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【column#14】我 ここに有り/ こうちゃん aka QLD (小野カレー)

新年一発目のsvbcの投稿です!
あけましておめでとうございます。

中の人は一つ前の投稿の動画* でありましたが、
同級生3人(今年は厄年)で行なっております。
もう40年近く生きてきました。
年齢って関係ないけど、人それぞれ時間の流れは違う中で色んなことを考えて経験してきた訳で…。

僕が知らないだけで仕事や趣味や物事の捉え方なども独自の着眼点がすくすく育ってて各々ちょっとした事でも面白いこと山のようにありますよね!皆んな違っててそれで良いし、それが良い。

今回は初回に投稿したこうちゃんの2回目。
カレー屋さんを営んできた中、彼が今まで生きて見てきて考えてきた事、
見たい‼︎聞きたい‼︎知りたい‼︎(夜もヒッパレ風で)
                                              編集部 林田

私たちはそれぞれの環境の中で多種多様な考えのもとに暮らしている。こんにちは。(YO!)

自分を表現することが得意なひと、苦手なひと、(あえてしないひと)など。
人に自分が思っていることを伝えるには労力がいるし難しい。それなりに説得力のある知識も必要だし。何しろ自分を出すこと自体恥ずかしいと思いがちですもんね。(Don’t be SHY!)

僕が常日頃思っているのは、
地球(人類)がどういう方向に進んでいて、自分はどこにいるのかということです。


マサル「もう 始まっているからね。 」

思い起こせば中学時代に「AKIRA」を見て何がなんだか分からないけど衝撃を受けた事が最初のきっかけなのかもしれないけど、そう思ったのは東京にいた頃に体験した東日本大震災が決定的だった。

これは何かがオカシイ?!


それまでの僕は好きな音楽に没頭していて、自由にやりたいことをやらせてもらっていた。それは今のカレー屋としての自分に繋がっていると思う。

音楽をやり始めた頃、好きなアーティストの真似事から演奏する楽しみを感じ、やり続けるうちにそれだけではつまらなくなり、自分なりの表現をしたいと思ってから紆余曲折、あるキッカケで音楽に偶然性を見出した。それは環境音楽と言われるアンビエントのようなもので、そこから禅の思想や故人たちの哲学なんかを自分なりに解釈したものを自分の音楽に落とし込むことに没頭していた。それは言葉のないインストロメンタル、作ってはライブの繰り返し、今思うと自分なりの音楽を人に聴かせることによって何かを共有しようとしていたのかも。



「ぐらっ、ぐらぐらぐらっ… グラグラグラ?!」

あの日から生活の意識が変わった。
日々の何でもない会話に現実味がなくなり、それがまた現実でもある事に幻滅した。
自分を取り巻く空気が視覚的に情報化されたもの暗号化された記号や文字に見え、幻聴もあり、精神が正常ではなかった。(I don’t wanna ill!)

自分は無力である

という事に気付かされるとともに、無力であってはいけないという気持ちに切り替えなければ立っていられなかった。(Keep yo head up!)

東京にこのままいたらヤラレる(Bomb!)

それから地元延岡に戻り、自然のリデゥムのシャボン玉にのり生きる喜び再認識〜ってな具合にリハビリ生活。緑と太陽のもと回復の兆しの中、人の役に立つ何かをしたいと考えていたので、やった事もない飲屋での接客業に縁あって働き出す。
同時に音楽とは別に地震後の自分を言葉を通して伝えるべくUSTにて今回のSVBCにつながる番組開始。アーカイブは消滅。(shock!)

肝心のカレーは、以前作っていた音楽制作の特徴(
(違う楽器やスパイスをMIX調合)に似ていたことや自然のものを使って自分を表現しながら分かりやすく人とのコミュニケーションを図れる道具的存在としてもフィットした事もあり、作り出したらそれはそれは気持ちが良くて、まだまだだけどより深く食の観点から世界を見る事に繋がっている。(yeah!)


そんな中、今度はウイルスときた。
こりゃまいったね!


こういう危機的状況が起きた時こそ、生きている中で自分の立ち位置がどこにあるのか再確認しなきゃいかんですね。
最近は情報が実際に視覚的に見える事はないけど(見えたらほんと怖いです)、実際にその情報の川というのは確実にあって、僕たちはその流れの中にいるし、どこを掴んでいくかというのは普段から意識していないと流されていくばかり。飲み込まれちゃいまっせ。(damn it!)


そこで助けのひとつになるのが文化だと思うわけです。文化というのは人が作るものだけど、それを共有する事によって自分への確認や発見、生きる喜びや希望を見出すことができるのではないか。

僕の場合は、好きな音楽家や画家などのアーティスト、料理人や生産者など食に携わる人達の考え方なんかが自分なりの正解を導き出すヒントとなっているわけだけど、それは解決策というようなものではなくて、もっとその感情そのものが僕を動かす原動力の一部となっているんですね。
人間のヴァイブレーションですね
その意識を共有する事で何かが生まれると信じています。笑い合えれば bigger and better!(together forever!)


思ってることがあるはずなのに人に喋らないのは何でだろうと思うんだけど、まずは近くに喋れる相手が必要ですね。あとは
人の話をよく聞け!by TWIGY
ってことですかね。耳が痛いんだけど。。


自分の知識って偏りがあるんで、人と話す事で何か方向性が見えてきたり新しく閃いたりすると思うんですよ。そこでムーブメントができて相乗効果が生まれる。そうすることで私たちが未来を選択できるとこまでいければいいですね。流れるプールはその時は気持ちいいけど、どこに行くかわかんないですからね。


自分のやり方で世界に光を。
僕は今現在、カレー屋でいろんな情報交換ができる場所を作りたいし、そういうアクションを微力ながらやっていきたいと思ってます。
音楽に没頭してた20代、queloudという名義で活動してたんだけど、それはquestion loudの造語で世の中に常に疑問を持っていたいという意味。
足元 ばっか見てないで 顔上げろ!
queloud keeps going on!
そう自分に言い聞かせてます。


さぁて、なんすっけ!


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