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【column #24】 EpiLab. -エピラボ-  「アートの沼で溺れた男」

皆さんこんにちは。そして初めまして。
Episode Lab. 略して EpiLab. -エピラボ- と申します。普段、様々な画像を組み合わせて作る  “コラージュアート”  をメインにクリエイトをしています。
いきなりの横文字連発ですが、よくわかんない変な作品を作っている人、というくらいの感じで覚えていただけると幸いです。

小さい頃から絵を描いたり、プラモデルだったりを ”つくること” が好きでした。
小学生の頃から教科書は落書きの巣窟になるもので、年を追うごとにエスカレートしては、最終的に表紙からノート、ファイル、机にも落書きばかりで勉強は全くといった学生時代でした。高校生の頃にYouTubeで、真っ白が一番かっこいいAF1にわざわざペイントしているのを見て “やべえ” ってなって、何足かスニーカーにペイントをして、舞い上がって修学旅行に履いていったのを覚えています。やりたいことはとりあえずやっちゃえってタイプです。
卒業後は県外に就職していたのですが、
2年前に延岡に帰ってきて今コラージュをしているといった感じです。

スニーカー

普段 Instagramに作品を投稿したり、たまにイベントで作品展示をやらせてもらっているんですが、よく「頭の中はどうなってるんですか」という言葉をいただくので今回は、僕が普段考えていることなど、頭の中をかいつまんで、書いてきたいと思います。

僕は日頃から作品をつくっているくらいなので、いわゆるアートが好きなのですが皆さんはアートは好きですか?
よくわかんないという方が多いと思いますし、なんぞやって感じですよね。
かく言う僕もアートとは何かよく分かっていませんが、
昔から絵を描いたり、何かを ”作ること” が好きですし、人の作品を見るのも好きです。
無いものは作ればいい というスタンスでいつもいます。

延岡には美術館がないのでなかなか身近に感じにくいですが、一番身近なアートといえば、子どもの絵 ではないでしょうか。
子どもってなぜか絵を描くのが好きですよね。大人の僕ら以上の集中力で拙いながらも純粋な絵を描きます。

ですがそんな子どもたちも、小学校に入ると徐々に絵を描くことに対して、好き嫌いが出てきます。

同じ箱の中に何十人と集められると自然と絵が上手い子がもてはやされるようになりますし、先生も展覧会などには上手い子をピックアップします。

参観日に子どもたちの絵を見て「あの子は上手いけどうちの子は下手」というように比較して親同士の笑い話が起こりますが、僕は昔からあの光景が嫌いでした。

小学校の頃、風景画を描く授業で友達と一緒に描いていたんですが、見回りにきた先生が友達に「あなたはもっと簡単な場所を描きなさい。じょーくん(筆者)ならいいけど、描き終わらないよ」
とかなんとか言って、友達はしぶしぶ描いてた分を消して、別の場所に移っていったことがありました。

描きたいんやから描かせてやれよ と小学生なりに憤りを感じたことを今でも鮮明に覚えています。
その友達は ”一緒に描きたいから” ではなく、”描いてみたい” という理由で同じ僕と場所を選んでいたのですが、先生は友達の ”やってみたい” という気持ちをへし折ってしまった わけです。

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僕は学校という小さいコミュニティの中では ”絵が上手い” 部類にいたので下手と言われることはありませんでしたが、こうした経験の中で僕は常々、人それぞれ考えやアイデアがあるわけだから ”上手い下手じゃない” と思っていましたし、今でもそう思っています。
「あーはいはい」ってなっちゃいます。

僕の知り合いに、いわゆる ”絵が下手” な女性がいるんですが、彼女の絵は、ありえない方向から腕が生えていたり、変に足が曲がっていたりして、描くたびに周りから笑いが起きます。

ですが僕は彼女の絵を見るたびに、この人が油絵とか覚えたらとんでもない作品が生まれるんだろうな、とか、こういう描き方をしたらきっと化けるんだろうなと考えてしまいます。

下手と言われることは一つの才能 だと僕は思っていますし、逆に羨ましいという気持ちもあります。捉え方ひとつでなんとでもできると思ってます。

僕は手先は器用ですが、性格は不器用だと常々思っています。
会話が苦手ということはないんですが、
自分のさらけ出し方みたいなのがいまいちわかっていません。

声を荒げるほど怒ったり、号泣したり、感情を爆発させることがあまりないので、
嫁さんにすら「何考えてるかわからない」と言われることがあります。
僕の嫁さんは真逆で思ったことはズバズバ言いますし、良いも悪いもすごく態度にでます。何のためらいもなく感情をむき出しにできるところは、イラっとする反面うらやましいです。

愚痴を吐いたところで、人は簡単に変わらないし、現状がよくなるわけでもないので愚痴を吐くのも馬鹿らしく思ったりするんですが、そんな 僕の感情の行き場としてコラージュがある と思っています。

ネガティブな感情を作品に込めるわけではなく、作品を作ることでうっぷんを発散できるようになってきましたし、作る過程での発見がめちゃくちゃ嬉しくて変にテンションが上がったりします。
最近では、仕事や私生活で凹んだりイライラするたびに、 ”今日はいい作品が作れそう” と考えてしまいます。
ネガティブが逆に原動力になってきたので、とうとうバグってしまったなと思っています。

沢山の人に自分の作品を見てほしいという欲はありますが、バズることに目がない現代に、たった一人の心に強烈に残る作品を作りたい という気持ちがコラージュを始めた当初から今でもあります。

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svbcの皆さんにはありがたいことに、イベント毎にいろんな経験をさせていただいて、おかげでコラージュを作らない生活にはもう戻れない身体になってしまったわけですが、一つに固執せず、音楽 × アートや食 × アート などジャンルを超えた掛け合わせや繋がりは刺激になることばかりです。
自分ももっといろんな人の作品や活動が広げられるようなことをしたいと思っていますし、たくさんの人と一緒に作品を作りたいです。年齢性別問わず、作品やものを作ることに興味を持ってくれる人が増えたら嬉しいです。

さて、僕が考えていること、頭の中をかいつまんで書いてきました。だいぶ無茶苦茶ですが最後まで読んでくださりありがとうございます。
また次の機会があれば、誰でもとっつきやすいアートなんかを紹介できればと思います。それではまた。

アートな人(制作している人?)って、なんとなく変わっている気がします。なんでやろ。

食べてるモノが違う?
既存のロジックや考えにとらわれない柔軟さ?
アンテナの張り方?とかね。

最近、彼と展示会やイベント、Tシャツ展などでご一緒させていただくにつれ、彼のシャープな目の付け所感が徐々に伝わってきています。
そんな EpiLab.さんの内側がちょっぴり垣間見れたコラムだったのでは。

広告などクライアントの頭にあるモノを視覚化する作業を日常的にしている僕としては、コンセプトの出どころ が自分 (作者)にあるアートには憧れがあって。

デザインもアートも、やはり産みの苦しみっていうのはつきものだけれど、
アート制作は自分との戦いみたいな、自分の中の色々な事が原動力となり、より感覚が研ぎ澄ませれていくようなイメージ。
静・動の描写に関わらず、なんか爆発力がありますよね。

説明が必要不可欠なデザインとは真逆な、
説明のないアート作品を見て、自分の解釈で自分だけの答えを作り出す のも良いのかも。

延岡ではアートに触れる機会があまりないイメージかもしれません。
決して多くはないですが、イベントや展示会など不定期に開催されています。EpiLab.さんの活動もInstagramなどで告知されると思いますので、ぜひチェックしてみては。
ジャケットやフライヤー制作など、DMからご依頼いただけるようです!

< 編集部:シュトウ >

EpiLab.-エピラボ-
▶ ︎Instagram : epi8labo


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