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ドーテイ・ヨンジュウ⑦十五歳で親になれる社会を!十代のセックスを考える

私は彼女いない歴四十三年童貞男子だ。
 まあ、私のことはどうでもいい。
今回の記事は十代の性を考えたい。
十代でセックスをしてもいいのだろうか?この問い自体に笑える人は健康的な人だ。私は十代の頃、セックスは禁止されている悪い行為だと思っていた。なぜなら、十八歳以下はエロ本を買ってはいけないからだ。それでいて、学校でセックスの仕方を教えてくれるわけではない。最近の性教育はどうなっているのだろう?若い男性教師と女性教師が実演して説明してくれるのだろうか?少なくとも私が十代の頃は、「セックスのことは自然に覚えるものだ」と教師たちは言っていた。それでいて、エロ本を買うのは禁止なのだからわからない。セックスの仕方は教科書には書いてなかった。だから、青少年たちは法を犯してエロ本やアダルトビデオから学ぶのだった。セックスは違法なのか?悪なのか?十代の私は真剣に考えていた。オナニーでも悩んでいた。オナニーは罪だと思っていた。たくさんの精子を無駄に殺しているという罪悪感のためいつも憂鬱だった。セックスがしたかった。じゃあ、したらよかったじゃないか、という人もいるだろう。しかし、子供ができたらどうする?十代の私には育てられない。避妊をすればいいじゃないか、と 言う人もいるだろう。しかし、私にとって避妊したセックスはセックスではない。不自然だからだ。今の性教育ではコンドームの使い方などを教えるのだろうか?アホか。コンドームなど妥協じゃないか。「コンドームをしないのは女の子のことを考えていない」などと言う奴もアホだ。コンドームなどという妥協策を提供している社会が悪なのだ。自然時代、原始時代、子供の成人年齢は十五歳くらいだったと思う。それが社会が複雑化し過ぎたために、自然の人間と社会の人間が分離してしまった。自然に社会を合わせるべきだ。ジャン・ジャック・ルソーは言っている、「自然に帰れ」と。今の大人たちは、そのことを真剣に議論すべきだと思う。LGBT、ジェンダーとか言っているよりも、もっと性の基本的な所を考えるべきだ。大人たちにしてみれば過ぎ去った過去として笑いの対象かもしれない。しかし、社会の変革をするのはこれから先の未来の子供たちのためだ。十五歳で親になれる社会を作るべきだ。たしかに十代で親になるには難しい複雑な社会だ。それならば、勉強しながら子育てができる社会ができればいいと思う。
 
いや、私は大人たちが議論すべきだと言った。しかし、時代を変えて来たのはいつも若者だった。このセックスの問題を真剣に考え、声を上げるべきは、十代の当事者たちだ。十代の男と女よ、君たちはなんのしがらみもなく、自由に思う存分セックスをしたいと思わないか?そして、子供を育ててみたいと思わないか?恋をする気持ちを知っている年齢ならば親になりたい気持ちもあるだろう。
 
十代の男女よ、立ち上がれ!

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