中学校の校則と三島由紀夫を考える
私は四十四歳であるから、ちょうど三十年前、私は中学三年生だった。
当時の私の学校では、「髪を染めるな」とか「タックの入ったズボンを穿くな」とか「第一ボタンを外すな」とか校則がうるさかった。
私は髪を染めたいと思ったことは一度もない。と言うと、「真面目」と思われるかもしれないが、そうではない。ただ、そういう趣味がないだけだ。趣味がないところで「禁止!」と言われてもわけがわからない。それはまるで、「ホラー映画観るの禁止!」みたいに、ホラー映画には全然興味のない人には無意味な禁止事項と同じなのだ。ホラー映画を観ないから、「君、真面目だね」と言われても的外れだと思う。
私がやりたかったのは、制服を着崩すことだ。まず、学ランのボタンを全部外して、中に白いTシャツか、赤いパーカーなどを着ていたらカッコイイと思った。でも、教師より先輩の目が怖くてできなかった。じゃあ、三年生になったら先輩がいないからやったら良かったじゃないかと言われるかもしれないが、私には家庭の事情というかつまり親父が我が校の教頭で、そういう、規則に最もうるさい人間だったため、家ではTシャツの裾をズボンから出すだけで叱られた。学ランも短ランが欲しかったが、親に買って貰えるはずもなかった。
しかし、学ランのボタンを外して登校することは悪徳だろうか?たしかに校則違反なのかもしれないが、人間としてやってはいけない行為だろうか?「タバコを吸うな」はわかる。体に悪いからだ。「嘘をつくな」「盗むな」「殺すな」もよくわかる。まあ、四十歳になって「嘘をつくな」は必ずしも守らなければならないことかなぁ、などと思うが、「盗むな」「殺すな」は絶対に良くない。そういうことを学校で教える前に、「髪を染めるな」とよくわからない部分を禁止されても意味がわからない。髪を染めると何が悪いのか?髪を染めた人間は悪人なのか?イスラム圏では女性が顔や手以外の部分を見せて外出することは禁じられているそうだ。それには宗教的意味があるそうだが、髪を染めることに宗教的意味があるだろうか?日本は自由の国ではないのか?髪を染めることは全然悪くない。校則違反かもしれないが、法には触れないと思う。学ランのボタンを全部外して登校するのも教師たちがガミガミ言うだけで、誰にも迷惑をかけていないし、悪徳ではない。
私は中学生の時、せめて学生服のボタンを全部外して登校するくらいのことをすればよかったと思う。親父にも教師にもそうやってぶつかっていったら良かったと思う。私が三島由紀夫を中学時代に読んでいればそうしたと思う。三島は憲法改正のため人質を取ってクーデターを呼びかけ、それが叶わず割腹自殺した。いわゆる三島事件だが、大人で頭がよく真面目な彼にとってそれが『金閣寺』に書かれた金閣を焼く行為だったのだろうと思う。それは私にとって中学時代に学ランのボタンを全部外して登校することだったように思える。たかが制服のボタンだが、中学時代というか十代の若い頃には、犯罪ではない「金閣を焼く行為」がたくさんあったように思う。十代でセックスをするのはどんな思いだったろう?私は十代の頃セックスがしたくてたまらなく、しかし、自慰で終わってしまった。十代でセックスをすることは私にとって犯罪に近いほどハードルが高かった。しかし、犯罪ではないし、十八から結婚することも法律で認められている。私は自分を信じられなかったのだと思う。好きなことしたいことをして真っ直ぐに生きるのが筋であるのに、大人から、学問は大事ですよとか、セックスのときはコンドームをつけなさいとか(私はコンドームこそ背徳であると思っている)、大人が描く人生のコースから外れることが怖くて、自分らしく生きられなかった。私の芯の部分にはセックスをしまくって十代で子供を作り、働きながら大学に行き、法律か経済なんかを勉強して偉い大人になる、みたいな意識があった。それを大人は「無理だ」と言うかもしれないが、それはそういうことをしてこなかった弱い大人の言葉だ。大学はいつでも行ける。しかし、十代のセックスは十代にしかできないのだ。セックス(コンドーム無しの)は悪徳ではない。私は中学生の頃、ポルノが悪徳だと言われていたから、セックスも悪徳なのかなぁと思っていた。
いや、セックスに話が寄りすぎた。中学の校則に話を戻そう。
中学生には性的な事柄も含め、法律や校則にない、自由な世界がある。恋人と手を繋ぐ、それだけでドキドキじゃないかと思う。それだけでひとつ金閣を焼いていると思う。三島は中学時代、恋人と手を繋いで歩いたことがあっただろうか?初めてのキスも金閣を焼くことだ。あの十代の人生への広がりは、大人になった三島には経験不可能なほど豊かなものがあると思う。中学生など恋人と手を繋いで公園を歩くだけで夢みたいな世界を体験できるものだ。それを体験しないで、何が人生だ。将来のために勉強しろ、はぁ?恋愛をしないで勉強だけしていた奴に、大人になったら幸せになれる素質はあるのか?
私はそんな大人になりました。
中学生の時に、校則を破れなかったばっかりに。恋愛に踏み出せなかったばっかりに。
十代こそ、金閣を焼いても犯罪にはならない時代だ。
焼け、焼け、金閣を。十代のみんな、焼いてこそ人生だ。
大人の敷いたレールの上しか生きられない、つまらない大人になるな。
そう言う私は四十四歳。独身。まだまだ人生を諦めてないよ。
(そう言いながら思うのだが、若者は将来ばかり語り、年寄りは過去ばかり語るものらしい。私もこんなふうに過去を語らず、将来、いや、四十代だからまさに今が人生のピークと思って、今を生きたい。どうやったら金閣を焼けるかな?)
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