好ならば出発し、ジャンダルムから戻ってきたら、穂高岳山荘でまったりとした時間を満喫しようと思っている。もしかしたら近くの涸沢岳にも登るかも知れないがそこは計画に入れずにそのときの気分に任せようと思う。とにかく今年のラスボスはジャンダルムなのだ。しかし、穂高岳山荘に上高地から行くのに、横尾から涸沢カールを通って登ろうと思っていたが、もう一度吊り尾根に挑戦する時間は充分あることに気づいた。吊り尾根へのリベンジだ。しかし、また悪天候で体力と精神力を使ったら、翌日のジャンダルムに支障が出るかも知れない。しかし、涸沢から登っても、ジャンダルムに挑む前日に天気さえ良ければ、穂高岳山荘から、奥穂高に登ってみるかも知れない。私の自宅から上高地までは半日かかる。だいたい昼過ぎに着く。そこから横尾山荘まで歩くのと、前穂に登るために岳沢小屋に登るのとでは、岳沢の方が近い。う~ん、迷いどころだ。ただ、明らかに、涸沢を登るよりは、吊り尾根を登る方が、ハードである。スリルもある。しかし、さっきも言ったように、ラスボスはジャンダルムなのだ。う~ん、迷いどころだ。
私の趣味のどうでもよい迷いをくだくだと述べてきたが、登山にはリスクが伴う。そのリスクを楽しむくらいの気持ちがなければこの冒険はやろうとは思わないだろう。
私は小説を書く人間である。魔法で敵と戦うみたいな冒険ファンタジーが好きだ。しかし、小説とは所詮、頭の中だけでやるものである。マンガも映画もそうだ。ゲームもそうだろう。
そういう内向的なことばかりしていると、身体がムラムラというか、ウズウズというか、動きたい衝動に駆られる。だから、人はスポーツをするのだし、せめて散歩をするのだろう。
しかし、逆に体を動かすことばかりしていると、内面が粗雑になったりする場合がよくある。そんなとき、じっくりと小説を読むことも大事かも知れない。
私はこのように小説でない文章も書くが、この頭で高山に登り絶景を見たり、スリリングな体験をすると、それを文章化したいという思いになる。だから、山からの景色を見ながら文章を考える時間を作るのが好きだ。あの雄大な景色を心のうちに文章化することは非常に心を浄化するのに役立つ。
文学などを好むタイプの人は、勢い、家に籠もりがちだ。しかし、内向するためにも外に出て体を動かし、大自然の織りなす景色に心を傾けることが必要であると思う。
その景色に辿り着くために命を危険に晒す大冒険をするのも、また良いことだと思う。
大冒険したい人がゲームや小説の中で大冒険しても、本当の大冒険ではない。
まあ、私は現実にできないような大冒険の小説を書いていくが、現実の自分の大冒険を忘れないように心懸けたい。

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