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山メシ。みそスープパスタ

今日は次のテント泊登山に向けて、なにか工夫した山メシを作ろうと思った。
近場の山に登ってやろうかなどと思っていた矢先ににわか雨が来たので、家のガレージで作ることにした。パスタを茹で、フリーズドライのみそ汁の素を入れるだけだが、それでは塩分が足りないと思ったのでツナ缶を入れることにした。

以前、パスタを水から茹でたら上手くできたので、今回も水からパスタを茹でる。パスタは七分でできるものを使った。よくかき混ぜながら茹でた。

七分近く茹でられたら、フリーズドライのみそ汁の素を入れた。
そのあと、ツナ缶を入れた。


完成

そして、完成したものを食べた。
不味くはないが、少し塩分が足りないように思えた。
しかし、私の山メシの味覚では合格だった。
これを次の山行の夕食にするのだ。

ところで、私は山メシの美学として、質素なものを食べることを定義に入れていたが、たしかに今回のみそスープパスタも質素であるが、自分で作るという楽しみは捨てがたい。自分で作ると美味く感じるものだ。
パスタはソースがスーパーマーケットなどで売られているが、たしかにそれらを使えば美味いことは間違いないが、今回の私のようにみそ汁をスープに使うなど工夫をするのが楽しいと思う。(いや、たぶん、私も将来的にはソースの素を買うような気がするが)。
質素なもの、例えばカップラーメンを美味く食べるには、山の中、山の上で自然の中に身を置くことが大切だと、以前述べたが、今回のみそスープパスタも自然の中で作り食べることができれば贅沢な気分が味わえるだろう。山の上では火の通った温かいものを食べるとき、人は贅沢を感じると思う。
山メシの奥深さは、質素なものをいかに美味く感じるかにもあるが、限られた環境の中でできるだけ美味いものを食べる「山グルメ」の方向性もある。小屋泊では美味いものが出てくる。いや、厳しい眼で言うと、下界のレストランよりは味は劣る。しかし、多くの登山者が山小屋の食事は美味いと言う。それは山の上にいるという高揚感が人の味覚を感受性豊かにするからだろう。それならば、テント泊で自ら食事を作り食べることが美味くないはずがない。下界で購入した材料を山に持って行きそこで調理する、その一連の準備から食事片付けまでが山メシのひとつの楽しみとなっていると思う。
私は次の山で、テント泊の夕食は、アルファ米とみそ汁とツナ缶にしようと思っていた。しかし、それでは前回と同じだから、少し手の込んだものを作ろうと思い、みそ汁のスープパスタを思いついたのだ。その予行演習が今日のガレージで作ったみそスープパスタだ。最初はスープはみそ汁だけで終わりにしようと思ったが、それでは塩味が足りないのではないかと思い、ツナ缶を入れることにした。こうしてガレージで満足していたのだが、客観的に見るとあまり真似したい体験ではないような気がする。しかし、この食事を絶景のもとで食べるとしたらどうだろうか?やはり、絶景は食事を美味しくしてくれるのではないだろうか?いや、味覚だけではないようだ。その山の上まで歩いた努力とそのご褒美の絶景に食事が加われば、なんとも言えない贅沢になる。下界の基準で、みそ汁に入れたパスタがなぜ美味いか、を考えるのは筋が違っていて、山の上で何を食べたら美味いかを考えるのが山メシの美学であると思う。

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