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小説『電車読書』

        *

ぼくは電車の中で文庫本の小説を読んでいた。
国家試験の受験資格を得るため、隣の県の地方都市にある大学へスクーリングを受けに行った帰りの電車の中だ。三十九歳のぼくにとって今後の人生を考えるとこの国家試験はすごく重要な試験だったから、電車の中でも勉強をして試験で高い得点を得られるようがんばることが大事かもしれなかった。でも、ぼくは小説が好きだったし、「勉強だけ」というのが嫌いだった。大学受験のときにそれをやって大した効果はないことを知った。適度に遊んでいるほうが物事はうまくいくし、失敗しても他に楽しみがあれば破滅するようなことはないのだ。
で、ぼくは電車の中で文庫本の小説を読んでいた。周囲を見渡すと、スマートフォンをいじっている人が多かった。文庫本や新聞を読む人の数より、圧倒的に多かった。
彼ら彼女らを見ていると、まだ世間にスマートフォンが流通する前、ぼくが大学生の頃のことが思い出された。


       一、

夏、二十歳のぼくは電車の中で文庫本の小説を読んでいた。通学のため、郊外から都心のS駅に向かう午前八時頃の電車だ。
他にも客が大勢いて、その多くが文庫本や新聞を読んでいた。
吊革につかまって立っている乗客を挟んで向かいの席に大学生と思われる美しい女性が座っていた。彼女も本を読んでいた。ぼくは彼女の美しさに惹きつけられた。いつもこの時間にこの同じ車両(後ろから三両目)でよく見かけた。
ぼくはS駅でその他大勢の客と降りたが、彼女はいつも降りなかった。S駅よりもさらに先の都心に通学していたのだろう。
ぼくは毎日彼女を見ていたので声を掛けたかった。でも、向こうはぼくの存在など眼中にないかもしれないし、彼女は他人だ。都会の電車の中で声を掛けるのは不適当と思われた。だけど、ぼくはもう恋をしていた。

大学の講義を受け、S駅にて午後の四時半の帰りの電車に乗った。いつものように進行方向前から三両目だ。もちろん、説明するまでもないかもしれないが、登校時は後ろから三両目、帰宅時は前から三両目に乗るのは、ぼくの利用する駅のホームの乗り降りに便利なのがたまたま三両目だからだ。そのいつも使う三両目にはいつもの席にいつものように彼女が座って本を読んでいた。彼女もまた三両目が使いやすいのだろう。ぼくは向かいの席に腰かけて、文庫本を開いて小説を読み始めた。
ぼくは彼女がどの駅で降りるのかを確認したいと思い、ぼくの独り暮らしの自宅アパートがあるM駅をやり過ごした。
客たちは次第に少なくなっていった。彼女は降りず、ずっと本に目を落としていた。
ぼくはチラチラと彼女を見た。彼女は動かず本を読んでいた。


        二、

次の駅で多くの乗客が降りたが、彼女は降りなかった。すると何名か乗り込んできた乗客の中に、ハンチング帽をかぶったパンダがいた。彼はぼくの前に立った。
彼はぼくに言った。
「ほう、小説を読んでいるのかね?」
「はい、まあ」
「小説はいい。心が豊かになる。私も読もう」
パンダの男性は皮の鞄からハードカバーの本を取り出した。
ぼくは質問した。
「パンダも小説を読むんですか?」
「小説を読まない者はいない。知性を持った動物ならばね」
「読まない人間もいますよ。パンダもふつう読まないでしょう?」
「みんな読むんだよ。なぜなら人生は小説だからだ。出会った一人ひとりが小説であり、その数だけ自分の中に小説が生まれるんだ」
「あなたは作家ですか?」
「私はパンダだ。小説を書くパンダだ。そして君も小説を書く人間だ」
「え?ぼくは小説を書いたりしませんよ」
「時間の流れを認識できれば、みんな小説を作ることになる。過去と未来をつなげることが小説なのだ。目の前の現在しか考えられない動物は小説家ではない。過去と未来をつなぐことができればその者は小説家なのだ。しかも小説はひとつではない。パンダや人間は他人の過去や未来を覗くことができる。それは小説を読むことになる。そして自分の人生という小説に他人をたくさん入れることでそれは豊かな小説になる。パンダも人間も小説家なのだ」
「はぁ、なんかすごい哲学に騙されているような」

駅に着き、多くの乗客が降りていった。向かいに座って本を読んでいる美人女子大生は降りなかった。パンダも降りなかった。ぼくも降りなかった。
ゴリラが乗ってきた。首にネクタイを締め、手にはバナナを一房とハードカバーの本を一冊持っていた。
ゴリラの男は言った。
「ウッホッホ、パンダさん、こんにちは」
パンダは答えた。
「なんだね?買い物かね?」
ドアが閉まり電車は動き始めた。
「バナナを買ったよ。あげようか?あげない」
「どっちなんだね」
「あげない」
「じゃあ言うな」
「バナナはおいしい。でも、小説はもっとおいしい」
ゴリラは本を開いた。
ぼくは訊いた。
「ゴリラも小説を読むんですか?」
ゴリラは答えた。
「あたりまえだ。電車に乗ったら小説を読む。そして、バナナを食べる。これが鉄則だ」
ぼくは訊いた。
「バナナと小説はどちらが大切ですか?」
「どちらも大切だ。バナナは体の栄養に、小説は心の栄養になる」
パンダは言った。
「体と心は別のものだと君は考えるのかい?」
ゴリラは言った。
「別のものというわけではないが、バナナで摂った栄養を使い小説を読む。小説を読んで得た心の活力でバナナを得る。バナナは小説だ。小説はバナナだ」
パンダが言った。
「では、人間にとってはごはんがバナナで、パンダにとっては笹がバナナなのだね?」
ゴリラは言った。
「そうだ。そして、バナナは小説なのだ」
ぼくは訊いた。
「ごはんは小説ってことですか?」
「そうだ。人間にとって、ごはんは小説なのだ」
と、ゴリラは自分の胸をドンと叩いた。
ぼくは意地悪く訊いた。
「では、おかずは?」
ゴリラは答えた。
「哲学、批評だ」
その即答にぼくは訊き返した。
「哲学?批評?」
ゴリラは言った。
「批評は作品がなければできないだろ?哲学は・・・」
電車は駅のホームに滑り込んだ。アナウンスが聞こえた。
「ササヤマー、ササヤマー」
パンダは言った。
「では、私はここで降りる。さあ、今晩は笹をたらふく食べるぞ。じゃあ、またね」
パンダは降りていった。
向かいの女子大生は降りないで、まだ、座ったまま本を読んでいた。
ほとんどの客は本を閉じて降りていった。残ったのは、女子大生とぼくとゴリラと、他数名のサラリーマンだけだ。
「哲学は・・・」
まだ、ゴリラは言っていた。電車は動き始めた。
「哲学は小説に包摂される」
「え?」
「哲学は小説の一部だ」
「すごいことを言いますね。でも、小説よりも哲学のほうが歴史は古いじゃないですか」
ゴリラは言った。
「小説というか物語だ。物語は原始からある。宗教とセットで存在していた」
「宗教ですか?じゃあ、みんな電車の中で宗教をしていると?」
「そうだ、宗教だ。小説も、インターネットも宗教だ。そして、宗教は小説だ」
「インターネットまで出てくるんですね」
「君はまだ知らないだろうが、近い将来、電車の中でもインターネットをするのが当たり前になる。それと小説のどこが違うと思う?」
「ぼくは将来を見たことがないからなんとも言えないんですけど」
「小説は現実だと思うか?」
「いいえ」
「小説は現実の一部だ。だから、この世に存在している」
「まあ、たしかに」
「この世から本がなくなっても、電子書籍がなくなっても、小説は存在し続ける」
「壮大なロマンですね」
駅に着いた。アナウンスが言う。
「ミツリンー、ミツリンー」
ゴリラは言った。
「じゃあ、私はこれで。ほら、バナナを一本やろう。じゃ、また」
ゴリラは降りていった。向かいの女子大生はまだ座って本を読んでいた。
車両の中を見渡すと、ぼくと彼女の他に客はいなかった。ぼくはバナナの皮を剥いて食べ始めた。外はもう日が落ちて暗かった。
 

        三、

電車が動き出すと、彼女は本を閉じて立ち上がった。そして、ぼくのほうに近づいてきた。
彼女は言った。
「来てください。見せたいものがあります」
ぼくは彼女についていった。車両の前の連結部のドアを開け、前の車両に移った。
そこは図書室だった。電車の車両であるはずが窓もなく、壁一面がつややかな木でできた書棚だった。天井からは電球がひとつぶら下がっていて、暗い図書室を照らしていた。床は板張りで中央に木製の丸いテーブルがひとつと、座り心地のよさそうな椅子が二脚あった。そのひとつに彼女は座って言った。
「あなたの好きな本だけを集めた図書室です。好きなだけお読みなさい」
ぼくは書棚を見渡した。ぼくがまだ、読んだことのない小説ばかりだった。ぼくはそのうちハードカバーの一冊を手に取ってみた。


『自殺者の謎』
 
これは推理小説だ。読み始めたら、ぼくは周囲を忘れ、その世界にのめり込んでいった。
 

ある検事の男が自分の部屋で胸にアイスピックを刺して死んでいた。当時部屋は密室だった。
机の上にダイイングメッセージが残されていた。
「私は殺される」
警察は殺人事件として捜査を始めた。
刑事は机の上に載っていた「私は殺される」と書かれた便箋の横に本が置いてあるのを見た。その本は、死んだ本人が書いた本で自費出版をもくろみ試しに何冊か製本したものだった。それは小説だった。

『自殺という他殺』
男は少年時代から勧善懲悪の小説をよく読んでいた。それらの小説には悪者が出てきた。悪者は善良な弱い者を虐げた。主人公は悪者と戦った。そして悪者は死んだ。物語は常にその骨格を保っていた。男は現実の中にも小説と同じように悪者がいると思い込んだ。自分は正しい人間だと思っていた。刑事事件を扱う検事となった男は悪人に重い刑罰を与えることに生きがいを感じるようになった。しかし、人生も半ばとなり、勧善懲悪ではない純文学を読むようになった。すると疑問が浮かんできた。犯罪者を重い刑に送るのは、正義だろうか。法律家としてではなく人間として。男は自分を責めた。敵は自分の中にいた。勧善懲悪の物語が自分の中に犯罪者の存在を全否定する思想を形成させたのだった。犯罪者も人間であり良い部分もある。それに気づいたのは四十歳になったときのことだった。男は絶望した。ある死刑になった男の顔が心に浮かんだ。彼は死んだ。その死に加担したのは自分だった。自分は法治国家に守られた位置にいて公然と人を死刑に落とせるのだ。自分はそんなに正しいのか?人の命を奪う資格があるのか?人を死刑に追いやることは殺人ではないのか?そう思っている頃、殺人事件の担当となった。凶悪な人間を死刑に追い込むのだ。その人間は死刑となった。検事の男は錯乱した。法に則っただけとはいえ、法が殺せと言えば自分は人を殺すのか?これまで死刑にしてきた者たちの声が彼を追い詰めた。「おまえも死ねよ」「正義を盾に人を殺していいのかよ」。男は自室のドアの鍵をかけ、「私は殺される」とダイイングメッセージを残してアイスピックを胸に突き刺した。

『自殺という他殺』という小説はこのようなものだった。刑事は読み終えると眉をひそめた。この小説の主人公は明らかに著者で、著者は小説の主人公とまったく同じ死に方をしていた。


これは推理小説ではないな、とぼくは思った。自分を死に追い込んだのは自分の罪の意識だったというわけだ。小説内小説の題名、『自殺という他殺』を作品名にしたほうがいいのではないかと思った。自殺に追い込むのは自分ではなく他者である、社会である、そういった意味では完全な自殺など存在しなく、ただ、他殺だけが存在するということになる。自殺に追い込むのは精神的な他殺なのだ。
しかも、この小説の場合、直接自殺に追い込んだのは純文学だ。勧善懲悪の娯楽小説だけを読んでいれば悩むことなく暮らせたかもしれないのに、なぜ、彼は純文学を読んだのだろう。
ぼくはこの『自殺者の謎』という本を書棚に戻した。
さあ、次は何を読もうか?
椅子に座って小説を読んでいる女子大生に訊いた。
「お勧めの本などはあるんですか?」
彼女は笑顔で言った。
「全部。ここにある本全部がお勧めです。全部あなたの好む本ばかりですよ」
「ありがとう」
ぼくは書棚の前を本の背表紙を読みながらゆっくりと歩いた。そして、また、一冊手に取った。ぼくは椅子に座ってその本を開いた。


       四、

『残像としての物語』
 
扉に次の短い一文が三行に分けて書かれてあった。


物が動く、
     その残像が、
           物語。
 

うむ、どんな本だろう。この書き出しにはどんな意味があるのだろう。ぼくはページをめくって読み始めた。


私は最初、プロサッカー選手を目指していた。ワールドカップで優勝し英雄になりたいと思っていた。具体的に、あるスーパースターの背中を追いかけていた。自国の背番号十番を背負ってワールドカップをこの手で掲げるのだ。だが、十四歳の頃、地元の少年スポーツクラブでレギュラーになれなかったので諦めた。
そこで、次に私は歌手になりたいと思った。具体的にすでに世界的な名声を手に入れた歌手の真似をした。だが、三十歳になっても芽が出ないので諦めた。
そこで次に私は小説家になりたいと思った。過去の失敗を生かして世界的な小説を書くのだ。具体的に憧れの作家がいた。彼はノーベル文学賞を受賞していた。私はいくつもの新人文学賞に原稿を送った。その度に落選した。だが、次こそはと思い、原稿を送った。落選した。一次選考にさえ通ったことはなかった。私は時代が自分を認めてくれないことを嘆いた。だが、いつか世の中が私の小説の価値を認めてくれるかもしれないと思い、書き続け、投稿し続けた。そして、落選し続けた。そんな生活を五十年間続けて、現在は八十歳で生活保護を受けながら独り暮らしをしている。結婚歴はなく、子供も孫もいない。ひたすらノートに鉛筆で小説を書いている。原稿用紙は値が張るので、大学ノートに小説を書いている。小説はどんな紙に書かれているかに価値があるのではない。中身に価値があるのだ。だから、大学ノートに書かれた小説もノーベル賞をもらう可能性があるのだ。
私は子供の頃から憧れを追いかけてきた。偉大な成功者の残像を追いかけてきた。だが、これは私だけに当てはまる生き方ではないのではないか。つまり、人間は必ず誰かの残像を追いかけて生きているのではないか。
人間は自分が生まれたときのことを覚えていないし、死ぬときのことを知っているのではない。誰かが生まれて死ぬのを見て、あるいは聞かされ、自分は母から生まれ、死んで土になるのだと認識する。「生まれて死ぬ」という物語の中に我々は囚われている。人生は物語であり、物語という牢獄なのだ。
人間は人生に二度、必ず主人公になれると言われる。生まれるときと、死ぬときだ。だが、繰り返すが、私達人間には自分が生まれたときの記憶はなく、死ぬときの経験もまだない。つまり、生まれて、死ぬ、という物語は自分の物語ではなく他の誰かの物語ということになる。私達人間は、他の誰かの物語の中を生きることを強いられている。それは私のように物語作品を書くことを選んだ人間だから強く感じることなのだろうか。「意識」が「私」だとしたら、私は生まれたこともなく、死ぬこともない。
生命は生まれ、死ぬが、私という意識は生まれず死ぬこともない。では意識は、生命が生まれる前、死んだあとどこにどのようにあるのか、またはないのか。それは私にはわからない。
ただ、人は生きている。動くことができる。これは体を動かせない重度障害者を排除することではない。動くこととは脳や心臓などが動くことも含まれる。いや、ただ存在しているだけでも周りが動けば自身が相対的に動いていることになるのではないか。動く物には残像がある。それが物語となる。
私はこの歳になるまで誰かの残像を追いかけてきた。そこで若い人に言いたい。人間のあるべき姿は、誰かの残像としての物語を生きることではない。物語のないところに、予想もできぬ未来を切り開く、そこに生きる場所があり、そのあとに彗星の尾のように残像が物語として残るのだ。
私のこれまでの人生は彗星だった。
夢を追い続けてきたこの人生。誰かの彗星を追い続けたこの人生、自分の人生だったろうか。私の彗星は美しかったろうか。
私は絶望しない。必ず彗星の尾を残して死んでゆく。まだ八十歳だ。百歳まで生きるとしたら、二十年ある。その二十年でできること、それは小説を書くことだ。小説が私の彗星の尾だ。八十歳にもなって無名なのにノーベル文学賞を真剣に狙っているのは私くらいのものだろう。狂気かもしれない。でもそれでいいのだ。それが私の生き方だ。


ぼくは本を閉じた。目を閉じた。小説を書き続けた老人の彗星を脳裏に浮かべた。この小説の主人公の生き方は真似したくない。だが、ラストの彗星の比喩は良いと思った。誰の人生も否定できない、否定してはならないと、この作家は言っているようだ。人生は彗星、うん、ぼくも光の尾を残そう。                     
ぼくは女子大生に言った。
「いい小説だったよ」
女子大生は小説を読んでいた顔をこちらに向けて微笑みを浮かべて言った。
「それはよかった」
ぼくは本を書棚に戻した。
「次は何を読もうかな」
「お好きなものを」
女子大生は言った。
ぼくは分厚い一冊を手に取った。


       五、

『交差点を行き交う小説たち』
 
多くの人物が登場する小説だった。ぼくは、すべての登場人物を覚えることができなかった。読み進むにつれ、重要でない人物の名前や特徴を忘れてしまった。
なんとなく場面のイメージだけが頭の中を流れていった。その小説のテーマも筋もわからなかった。それでもぼくは読み続けた。
筋の展開がどうなるのかというおもしろさだけでなく、作品全体のイメージがどう構成されていくのかがおもしろかった。
題名と内容が最終的にどう結実するのかが読みどころだった。
そうだ、ぼくは、おもしろいというだけでは満足しない読者だった。


私はスクランブル交差点だ。私の上を毎日多くの人間が歩いて渡る。この小説でそれらの人々が背負っている荷物について語りたい。
私が不思議に思うのは彼ら彼女らが、それらの荷物を本当に大切に持ち運んでいることだ。なぜ、人間は荷物を運んでいるのだろう?どこへ届けるのだろう?何を届けるのだろう?私にはまったくわからない。たいした荷物ではないだろう。その人には大切な物でも一般的に見ればたいした物ではないだろう。
具体的に見てみよう。
ある若い女性。持っているのはハンドバッグひとつ。中には、財布、携帯電話、化粧品、生理用品。財布の中身は・・・あれあれ、こんなに少額ですか。高級ブランドのバッグと財布のほうが中身より高い。そういえば着ている服も高級ブランド。髪はパーマをかけてオシャレに決めているつもりらしい。顔のメイクは濃く彼女の理想の顔のイメージがわかる。彼女にとって大切な荷物とはバッグの中身ではなくその外見なのだろうか?
おや?思慮のありそうな、年寄りの男性が歩いてきた。鞄を提げている。その中身は?おお、外国語の本が何冊か入っている。ほう、小説と哲学書だ。それから書類がある。論文だ。頭の禿げたこの年寄りは学者だ。文学とか哲学とかそういった類だ。だが、表情が芳しくない。不安で何かに怯えているようだ。この学者先生、教養はありそうだけど美しくないな。禿げているからとかじゃなくて、精神が。精神は顔に出る。表に出る。
では、さっきの若い女性はどうか。メイクに高級ブランドで着飾った女。せっかく若いのに顔は化粧の厚塗りで原形がわからない。かえって思慮が足りないことを表現してしまっていることに本人は気づいていない。やはり、精神は表に出る。私は交差点であるから毎日、星の数ほどの人々を見ているので人を見る目は肥えている。だから、表面を見ただけで内面がだいたいわかるつもりだ。いや、表面と内面の区別などそもそもあるのだろうか?
まてまて、内面とか表面とかの話ではなかった。今、私が注目しているのは、人々の運ぶ荷物だ。どこからどこへ持っていくのか。なにを持っていくのか?学者の運ぶ論文と、若い女性のブランドバッグとどちらのほうにより価値があるのだろう。学問的に見ればやはり論文か?だが、この学問があるとは思えない女性にとって自分のバッグは大切なもので、禿げたじじいの論文など価値のない物だろう。でも、まてよ。こうして、価値というものを相対化するのは正しいことなのだろうか?人にはそれぞれの価値観があるというが、絶対的価値というのはないのだろうか?もう少しわかりやすく言えば、私というスクランブル交差点を行き交う人々の中で最も価値のある荷物を運んでいる者から、最も価値のない荷物を運んでいる者へと序列をつけることはできないだろうか。
相対化?蓼食う虫も好き好き?
今、問題にしているのは荷物だ。宛先までがこの荷物の価値に含まれるかもしれない。
私はスクランブル交差点だ。私は何も運ばない。私の上を、運ぶ人々が通るだけ。
私は彼ら彼女らの荷物が目的地まで届くように見届ける。
私の上で交通事故がないようにしたい。だが、ときどきトラブルがある。ある人と、別のある人との価値観が正面衝突することがある。私は何もできない。ただ見ている。見上げている。ああ、私の上は平和であって欲しいものだ。平和は絶対的価値のひとつだ。それは戦争を支持する価値を否定してもかまわない絶対的な価値だ。そういった絶対的価値をひとつひとつ発見していくのが現在を生きるあなたたち人間の歴史的使命だよ。
人々にはそれぞれの人生がある。私はそれを小説のように読む。人生の断片が私の上を通り過ぎていく。それは無数の小説たちだ。小説にはテーマがある。あるテーマでは小説自身が気づいていない場合がある。いや、そのほうが多い。小説は自らのテーマを自覚しないもののほうがおもしろい場合が多い。もちろん自覚的なテーマを小説で表現することはできる。それは小説家の仕事だ。一般の人々は自分がどんな小説なのか、どんな荷物を運んでいるのか自覚しない。いや、もしかしたらいかなる老練な小説家でも自らの運ぶ荷物の中身を知悉しているわけではないだろう。それが人間の魅力だ。
人生の断片を小説として読む私、スクランブル交差点は身動きもできずに毎日ただ上を眺めているだけだ。
そんな私だから私の上を渡る人々に言いたい。
「誰の上にも大きな空が広がっているよ」


       六、

ぼくはむさぼるように小説を読んだ。時間を忘れて読みふけった。すべての小説を読みたいと思った。
女子大生が言った。
「たくさん読みましたね」
ぼくは答えた。
「ああ、読んだ。もっともっとこうしていたい」
女子大生は言った。
「それはもうやめたほうがいい。あなたはこの電車を降りたほうがいい」
「電車?」
女子大生は言った。
「かわいそうに。読書に夢中になるにつれ、ここが電車の中であることを忘れてしまったのですね」
「ああ、そうか、そうだった。ここは電車の中だった。で、今、電車はどの辺を走っているのですか?」
「私はこの電車の行き先を知らない。しかし、終点まで行くと非常にまずいことになるのです」
「まずいこと?」
「私にもよくわかりませんが、非常にまずいことです。あなたは途中で降りたほうがいい。さあ、この車両を出て最初に乗っていた三両目に戻りましょう」
ぼくと女子大生は三両目に移動した。まぶしい光が僕の目に飛び込んできた。その車両には誰もいなかった。窓の外には晴れた昼間の雪原が広がっていた。地平線上には真っ白な山脈が連なっていた。
「なんだ、ここは?今は夏のはずだ。雪なんかありっこない。そんな北国まで来たはずもない」
女子大生は言った。
「ここは、あなたの国ではありません。あなたが本を読んでいるあいだに、線路は外国まで伸びたのです」
「ぼくの国は島国だ。そんなはずは」
トンネルに入り、暗闇を抜けると、外の景色は砂漠になった。巨大ないくつもの砂丘の連なりが大地の彼方まで続いていた。
「あなたは七十年間、本をむさぼるように読んでいました。その間に地殻変動があり、あなたの島国も大陸とつながったのです」
「たった七十年で?・・・いや、そもそも、七十年なんて経ってないはずだ。ぼくは隣の車両で本を何冊か読んでいただけだ」
「外の時間の流れは速いのです」
またトンネルに入った。闇の中がしばらく続き、それが終わると、外の景色は大草原になった。
女子大生は言った。
「次の駅で降りてください」
「君は誰なんだ?」
「あなたの理想の女性です。あなたが求めているからこうして出てきました」
「ぼくの理想の?」
「私は特殊な存在なので、あなたの彼女にはなれません。もうお別れです」
ぼくは言った。
「いや、理想だとか特殊な存在だとか彼女になれないとか、それにお別れってなんだ?終点まで行くとまずいって、意味がわからない」
「そういうものなのです」
「そういうものって・・・」
「この電車は、そういうものなのです。それしか、私からは言えません」
「なぜ言えないんだ。いったい何なんだ、この電車は?」
「それは私にもわかりません。たぶん誰にも・・・」
「そんな泣きそうな顔をするなよ。わかったよ、まあいいとしよう。いや、本当はよくない。でも、君と話ができたのはよかった。前から話をしてみたいと思っていたんだ。理想の女性か・・・たしかにそうかもしれない。本のおかげで電車のおかげで君に出会えた。でも、七十年って嘘だろ?」
「本当です」
女子大生はそう言って、漆を塗ったような光沢のある黒い本を取り出した。
「この本を差し上げます。ただし、絶対に開いてはいけません」
ぼくは皮肉っぽく笑った。
「浦島太郎か?その本を開けると老人になるのか?」
ぼくは黒い本を受け取った。
女子大生は言った。
「いいえ、あなたはすでに九十歳の老人です。先ほどから自分の姿が窓に映っているのに見ていないのですか?ほら、トンネルに入りました。窓に映った自分の姿をごらんなさい」
ぼくは窓に映る自分の姿を見た。そこには髪の真っ白な老人がいた。
「え?どういうことだ?ぼくは二十歳のはずだぞ」
「あなたは九十歳です」
「じゃあ、この黒い本はなんだ?開けると死ぬとでもいうのか?」
「それにはお答えできません。さあ、降りるべき駅が近づいてきました。あなたの故郷のD駅です」
「D駅?ぼくの故郷?もしかして七十年後の?」
「おそらくそうでしょう」
トンネルを抜けると田園地帯となり住宅地となって、電車はD駅のホームに滑り込んだ。
女子大生は言った。
「お別れです。さようなら」
ぼくは泣きたくなった。七十年過ぎても彼女は若い女子大生だった。
ぼくは誰もいないホームに降りた。ドアが閉まり電車は動き出した。女子大生は車両の中からこちらに向かって手を振っていた。彼女はどこか寂し気な表情をしていた。ぼくは電車が見えなくなるまで見送っていた。ぼくはひとりで改札に向かった。その無人の改札では不思議なことにS駅からぼくの独り暮らしのアパートのあるM駅までの定期券で追加運賃を取られることなく外に出ることができた。田舎のD駅周辺は未来都市みたいになっていた。ぼくは駅前のロータリーでタクシーに乗った。運転手はなく自動運転のタクシーだった。そして、実家の住所を伝えると、コンピューターはすぐに了解した。まだ、その住所はあるらしい。だが、ここが七十年後の世界で、ぼくが九十歳だとすると、両親は死んでいるだろう。
タクシーは実家の前に止まった。
ぼくは降りて、二階建ての家を見上げた。
「思い出の家じゃない。建て替えられている。誰が住んでいるのだろう?」
ぼくは玄関のベルを鳴らした。中から老女が出てきた。母ではなかった。知らない老女だ。ぼくは言った。
「ぼくはこの家の長男ですが」
老女は首を傾げた。
「はあ・・・」
家の奥からは子供のはしゃぐ声が聞こえた。
老女はその奥へ引っ込んだ。すると、年老いた男が出てきた。それは父に見えた。だが、父ではなかった。その老人は言った。
「もしかして、お兄ちゃんか?」
それは弟だった。ぼくも自分の名前を告げた。
弟は言った。
「なんで、失踪なんかしたんだ?七十年間もどこにいたんだ?」
ぼくは言った。
「いや、電車の中で本を読んでいた」
「はあ?」
弟はぼくの認知症を疑っているようだった。
ぼくは言った。
「さっきの女性は、おまえの奥さんか?」
「そうだ。今、子供と孫とひ孫が来ている」
「ひ孫か」
「お兄ちゃんには家族がいるのか?」
「お父さんとお母さんは?」
「とっくに死んだよ。ふたりともお兄ちゃんのことをいつも気にしていたよ」
「そうか・・・」
電車の中で本に夢中になっているあいだにぼくの人生は終わってしまった。やり直してみたい。本を読むよりも現実を生きたい。
弟は言った。
「上がってよ。今、宴会の準備をしてるんだ」
ぼくは断った。弟の家族にいきなり七十年の時を経て入り込むのには抵抗があった。そもそもここは現実の世界なのか?ぼくは鞄の中にしまってあるあの本を思い出した。女子大生からもらった黒い表紙の本。絶対に開いてはいけない本。浦島太郎の玉手箱。開けばぼくは老人になるのか?だが、ぼくはすでに老人の姿だ。では、あの本を開けるとぼくは死ぬ?なんなのだろう?しかし、現状を変えるにはあの本を開くしかない。あの本が、ぼくを救ってくれるかもしれない。もしかしたら現状よりもっと悪い状況になるのかもしれない。いずれにしてもあの本を開くしかないだろう。よし、あの本を開いてみよう。
ぼくは弟の家(元ぼくの実家)を出て、近所の公園に行った。公園は同じ場所にあったが、七十年分の歳を重ね、木々は老木となり、遊具は新品に変わっていた。
ぼくはベンチに腰掛けた。
そして、女子大生からもらった漆を塗ったような光沢のある黒い本を開いた。


       七、

ぼくは二十歳の姿で夏の都心のS駅のホームのベンチに座っていた。眠っていたようだ。
夢だったのか?「夢オチ」というやつか。だが、ぼくの膝には黒い表紙の本が載っていた。(こういうのも「夢オチ」にはありがちだが)。漆を塗ったような黒い光沢のあるその表紙には題名がまるで蒔絵のような金色で書かれてあった。『電車読書』と。
ホームは仕事や学校から家に帰ると思われる人々で混み合っていた。ぼくはそんな人々となんら変わらない帰宅ラッシュの一員だった。
ホームに電車が滑り込んできた。ドアが開くと、ぼくは前から三両目に乗り、いつもの席に座ることができた。目の前に立っている乗客の向こう側を覗くと、向かいの席には、あの女子大生は座っていなかった。
ドアが閉まり、電車は郊外へ向けてガタンゴトンと動き出した。
ぼくは膝の上にある黒い本に視線を落とし、習慣的に表紙を開いた。それは小説だった。ぼくは『電車読書』というその小説を読み始めた。再び。

(了)

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