見出し画像

ドーテイ・ヨンジュウ

最近、子育て支援についての話題が多い気がする。
やかましいわ。
私など彼女いない歴四十年以上の童貞だ。
なぜ、童貞かと言うと、セックスすると子供ができる、そうなると子育てのカネが要る、だから働いていない学生にはセックスは禁止みたいなもので、コンドームとか妥協手段があるけどそれは潔くない気がするからセックスしないで、セックスする可能性を断つためには彼女を作らなければいいわけで、そのためには彼女になりそうな人と友達になる前に関わらなければいいということがわかるわけだから私は学生時代に女友達を作れなかった。
先が読めない奴に限って若くして子供を作る。そして、子育て支援を訴える。
やかましいわ。
子供がいるだけでどれだけ贅沢か、セックスするパートナーがいるだけでどれだけ贅沢か。

しかし、よく考えれば、私もカネさえあれば子供を育てられるし、そのためのセックスもできるし、ということは彼女もできるし、ということは女友達ができるんじゃないかと人間関係に余計な怖れを抱かずに済むわけで、青春はバラ色だったかもと思えなくもない。

というか、上記のように歪んだ考え方のためか、私は高校生のときに精神病に罹ってしまい、なんとか大学を卒業するも、バイトで月収七万円程度のワーキングプアの二十代を送り(ようするに親のすねをかじっていた)、三十代になってパートの仕事でようやくワーキングプアから抜け出すも、しょせん臨時職員、給料は安く、休日の昼に独りでラーメン屋に行ってラーメンを食べる贅沢、好きな本を読む贅沢、そんなことを楽しみにしている私だが、精神科で知り合った年上の友人などは働けず、障害年金と母親の年金で暮らしていて、ケイタイも持つカネはなく福祉施設に通っていて、自動車免許も持ってなく、この前会った時に私の安い軽自動車を見て「カッコイイ」と嘆息するほどで、そんな友人と比べればいかに私が贅沢か、そんな私と比べたら、セックスするパートナーがいて子供までいる人がいかに贅沢か、そんなふうに思う私は、二十五歳ぐらいから小説家を目指していて、小説が売れればカネが入り、彼女ができ、結婚して子供ができ、と思っていたが毎年新人賞に投稿するも落選を続けて十五年あまり、いまだに懲りずに今年こそはと思っているバカなのだが、そう思わせるものは、結局カネ。

そんなふうに言ってると、「おまえはカネがないと恋愛ができないと言うのか?」と叱られそうだが、いや、カネがないから心に余裕がなく精神病で、余裕のない心でしかも精神病で恋愛って非常に難しく、経済的余裕ってのはどれだけ心に余裕を持たせるか、働けない時期に食費だけでもと親に収めるカネを下ろすたび貯金がどんどんゼロに近づいていく恐怖から障害年金にすがりつくまでの私の心の旅路を辿っていただくことができたらわかってくれると思うし、精神病でなくとも、私は経験がないが生活保護を受けるために住み慣れた家を売ることなんかもどれだけ辛いか、そう思うと私は精神面のどん底経験はあるが経済面のどん底経験はないことに気づいて、世の中で一番苦しんでいるのはホームレスの精神障害者じゃないかという結論に至る。

そうだ、私はマシなのだ。両親と三人暮らし、あ~、よかった、よかった、って言えるか?両親はそのうち死ぬぞ、そうなると一人暮らしだぞ、家は私が生まれる前におじいちゃんが建てた家だ、建て替えたいと思っているが、小説が売れたら建て替えてあげる、とお母さんに毎年言っているが、お母さんにはそれは妄想だと毎回否定される悲しさ、それと結婚して子供ができたらと思うとそれなりの家を建てたいと思うのだが、現在パートタイマーの私にはその経済力はなく、現実を見ろとか言って小説家の夢を捨てるのも嫌で、夢を捨てたら生きてる意味もないんじゃないかと思えて、その考えが歪んでいるのだと言われそうな気もするが、仮に「まともな」生き方を始めて、例えば現在の介護職員という仕事を一生の仕事にするのはそれはそれで「まとも」でいいと思うのだけど、そうなるとこれまで長い人生付き合ってきた「夢」の価値を全否定することになりそうで、いや、「夢」って本当に大事で、とくに努力して夢を叶えることが大事で、夢のために努力している私から見ると、宝くじや競馬で「夢」を見ている人がかわいそうで、私が介護職員になって宝くじや競馬に夢を費やすようになったら終わりだと思う。

この辺で、今回の記事は終わりにしようと思うのだが、Go To Travel Go To EatがあるならGo To Sexがあってもいいんじゃないかと、洒落てみようと思って書き始めたわりに、書いているうちにマジになってきて、「夢」を語れたような気がするが、どうだろう?何の努力もしないで、宝くじや競馬にカネを賭けて「夢」を費やしてしまう一般の人より、精神は病んでいるし経済的にも貧しい私だが、「夢」に向かってマジになっているところが、私の価値であるような気がしてきた。noteで「統合失調症」で検索すると出てくる人たちの中には、かなりの割合で「夢」を持って生きている人が多いと思うが、「健常者」から見れば「妄想」とされそうだが、その「健常者」たちの中でかなりの割合の人が努力の要らない宝くじや競馬なんかに「夢」を託しているんだから、あ~、あほらし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?