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なんのために統合失調症になったか

私は統合失調症を患っていて、そこからのリハビリについて考えている者だ。

上の写真は古代ギリシャの哲学者アリストテレスの学園リュケイオンの遺跡だ。今回はアリストテレスの哲学を使って統合失調症について考えてみたい。

さて、この稿の題名を『なんのために統合失調症になったか』にしたが、そうではなく、『なぜ統合失調症になったか』にしようか少し迷った。だが、文章全体のメッセージを考えると絶対に、『なぜ』ではなく『なんのために』がいいと即決した。
その理由を述べる。

先に述べたように、哲学の話をしたい。その理由は後でわかる。

古代ギリシャの哲学者、アリストテレスはその主著『形而上学』において、「原因」というものには四種類あると言った。
それは、「始動因」「形相因」「質量因」「目的因」の四つである。こう言われてもピンと来ない人も多いかと思うので、比喩を使って説明する。アリストテレスもそうしたように、私も「彫刻」を例に取ろうと思う。ここでは有名なミケランジェロのダビデ像にしようと思う。イタリアのフィレンツェにある大理石の彫刻だ。

このダビデ像が作られた原因をアリストテレス風に四つに分類する。
まずは「始動因」。これは彫刻家ミケランジェロがこの彫刻を彫ろうと決めた情熱、あるいは最初に振り下ろされたノミを叩くハンマーであると言ったらいいかもしれない。
次に「質量因」。これは大理石のことである。大理石がなければいくらミケランジェロに情熱があってノミを振るっても空振りするばかりだ。
次に「形相因」。これは彫刻家ミケランジェロが大理石の中に見た、ダビデの形、完成のイメージのことだ。これがなければどんなに大理石を彫ってもダビデ像にはならない。
次に最後「目的因」。これはミケランジェロがダビデを彫る目的である。「なんのために彫るか」ということで、名声のためとか、富のためとか、芸術的情熱を成就させるため、などが考えられる。これは「始動因」で挙げた情熱にも似ている。「始動因」という原因は時間的に過去にあり、「目的因」という原因は時間的に未来にある。

この考え方は一神教のキリスト教世界に大きな影響を与えた。
「始動因」とはこの宇宙を創った神の存在を想定させるからだ。「質量因」は宇宙の物質は何でできているかを考えさせるし、「形相因」は神が宇宙を創るときの設計図の存在を匂わせる。「目的因」も神がなんのために宇宙を創ったか、を考えさせるものだ。
「なぜ」宇宙はあるか、と問うたとき、「始動因」を考える人もいるし、「目的因」を考える人もいるだろう。あるいは、「なぜ」自分は存在するか、と考えたとき、「始動因」に着目すれば両親がセックスをしたからという直近の「始動因」を考え着くか、そのずっと前、人間が宇宙に誕生した「始動因」、いや、結局、宇宙の最初の「始動因」にまで遡ることになるだろう。「目的因」に着目すれば、自分が存在する原因は「死ぬため」、とはならず、ここにまさに「人間の人生の目的とはなにか?」という疑問が浮かぶわけだ。

さあ、ここで本稿の最初に述べた、稿の題名を、「なぜ」ではなく、「なんのために統合失調症になったか」にした理由がわかるわけだ。
つまり、「なぜ」にすれば、多くの人が「始動因」つまり過去の原因に目を向けることになるだろう。「あのとき、あれがあったからだ。もっとこうすべきだったんだ」とか、いまさらどうにもならない過去にばかり囚われて埒が明かないことになるだろう。
では「目的因」を考えたらどうだろうか?原因は未来にあると考えるのだ。
「なんのために統合失調症になったか」
これが前向きに考えるということだ。

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