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登山は霧を望む

五月下旬、私は自家用車で八ヶ岳に向かっていた。
空は青く晴れていた。
私は美しい木々の間を走る運転席から八ヶ岳を前方に見ながら思った。
「ああ、晴れか。つまらないな」
私はこのとき、霧の八ヶ岳登山を望んでいた。
もちろん、登山は快晴が良い。
しかし、いつも快晴ではつまらない。
曇っていて、山上に着くと、その霧が晴れ、絶景を見ることができる。その自然の演出が登山で最も大きな感動をもたらすものだと思う。
私は過去に登った山ではその演出を度々体験している。
あの朝日や夕日に当たる様々な雲の形がいいのだ。
私は今回、八ヶ岳の赤岳、横岳、硫黄岳を回ってくる予定だった。
まずは赤岳鉱泉まで行き、そこにテントを張って、二日目に先に書いた三つの頂を回ってくる予定だった。実際、回ってきた。
夜はテント内が気持ちよく、午後七時から熟睡できた。
午前一時半には目が醒め、元気いっぱいで、それ以上眠れないだろうと思われた。
「今から登れば、赤岳山頂で御来光が見えるぞ」
私は二時頃出発することにした。
私は小屋の自炊場に向かい、湯を沸かしコーヒーを淹れ、朝食のアンパンとカツサンドを食べた。コーヒーは水筒に入っている。山頂で飲むのだ。
私はトイレで小便をすると、さっそく出発した。
寒かったが上着はTシャツの上にボタンシャツ、その上にジャージを一枚着ているのみだった。どうしても凍えるようであればその上にレインウェアを着るつもりだったが、まだ、それを必要としていなかった。
ヘッドランプひとつを頼りに森の中を歩いた。
真夜中の闇の中である。
たぶん同じルートで歩いているのは私独りであろうと思われた。
次第に、森の木々は背丈が低くなり、ついに森林限界を越えた。
そのとき空が開け、曇り空と、星空を半々に見ることができた。
八ヶ岳山麓の夜景も遠くに見えた。
山頂で御来光が見える確率は半々くらいに思われた。
私は鉄製の階段や梯子を登り始めた。
風が冷たい。
素手で階段や梯子の手すりを持っていたが、濡れていて手が凍えるようだ。
私は自分の気合いがなくなったら、死ぬだろうと思われた。
寒くても、手が凍えるようでも、私には登るしかなかった。
そこが良かった。
死の危険があることが、私の冒険心を満足させた。
たった独り、赤岳に登る私は孤独だった。
また、その孤独が良かった。
「なぜ、俺はこんなところでたった独りで命を懸けているのだろう?」
答えは出なかった。山頂に着いても答えが出るとは思われなかった。
私は今回の登山は、テント二泊でまったりとした時間を山の中で過ごしたい、そういう趣旨で赤岳鉱泉にテントを張った。登っている今、赤岳鉱泉にはテントを残して来ている。
しかし、予定変更で赤岳、横岳、硫黄岳を縦走したら、テントを畳んで下山することにしていた。前日、昼間のテント内が暑すぎて、快適に二日目を過ごせないことがわかったからだ。
で、私は午前二時から歩き始めれば、下山の時刻も早めることができる、そういう思いもあり、この深夜登山を敢行したのだ。
梯子が終わると、険しい岩場に出た。
どこがまったりなのだ?
私の目論見は見事に裏切られた。ただ下調べが足りなかっただけのことだが、赤岳がこんなに険しい山だとは知らなかった。岩場を全身を使って攀じ登らねばならなかった。
私は去年、剣岳に登っている。一昨年は雨の中の奥穂高吊り尾根を登っている。そのふたつに比するような険しさをこの赤岳は持っていた。
霧は深かった。
私はとにかく死なないように、岩場を攀じ登っていった。
時刻は四時を回っている。日の出は近い。
方向を示す看板があった。
そこで私は自分が東西南北をまったく逆さまに考えていたことがわかった。
北を南だと思っていた。
「何が霧を望むだよ」
霧は命取りなのだ。
霧の岩場では目の前の登攀の進路がどちらかに気を取られ、特に日の出ていない時間では自分が今、山頂のどちら側の岩肌を登っているのかわからなくなるようだ。頭の中で俯瞰できる地図が飛んでしまうらしい。
晴れていた昼間の方があきらかに危険は少ない。
しかし、望んだ霧だ。夜明け前だ。私は負けるわけにはいかなかった。
ここで崖から落ちたら、誰が助けに来てくれるだろう?
いや、落ちたら即死だろう。
誰が私の死に気づいてくれるだろう?
私は孤独のうちに死ぬのだ。
死んでたまるか。
私はその思いひとつで岩を登攀した。
途中、東側の霧が晴れ、一瞬山並みが見えた。
私はすぐに写真を撮った。


「これならば、山頂でも朝の景色が見られるかも知れない」
しかし、その景色はまたすぐに霧に隠れてしまった。
そして、登攀を続け、ようやく山頂に着いた。
神の祠があることからそれと知れた。


もう、午前四時半を回っていた。
私は御来光を見るために、朝日に染まる山の景色を堪能するために、この山頂で三十分間霧が晴れるのを待つことに決めた。
冷えるので、レインウェアの上衣を着た。
そして、祠を風除けにしてしゃがみ込み、水筒の温かいコーヒーを飲んだ。
山頂での至福のひととき、
ではなかった。
温かいはずのコーヒーは口の中ではその温もりを保っていたが、喉を過ぎる頃には温もりを感じなくなった。
私はただ、惨めだった。
たった独りで、この山頂にいて、霧が晴れるのを風に吹かれ震えながら待っている。
惨めだ。
だが、このときの私はその惨めさを、誇らしいものと感じていた。けっして、惨めだから不幸だとは思えなかった。いや、不幸かも知れないが人間は自らの不幸を誇るという奇妙なところがある。それは私にもあった。
赤岳山頂には神の祠が多い。
私はこのとき神々を独占していた。
多くの人が憧れる八ヶ岳最高峰赤岳山頂にこのときいたのは、間違いなく私独りなのだ。
この孤独の中の体験があとで自慢話として誇らしげに語れると腹の中で思った。無論、生きて帰ることが前提だ。
自慢するためにも、生きて帰らねばならなかった。
こんなときほど、帰る場所があることを強く意識することはなかった。
これが悪天候登山の醍醐味かも知れなかった。
霧は晴れなかった。
周囲が明るくなっていた。
私はヘッドランプを消して外した。
霧は晴れそうになかった。
とにかく寒かった。
もう霧の晴れるのを待つのは無駄と思い、赤岳をあとにした。
赤岳山頂にいたのは、二十分程度だった。
しばらく、険しい道が続いた。
風が強く、私はその寒さで、鼻水を啜りながら、道を進んだ。
死ぬか生きるかの道のりだった。
私は当然、生きることを選んだ。
鼻水も、途中で皮を擦り剥いた左手の小指の痛みも、生きるという意志の中では小さなことに過ぎなかった。
すると、俄に、霧が晴れて眼下に赤岳天望荘が見えた。
私は写真に撮った。


しかし、霧はすぐにその姿を隠してしまった。
天望荘を過ぎてからも、横岳まで険しい道は続いた。
横岳を過ぎると、歩きやすい道になった。
難所を乗り越えたのだ。
硫黄岳山荘前で休憩し、硫黄岳に向かった。
その道は体力を必要とするものの、登攀という言葉で表現するような険しさはなかった。
もう、死の危険は去ったと思った。


私は硫黄岳から、赤岳鉱泉に降りていった。
しばらく降りると沢の流れる音が聞こえてきて、なんとも私の全身に安堵感を与えてくれた。
ヘリコプターの音が聞こえる。
赤岳鉱泉に荷揚げしているのだ。
人間の住む世界がすぐそこにある。
登山に行くときはいつもこの感覚を味わう。
山道に落ちているゴミすらも人間の温かみを感じさせてくれるのだ。
赤岳鉱泉に着くと、もうテントを畳んで下山である。
私は最初、霧の登山を望んでいた。
そして、望み通り、霧と風と冷気との山頂と稜線歩きだった。
私は晴れなかったことを全く残念に思ってはいないし、それどころか、この登山を乗り越えた自分を誇らしげに思っているのである。
これが悪天候の登山の醍醐味である。
登山とはただ、素晴らしい景色を見るために登るのではない。
たしかに良い景色を見るのは目的ではあるが、それだけが登山ではない。
大冒険をしたという満足感、達成感が、私を新しい私に変えてくれるのだ。

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