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【column#28 】私が雑誌を好きな理由ワケ / 丹波岳仁

小野(以下 O) 言葉に気を使ってますか?
シュトウ(以下 S) 仕事とかしていく中で気を使う事が多くなったかな。

O: でもなんか本当の敬語とかよく使えんけど、、
S: 多分俺も正しい言葉は使えてないけど、何となく節々で。。
O: 若い女の子とかも、男言葉やギャル語みたいなの使うのをよく聞くじゃん?受け入れられるほう?
S: いや〜、例えば「うまかった」とかは「美味しかった」って言って!みたいなのはあるかも。
O: キレイにね笑。
まぁ仮にも同じ年代同士とかだったらまだ良いかもしれないけど、皆んなでいる時とかはチョットね。。
あれどういう気持ちなんやろうね。若干イラっとする感じもあるよね。
S: 心配しちゃうね。
O: いつくらいから使えるようになるんだろう。そういう人たちと絡んでたら一生使う事ないよね。
ずっと「うめーうめー」。
子供も「うめーうめー」。連鎖していくよね。結構短いスパンで。一生短いしね。
ばあちゃんになってもパンクスタイルで「うめー」とか言いよったら良いかもしれんけど笑。
S: 逆にそれは良いかもしれんけど笑。貫くスタイルで。
O: まぁ難しいね。
ちゃんと使っている人はオシャレやと思うよね。
S: うん。オシャレやし、こっちも良い気持ちになる。
O: 博識な感じがしてね。

S: 雑誌とかも僕たちは世代やったよね。
O: そうね、雑誌買い始めたのはコロコロコミックから〜…
S: あ、アレ雑誌に入る?じゃコミックボンボンも?笑
O & S:(爆笑)
O: BOONとかウーフィン、バーストとかのタトゥー雑誌もね。裏社みたいな。
S: あれも見よったな、、今は無き低俗情報雑誌、ホットドッグ・プレス笑。
O: プレイボーイも無くなったしね。。
S: まぁでも皆んな見よったよね雑誌。
O: ストリートスナップ系とかも見よったし、コラージュとかしよったかな。素材としてやりやすいじゃん。写真しかないし。
雑誌から学んだことは多かったよね。
音楽的なことで言えば、TSUTAYAか雑誌か。どっちか。
S: じゃ、TSUTAYAで雑誌買う訳だし、俺たちにとってはTSUTAYAが文化的なスポットだったということやね。
O: TSUTAYAなくしてシティボーイは語れないね笑。

(小野 / シュトウ)

皆さんはじめましての人もそうじゃない人も私、雑誌をよく読む45歳な丹波岳仁と申します。
いきなり登場しましたが私、特に衣食住をメインとした生活雑誌をよく手に取ります。
最近はその手の雑誌をあまり観たり読んだりする人達ってどうやら少ないらしいのですよ?
携帯電話でいわゆる電子雑誌を見てる人はいるらしいっぽいんだけど、はてそれも一体どうなのかしら?これって特に重大な問題ではないんだけれど(笑)でもどうしてかしら?何故かしら?と勝手に思ってしまっていたりして。見ます?読みます?生活雑誌‥

無造作に溶け込む雑誌達

ひょんなことをきっかけに15〜16歳からそういう雑誌を中心に読み始めてから約30年。にしてもよく30年も読み続けてきたもんだなと思います。んでふとこの機会※に何故これまで読み続けてこられたのかと今更ながら思ったりして。
(※コラムを書かせていただけるこの機会)に自分の雑誌への想い、関わる思い出、この際少しつぶやいちゃったりしようかと。


さてさて何はともあれ雑誌って写真ももちろんですが文章もやはり魅力的じゃないと全然面白くないと思いませんか?
先程私が申し上げた衣食住生活雑誌関連だと元々文章等に過激刺激等の派手さは無に等しく興味がない人にとっては確かに暇。間違いなくきっと暇だと思うのですよね。

でもそんな雑誌のいいところを挙げるとすればその1つに雑誌は言葉や文章が丁寧に使われていることが多いかな?と思われるところなんですよ。略語なんかも特に多く使用は無かったり。んでもって略語を使ったとしてもきちんと前後にその略語の説明文があったり使用例があったりするそういう丁寧なところ、現代の普段生活ではここら辺わりと雑に行われているような気もするようなしないような気がして。

おいしく作れるとうれしい

んでんで丁寧な言葉と言えば近年、素敵、丁寧な言葉を使うお手本の様な存在の大人(先輩)に普段の生活の中であまり出会えなくなってしまっているような気もしています。
僕の記憶では銀座とかにはギリギリいたんですよ丁寧な人達が。とても上品で良い印象で心にずっと残っているその方、わりとご年配の様なオジサマでしたがまさに雑誌から飛び出てきたようなスーツ姿できちんとプレスされたハンカチが胸ポケットかズボンのポケットに入っているような(ここは勝手に想像をしてしまっている)それで「あっ、どうもありがとう」とエレベーター降車の際にお先にどうぞとオジサマに先をお譲りした時のサッと出てきた小気味のよいスマートな1言のお礼がとっても素敵で一瞬で憧れの的になり、変な話あの発音とイントネーションのニュアンスなかなか真似出来そうで未だに出来ませんけど不思議と胸がキュンとしたものでもありました。
他ではあぁいう経験をしたことがないだけで知らない所でもあぁいう方いるのかもしれませんが僕が住む東京っているんですよ、と言うか居たんですよあぁいう方が。
今でも僕の周りには素敵な先輩方がいらっしゃいますが残念ながらだんだんと少なくなっていてるような気もしてまして残された貴重お手本的存在となっています。
あぁ言うスマートな言葉を使われるとなんだかこちらまでピリっと良い気合いが入りますしきちんとしたというか丁寧な言葉を使うと顔の表情なんかもカッコよくキレイになってゆくんじゃないのか?とも。良くないです?言葉を丁寧に使うって(ニコニコマーク)

オジサマはどこ…

さて、そんなこんなで雑誌は丁寧な暮らしとか丁寧に生きる、カッコいいとは?素敵とは…?というようなテーマの内容がいよいよ増えてきたような気がしていて殺伐としている現代社会の中、人々もどこかで何かしらの大なり小なりそんなことをちょっとは本気で求めているんじゃないのかね?とこれまた思ったり思えなかったり。
ちなみに雑誌ってコンビニに置いてあったりわりと身近にあったりするもんじゃないですか?案外近い距離に居るよな?と今更ながらそんなこと気づいたのでありまして(笑)大げさかもしれないけど地球上で雑誌とかも作っちゃうなんてことしてるのは人間と言う生き物だけだな?とか考えたり。あらためて僕自身ももうちょっと雑誌の存在を大事にしようかとなんて思い、そんなこんなで雑誌に今こそなんとなく強く思うこと。

それは私や他の誰か達が何か日々の大事なことを忘れてしまわないように見失ってしまわないようにそっと?しれっと?そこに居て留めてくれていたり見守ってくれていたりはたまた寄り添ってくれていたりするそんな役目を担ってくれていて案外スゲェヤツなんじゃないのかと思ったこと...

読み続けてるとこってそんなとこかなと思っているところでございます。
ってなところで長くなりましたが以上、丹波岳仁の何故雑誌を読み続けてきたのか30年分のいきなりつぶやきでした(笑)おしまい

オジサマはここ♡



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