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宮崎駿監督映画『君たちはどう生きるか』を二回見てわかったこと

私は映画館で宮崎駿監督の映画『君たちはどう生きるか』を二回見た。
一回目では意味がわからず、「つまらない」という感想を持った。
しかし、二回目ではテーマがわかり、「これは宮崎駿にとって最も重要なテーマじゃないか」と感嘆した。
マンガ『風の谷のナウシカ』で行き着いたテーマだ。
「悪意」これである。
眞人は自らを傷つけた。
あれは宮崎駿がアニメで悪役など悪いものを出すことを選んだ生き方を示しているように思える。
彼は『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』や『耳をすませば』などで、一見悪のない清浄な世界を作ることができる。それは彼の最大の魅力なのだが彼の中では違っていた。「カリオストロ伯爵」「クシャナ」「クロトワ」「ムスカ」「海賊」「空賊」ばかりでなく。サツキとメイの母の病気、冒険アニメに出てくる武器や戦車などの兵器、キキの魔法が弱くなったこと、月島雫の本を読んでも素直に感動できないこと、そのような、ユートピアではない負の人や物や感情はブッダやキリストのような聖者からは否定されるようなものだった。しかし、アニメ映画監督宮崎駿は聖者にはならなかった。人間としての楽しみとして悪を受け入れた。清浄な世界を描く力がある才能に溢れている本人がそうした。
戦争には反対なのに戦闘機や戦車などをかっこよく思い、戦いを面白いと感じる宮崎駿。
彼はこのことにずっと矛盾を感じてきたのかもしれない。
『風の谷のナウシカ』的に言えば、清浄と汚濁の止揚と言えるかもしれない。汚濁(悪意)があってこそ物語が動くのだろう。物語とは「問題」がないと動かないものだ。その問題を「悪意」と表現したのが『君たちはどう生きるか』の主題なのだろう。
これはこれから物語を作って生きていく芸術家たちにとって「どう生きるか」を突きつけたカタチになるし、芸術家でなくとも一般の人々にも「悪意」を受け入れて生きるかそれとも清浄なものだけで生きていくかを問うている、そういう映画だと思う。
これは人生において極めて深いテーマだと思う。
しかし、テーマはわかったが、私は二回見ても、この映画は退屈だと思った。私は『天空の城ラピュタ』が大好きで、たしかに悪意もあるが、その中でこそ宮崎駿の清浄な世界が生きてくるのだと思う。
もう一度言うと、悪があるから、素晴らしいものが際立つのだと思う。
それが物語芸術の素晴らしさであり、人生の素晴らしさだと思う。

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