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カンボジアで乳がんになるvol.3 自己紹介と癌宣告から1ヶ月の流れ


話が過去に戻ったり、現在の話になったりと時系列が滅茶苦茶になってしまってるので、しこりに気づいてから乳がんと診断されるまでの流れと自分の自己紹介をざっとまとめます。

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〜自己紹介〜
1972年生まれの50歳(2023年8月現在)
独身、子供なし、日本人だけれどカンボジア在住25年。ひとり暮らし。
今まで患った病気はなし。親兄弟にも癌経験者なし。癌宣告されるまでは本人はいたって健康だと自負していたので、海外旅行保険も生命保険もがん保険も何も加入せず。保険なし。
カンボジアでオーガニックファームを運営していて、ほぼ毎日オーガニック野菜を食べて、ヨガを愛し、どちらかというと健康志向。お酒(ワイン)好き。

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▪️6月21日 シャワー時に左胸のしこりに気づく@シェムリアップの自宅
すぐにバンコクのサミティベー病院にメールで予約を入れる  

▪️6月24日 エコーとマンモグラフィー検査で腫瘍が見つかる@バンコク
腫瘍が良性か悪性かを検査するために針生検を勧められる。

▪️6月26日 針生検@バンコク

▪️7月2日 病理検査の結果、悪性腫瘍との診断を受ける@バンコク
ドクターからすぐにでも外科手術+放射線治療をするよう勧められたがいったん持ち帰って検討することに。

▪️7月2日〜4日頃の治療に対する考え;
ドクターからはすぐにでも手術をと言われたが、治療を受けずに今まで通りの生活をし ようという方向で考えていた。が、その後色々な情報を調べる中で、乳がんは癌細胞が皮膚にとても近いところにあるため、放置しておくと皮膚から癌細胞が出てきて赤く腫れ上がり、皮膚が切れて出血して悪臭もしてくることを知り、放置はできないかなと感じ始めた。

▪️7月5日以降の治療に対する考え;
乳がんの3大治療①外科治療、②放射線治療、③化学治療は受けたくない。胸を切除すること、身体を切るということに抵抗があり、3大治療を受けずに治療をする方法を見つけたかった。

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乳がんの3大治療以外で検討した治療方法

①重粒子線 陽子線
重粒子線、陽子線治療で癌が完治している人がいるという友人からの話を聞き、この治療法に希望を持ったが、乳がんの陽子線治療はまだ治験段階であること、ステージ1までの腫瘍が1センチ前後のみが対象で、乳がんステージ2で、腫瘍の大きさが3センチの私は対象外だった。

②免疫療法(超音波、NK細胞療法など)
大阪に癌の免疫療法を専門にしているクリニックがあり、そこの先生とオンラインでお話をさせてもらい、バンコクでの検査結果のデータを持って直接お話をしに行くことになった。

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癌宣告を受けてすぐに親しい友人には癌であることを伝えたため、この2週間の間に友人たちがたくさんの癌治療に関する情報を送ってくれた。その中には、癌で手術をした友人もいたし、癌を患った経験を持つ知り合いがいる人、家族が癌になった方など、多くの友人がみんな周りで乳がんを経験した人がいると言っていた。本当に女性の乳がんは多いのだと実感した。

そして友人たちひとりひとりが私の気持ちをものすごく鑑みながら、気持ちに寄り添いながらメールをくれたり電話をくれたり話す時間を作ってくれた。

この2週間は、自分がどれだけ温かい人たちに囲まれて生きてきたのか、愛に囲まれて生きてきたのかに気づけた時間だった。自分のことではないけれど、自分のことのように真剣に受け止めて考えてくれて、それでもやっぱり自分ごとではないからこそ、幸子の心はどうなんだろう?幸子の気持ちということを最優先に常に考えながら言葉をかけてくれた。
私の負担にならないようにと気遣いしながらもたくさんの情報を与えてくれて、必要なかったらスルーしてねという言葉も添えてくれて。



▪️7月18日 免疫治療のクリニックへ@大阪
→クリニックに伺い、オンラインでお話しした先生と直接お話ししたが、治療方法というよりもクリニックや先生の雰囲気が自分には合わないと感じてここでの治療は断念。
世の中には名医とか評判のいい先生とかいると思うけれど、医者と患者といっても結局は人と人の付き合いなので、波長が合う、話がしやすいうことが大事だなと思う。あとは自分の直感。


▪️7月19日 再度、日本でセカンドオピニオンをもらえる病院を探す。
→大阪の免疫治療のクリニックでの治療を主目的で日本に来ていたので、他の病院は全く考えていなかったから、再度セカンドオピニオンをもらえる病院を探すことになった。電話やメールで問い合わせしたが、日本の病院は紹介状がないと全く受け付けてもらえないことを知る。この時がいちばんメンタルが落ちていたかも。日本では誰も私の診察をしてくれないのかーというネガティブな思考。
バンコクのサミティベー病院は検査結果のデータ画像や診断書は出してくれるけれど、日本の病院を紹介してくれるシステムはなく、一方、日本の総合病院は紹介状のない初診患者は受け付けてくれない。

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セカンドオピニオンが無理なら、改めて日本で検査をしてその検査結果をもとに病院を紹介してもらうという方法しかないかなと考えて再度検査をしてもらうクリニックを探すことにした。

この時お付き合いしていた方がいて、癌診断を受けてからというもの外科手術を受けたくないという私のために、たくさんの治療方法を探してくれて色々な選択肢を与えてくれた。この時も病院が見つからなくて落ち込んでいる私のために忙しい合間をぬってあっという間に色々な情報を集めてくれたおかげで検査を受けるクリニックが見つかった。癌は怖い病気ではない、治る病気だと思ってはいても時々メンタルが落ちる。そんな時にサポートしてくれる存在がいたことは本当に心強かった。その後いろいろあってその方とはお別れしてしまったけれど、今も感謝でいっぱい。

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▪️7月19日 エコー、マンモグラフィー、針生検@東京
バンコクで受けた検査を同じ検査を再度日本のクリニックで受ける。針生検の痛みは2度目なのでなんとか乗り切れた。先生の技術なのか?私が慣れたのか?バンコクで経験した痛みの半分くらいに感じた。それでも胸に針を刺して、バネの勢いで細胞をとるってやっぱり痛い(涙)
担当してくださった先生はとってもサバサバした話しやすい女性で、8月8日に検査結果が出るまで癌のことは考えずに、美味しいもの食べてカンボジアに帰って楽しく過ごしてね!と見送ってくれた。

先生曰く「女性の9人に1人が乳がんになってるの、今年の統計が出れば8人に1人になってるかも」。なぜそんなに多くの人が乳がんを患うんだろう?原因を追求したいと思った。

検査結果は8月8日になるということで、いったんカンボジアに帰る。

▪️8月8日 検査結果をもらう;左胸浸潤性乳管癌
もしかして癌じゃなかったりして?と淡い期待を1%くらい持っていたけれど、やっぱりバンコクで受けた結果と同じ、乳がんだった。
先生に「今50歳、あとこれから50年生きるんだよ、頑張って治そう!」と言葉をもらう。
先生のクリニックはもちろん治療はできないので、大きい病院に紹介状を書いてもらうことになった。日本にいる時は私がいつも新橋あたりを拠点にしている話はしていたので、先生がお勧めしてくれたのは
①有明癌センター;乳がんの症例をいちばん持っている
②聖路加病院;全室個室で落ち着いて治療できる
③虎ノ門病院;先生のおすすめのドクターがいる

虎ノ門病院のドクターはめちゃくちゃサバサバした女性で、ハッキリものを言ってくれるのできっと小島さんと相性が合うよ!ってとってもサバサバした先生がお勧めしてくれるのでどれだけサバサバしてるんだろう?!と楽しみになり、虎ノ門病院に紹介状を書いてもらうことになった。

虎ノ門病院でMRIを撮影して左胸以外に転移がないかを調べることに。







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