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統合失調症「心のリハビリを考える会」を考え直す

私がnoteを書き始めたのは、社会福祉士の資格を取り「当事者ソーシャルワーカー」として、精神を病んでいる人、特に統合失調症を患っている人を集めて、「心のリハビリを考える会」を開き、その報告を発表する場として、noteを使用しようと思ったからでした。しかし、実現したのは、かつて私が通っていた精神科デイケアのメンバー二人を集めた初回だけで、そのあとはコロナが流行ったために開けませんでした。いや、コロナのせいにするのは、本当のところ言い訳で、私が会を開こうとしても、誰も集まらないのではないかという、不安があったのです。

実際、note上で、「ネット版心のリハビリを考える会」を開こうと思い、賛同してくれる方はスキを送って欲しいと呼びかけたのですが、結果は芳しいものではありませんでした。それ以降は、ソーシャルワーカーの頭文字SWを名乗っていた私は、ストーリーライターの頭文字SWとして、文学や哲学など自由に書きたいことを書くようになりました。それは楽しいことでした。

しかし、「心のリハビリを考える」という当初の志は常にありました。しかし、考えてみれば、私は社会福祉士の資格は持っているものの、その資格を活かした仕事はまったくしていなく、ペーパーソーシャルワーカーであるため、福祉活動として「心のリハビリを考える会」を立ち上げるなど、自信はありませんでした。しかし、私が「統合失調症」や「心のリハビリ」について文章を書くと、多くの方が読んでくださり、スキを送ってださる方、コメントをくださる方もいます。そこで、私は「会など開かなくともこのままでいいのではないか」と思うようになりました。このまま文章を書き続け、統合失調症当事者やその他の精神障害の当事者やそれに関わる人に読んでいただけたらいいのではないか、と考えるようになりました。しかも、私には哲学や文学など福祉とは関係ないことを書いても、それについてスキやコメントを送ってくれフォローもしてくれる方がいるので、統合失調症を軸に置きつつも、あらゆることを対象に文章を書いていこうと思うようになりました。

ただ、統合失調症については、ずいぶん自分の意見を書いてきましたが、自己主張ばかりで、他者の意見を聞けていないという弱点があったように思います。これでは「心のリハビリを考える会」を立ち上げようと思った頃の私の考えとはずいぶん離れてしまっています。
私は「会」を開き、自分の意見は控えるファシリテーターになりたいと思っていました。ですから、私が言って来た「服薬は継続するべし」とか「病気のことは伏せて就労するべし」などというのは、ファシリテーターが言うべき内容ではないと思います。
私は現代の精神医学を信頼しています。宗教やスピリチュアル、あるいは鍼灸などを信じていませんが、noteを読んでいると、宗教やスピリチュアル、鍼灸、あるいは啓発本などを信じて、「回復した」という人が多いことに気づきました。
私がファシリテーターならば、私が信じていなくとも、他の人が信じているならば、それを否定することはできません。むしろ、私にはない思想を述べてくれる方こそ大歓迎なのです。そうすれば議論がより高次の物になっていくと思います。
ただ、明らかに反対しなければならない思想は、「精神病で苦しいならば自殺すべきだ」とか「憎い奴は殺すべきだ」などと、生命にかかわるような重大なことについては否定しなければなりません。
ようは統合失調症のような精神病になっても、人生に対してプラスに考えている人の思想を自分の考えと違うからと否定すべきではないということです。
ただ、私はこれからも私の意見をnoteに書いていきたいと思います。当然、それに反対する意見の方が出てくると思います。それでもいいと思います。多くの人が統合失調症になったらどう生きるかを考える場として、noteのいわゆる「統合失調症界隈」が存続してくれればと思っています。

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