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【脂肪小説】Meet the Fat meat

 空港に来るのは久しぶりだった。
 来訪客や出国、見送りのひと達がひしめいており、その間を縫うように職員たちが動き回っている。
 羽田や成田であればもっとスマートなチェックインができるのだろうけれど、調布くらいの希望ではこんなものだろう。
 自分の安月給を恨むしかない。

 アフリカ大陸用の同時通訳機を借りるカウンターに並んでいると、妻が不安そうな顔で尋ねた。
「アフリカって方言が多用って聞きましたけど、これで大丈夫なんですか?」
 その目は使いこまれてくたびれた通訳機に注がれている。
「あぁ、ぼくはこれに関する苦情を聞いたことがないからね。きっと平気さ」
「なら良いのですけど」
 そう言いながらも、目は通訳機とぼくを行き来している。黒い瞳が、まるで跳ね回るボールみたいに見えた。


「なに、心配はいらないよ。そんなに危険な地域に行く訳じゃあないから」
 自分に言い聞かせるようにすこし大きめの声で言ったが、妻はちいさく頷いたきり自分のつま先を見るようにうつむいてしまった。
「私、アフリカは初めてだから不安で」
「大丈夫だよ。安全性はぼくの会社が保証しているツアーだ」
「それはわかっているんですけど」
 ぼくは妻の頭をくしゃくしゃに撫でて
「大丈夫」
 と言って聞かせたが、実際はぼくだって少し不安だった。

 アメリカだとかヨーロッパだとかに行くのとは訳が違う。
 今でも旅行先としてはメジャーだし現地のひと達も慣れている。スラムだとかハザードは詳細に知られているから、むかしみたいな路上強盗の危険性はほとんどない。
 でも今回の行き先は追進国だ。
 こちらもまだ慣れているとは言い難いし、現地の人間たちもそうだ。
 事前に送った衣類データなどが先方に届いているのか、アレルギーだとか検疫の問題は本当にパス出来ているのか、不安を数えればキリがない。
 妻の背中に手をやると、派手な鼓動が伝わった。
「薬を飲んだ方がいいでしょうか?」
「味が変わってしまうみたいだから、もう少し様子をみようか」
 肩を抱き寄せると妻は少し安心したように力を抜いたようだった。


 搭乗案内に従って機内に入る列に並んだ。
 中には縦長の箱が並んでおり、搭乗券をかざすと箱のドアが開くようになっていた。
「歴史の教科書で見た電話ボックスみたいですね」
 妻が不安に興奮の色を混ぜながら早口で言った。
 搭乗券で開いた箱はまさに教科書で見た電話ボックスそのものだった。
 穏やかな茶色をした壁からは、腰掛ける為のクッションと突っ伏す為のクッションが飛び出ていた。
「こんな狭いところに入るの……」
 と言った妻が慌てて
「ビジネスクラスとかファーストクラスが良いと言う事じゃないのよ」
 と付け加えた。
 ぼくは笑って
「大丈夫だよ、わかっている」
 と妻の頭を撫でた。
 頭蓋骨から不安が伝わってきそうだと思った。
 妻は少し安心したのか
「それじゃあ、またあとで」
 と言って小さなブースに入った。
 ぼくもその隣のブースに入って小さな突起に腰を乗せると、ベルトを締めてドアの脇にある小さなスイッチを押した。
 足元から爽やかな香りのする空気が流れ込んできて、ぼくは突っ伏して眠る為のクッションに身を預けるとゆっくりと眠りに落ちた。

 多言語でのアナウンスが聞こえるのと同時にブースが明るくなって、ぼくはアフリカに到着したことを知った。
 だがいまいち眠気がすっきり晴れない。
 空調の効きが良くないのか換気が良くない気がする。
 だがそれはアフリカと言う大陸の所為ではなく、単にこの飛行機が旧いだけだろう。
 不安からなんでもアフリカの所為にしそうだと思い、気をつけねばと心の中で呟いた。
 そんな事より、次はもう少し高くても仕方ないから良いツアーに参加しようと誓う。
 ブースを出ると妻と鉢合わせた。
 妻も眠そうであり不安そうであった。
 ぼくは飛び切りの笑顔を作って
「おはよう。よく眠れたかい?」
 と訊くと妻はこくんと頷き、ふわふわとした足取りで自動タラップを降りて行った。

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