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登山の趣味のディスタンクシオン

私はジャンダルム登頂を目指して、その日、上高地から入り横尾に一泊した。翌日、涸沢、ザイテングラートを登り穂高岳山荘に二泊して、中日にジャンダルムへピストンしてくる予定だった。
横尾の山荘は八人入る相部屋で、その日は私を含めて男性六人だった。他の五人のうち、三人が談笑していたので、私はてっきり三人は仲間なのかと思って自分の寝床(二段ベッドの下、ベッドと言っても畳に布団)で座って聞いていると、ひとりが私に声をかけてきた。
どこへ登るのか訊かれたので、ジャンダルムだと言うと、「お~、カッコイイ」と言われた。そこへ、高齢の男性が二名入って来て、ひとりは八十二歳だと言った。私以外は還暦前か過ぎた人で、ひとりは七十代だった。年齢の話になり、私は年を訊かれ、四十五だと答えると、三十くらいかと思ったといつものリアクションが返ってきた。私はたしかにこの山行で上高地に入ってからまるで自分が二十五歳くらいの感覚になっていたから、自分は若いと思っていた。そして、色々話をしていくうちに、ひとりは島根県から来ていて、ひとりは北海道、とわかった。もうひとりの七十代の方は申し訳ないがどこから来たか忘れてしまった。私が静岡だと言うと南アルプスの話になった。南アルプスはアクセスが悪いとか、スケールがでかいとか、よくある話になった。
しかし、私は会話をしながら、別のことを考えていた。悪い癖である。
ここに集まった登山者たちの収入はどれくらいあるのか?といういやらしいことを考えていた。登山はある程度、おカネがあれば、それほど金持ちでなくともできる趣味だ。私は静岡県に住んでいるので、本州中部の山岳地帯へアクセスするには経費があまりかからない。北海道から来ている人は飛行機で来たのだろうか?よくわからないが、この六人の中に大富豪らしい人はいなかったと思う。大富豪ならば個室を予約すると思う。
私が大富豪という言葉をあえて使ったのは、「趣味は収入の多寡により出来ることが決まってくる」ということを考えたいからだった。大富豪は日本の穂高などまで来て登山するだろうか?現在、宇宙旅行をするにはかなりおカネがかかると思う。私の収入では出来ない趣味だ。逆に宇宙旅行をするほどのカネがある人は、登山をするという選択肢ももちろんある。つまり、収入が多いほど趣味の幅が広がるのだ。当たり前だが。
しかし、これは人間は平等であるという理念に反しないだろうか?金持ちになりたかったら努力しろ、それが現在の資本主義の思想だと思う。努力しても金持ちになれない人もいる。それに第一、金持ちになるために生きていない人のほうが多いはずだ。よく、平等とは金持ちになるチャンスが誰にでも平等に与えられている、そういう意味だと言われる。だが、それは本当に平等なのか?商才のある人中心の考え方ではないだろうか?私は誰もが同じように様々な趣味に挑戦できる世の中になったらいいと思う。私は介護の仕事をしているが、あまり長期休暇も取れず、収入も少ないので海外旅行などがなかなか出来ない。私は海外旅行をしまくりたい人間なのだが、現在はカネと時間がないため、国内の登山をしている。いや、本当にそうか?
私の登山レベルではヒマラヤに行くことは出来ない。ヒマラヤに行くにはカネがかかるが、もし、私にカネがあったとしても技術、知識、経験がないため行けないと思う。だから、登山をするならば国内に行くしかない。いや、行くしかないというとネガティブだが、日本の山々を知るにつけ、その美しさ、面白さ、奥の深さにハマっていく自分がいる。今回、日本最難関のジャンダルムへ行くのだが、その岩山の存在を知ったのは、どこかの山小屋で読んだ山岳雑誌の記事だった。日本の登山者の憧れ、ジャンダルム。
もう一度、収入の話に戻るが、年収二百万くらいの人と、年収何億もある人とで、ジャンダルムへの挑戦に違いが出てくるだろうか?何億、いや、何兆稼いでいても、ジャンダルムへのルートは南側からか北側からの二通りしかない。もし、大金を払ってヘリコプターでジャンダルムに降り立ってもそこにはなにも価値はない。自分の体を使って登るところに意味があるのだ。そこにはカネがいくらかかるからそれだけの値打ちがあるとか、そういう基準ではない価値の尺度がある。
しかし、私は今回、穂高岳山荘に二泊したが、そこで深田久弥の本を読んでいた。昔は登山は知識人のものだったらしい。「山男には惚れるなよ」と歌もある。深田久弥の時代には、世界には未登頂の山がたくさんあった。そこへ大学の登山隊が登頂するためにルートを切り開くらしい。私が読んだのはヒマラヤ登山の文章だ。今はもう登山は知識人の趣味であるという認識はなくなってきていると思う。しかし、知識人という言葉もいつからあるか知らないが、明治以降、高学歴の人が、自分の身分を表現するため知識人階級を形成したのだと思う。
では、そんな知識人の趣味という意識も薄れた現在、登山をするのは誰か?それは登山が好きな人全てである。ある程度収入がないと出来ないかもしれないが、昔よりは多くの人に開かれた趣味となっている。ただ、初心者が始めるには、誰かの指導がないと出来ない趣味である。
登山はカネさえあれば出来る趣味ではない。
しかし、私が今回話題にしたかったのは、大富豪も登山をするか?そういう話だ。いや、大富豪、カネをいくらでも使える人の趣味とは何だろうか?酒池肉林だろうか?美酒美食美女その歓楽を毎日味わうのが贅沢なのだろうか?私は今回、ジャンダルムを登って見て、滑落して死なないために全力で岩を登った。とにかく生きて帰る。それが目標だった。そんな生死を賭けた遊びの面白さは酒池肉林にずっといる人には理解できないだろう。もしかしたら、酒池肉林にハマっている人は、登山をする私には酒池肉林の良さがわからないだろうと言うかもしれないが、高山にいると酒池肉林が汚い汚泥の中のように見える。しかし、岩場に取り付いているとき、死ぬか生きるかの状態にあり、雑念が自然と消えるところが難しい登山の良さだと思う。
しかし、収入の多寡で趣味の費用範囲の上限が決まってしまうというのは今の社会の問題であると思う。自由はカネで売り買いできるものではないと思うのである。

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