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英語ができないのはイップスだから

私は英語ができません。

一応、大学受験で勉強しているのである程度はわかるはずなのですが、英語の歌を聴いていると、歌詞がわかりかけてきたときに、「すごい、俺は英語を聴いて意味がわかるぞ」という意識が現れ、そのとたんに英語の歌詞の意味が聴き取れなくなります。

どうしてこのようになってしまうか考えてみます。

私は中学一年生から英語の勉強をしたのですが、最初の先生が、英語の歌を歌って英語を好きになるような授業をしました。ジョン・レノンを知り、ビートルズやカーペンターズ、サイモン&ガーファンクルなどを知りました。特に私はジョン・レノンとビートルズが好きになり、趣味で聴くようになりました。冒頭に書いた歌の歌詞というのもビートルズのことです。ビートルズの歌詞は簡単だと思うのですが、「あの憧れのビートルズの歌詞がわかる!」と思うとわからなくなるのです。

私は三十歳を過ぎるまで英語ができるようになりたいと強く思っていました。英語ができれば世界中の人と話ができる、と思っていました。私の中では英語のできる人は、英語のできない日本の総理大臣より上に位置する存在でした。英語ができるというだけで、ビートルズみたいになれると思っていました。

先日、電話応対の仕事をされていた方がある日突然、電話応対中に流暢な話ができなくなってしまい、それをイップスであると書いてある記事をどこかで読みました。イップスとはゴルフや野球、卓球などで自分の感覚でプレイができなくなることです。書道やピアノにもあります。
私は中学生のときに野球でイップスに罹っていたのでわかるのですが、例えばボールを投げようとしたときに、第三者の視点で自分を見る目を意識してしまい、自分の感覚を見失ってしまいます。それから電話応対の仕事をされていた方がイップスになった原因を類推します。彼の場合も第三者の視点という余分な視点が現れ、自分の会話がぎこちなくなったのではないかと思います。スーツを着て電話応対をする仕事は若い人に憧れられる仕事です。きっと彼も若い頃からなんとなくそのような仕事に憧れていたのでしょう。だから、現在の自分が憧れの大人になっていることを強く意識してしまいイップスになったのだと思います。
これが私の英語にも当てはまります。歌詞を聴きとれただけで、世界的なアーティストと同じ人間になれそうな気がして、憧れの眼差しで自分を見る自分がいます。この第三者の視点に監視され見上げられているという意識がイップスになり、英語ができない原因であると私は捉えました。
英会話を勉強する人には多かれ少なかれ、英語ができる将来の自分に憧れる傾向があると思います。明るく社交的で世界中に友達のいる自分・・・。じつは、この憧れがイップスを引き起こす引き金になりやすいと思います。

英語以外にも、この「憧れ」がマイナスに働くことが多々あると思います。それについては別の稿で考えてみたいと思います。

ちなみに、数年前、私は初めてひとりでヨーロッパのある都市へ旅行に行ったのですが、英語ができて当たり前の環境に身を置くと、憧れの視点などあっさりと吹き飛んでしまいました。考えてみれば、私は日本語が当たり前にできます。これを凄いことだと思ってはいません。もし、これを凄いことだと意識したら、おそらくコミュニケーションが上手く取れない精神病になるのではないかと思います。

最近では英語ができない日本の総理大臣のほうが、英語がペラペラの無職の人より凄いと思っています。いや、総理大臣でなくとも、英語ができなくても、自分に自信を持っている人を私は尊敬します。

私は英語などできなくてもいいから、自分にしかできない仕事をしてみたいです。

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