見出し画像

統合失調症患者は障害者か?

私は統合失調症を患っています。十六歳で発症し、約二十五年間この病気と付き合って生きています。人生の半分以上です。

しかし、私は自分を障害者だとは思っていません。健常者だとも思っていません。そういう風に人間を区別してはいけないと考えています。精神を病んでいる人から見れば、車いすで生活していても精神が健康な人は健常者です。逆に車いすで生活している人から見れば、精神病でも五体満足な人は健常者と思えるかもしれません。あるいは花粉症で苦しんでいる人を世間では障害者とは言わないと思います。

障害者とはどんな人のことを言うのでしょうか?

法的には「障害者手帳を持っている人」と定義してもよさそうです。しかし、統合失調症に関して言えば、この病気は回復していく病気です。この回復の過程にある人を障害者としてしまうと、人間は「完全に健康な人」と「障害者」の二種類しかいないことになりはしないでしょうか?メディアなどで最近使われるようになった「とーしつ」という言葉、統合失調症患者を指した言葉ですが、私はこの言葉が嫌いです。なぜならば「私はとーしつです」などとアイデンティティを持ってしまっては、回復の妨げになると思うからです。私が思うのは、統合失調症を患っている人は、常に幸福になるための途中にいる人だということです。幸福とは病気が治ることかというと私はあまりそのように考えません。病気が治ることを目標としてしまうと、ただ健康な人と同じスタートラインに立つだけで、人生の目標としては弱いと思います。むしろ、病気が治らなくてもいいから自己実現できたらいいと思います。これは最近よく使われるようになった「リカバリー」という言葉に要約できるかもしれません。では、自己実現とは何でしょう?これは人それぞれ違うと思いますが、最近、私が考えるのは、死ぬときに「自分の人生はこれでよかった」と満足して死ねるかどうかということです。その場合、「統合失調症に罹ってよかった」とさえ思えるかもしれません。ただ、統合失調症の急性期は非常に辛いものです。せめて、ある程度、病が軽度になってから自己実現を目指すべきだと私は考えます。

病が軽度になっていくための道があり、それがそのまま自己実現につながる道になっていて、その道を歩いて行くことが統合失調症患者の心のリハビリであると私は考えます。

ほら、自己実現への途中というのは、いわゆる健常者だってみんな同じではないでしょうか?

むしろ、統合失調症は辛いから、リカバリーや自己実現を考えざるを得なくなります。これはチャンスだと思えませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?