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Orpheon / DIPTYQUE

 「DIPTYQUEからオルフェオンのソリッドが出る」
 なぜか気になって記事を読んだ。9月初めの話である。
 ディプティックの名は知っていたが香水もキャンドルも使わないので関心はなかったはずだった。私は感覚過敏で、人よりも敏感に匂いを感じ取るため香料の強いアイテムはそもそも使わない。日常の中に違和感を覚えるとたちまち集中できなくなる。
 ところがこの時は「これだぞ!」と直感がしつこく訴えていた。贅沢品で(自分にとって)実用的でなく、まぁ無いだろうなと思ったが一応メモしておいた。

 この頃から、私は酷い抑うつ状態に陥っていた。過去にも経験のある苦しさだがこの時は極端だった。感情のツマミがゆるゆるに壊れ、ちょっとの刺激でツマミが弾き飛ばされるとMAXのところでピタッと止まって落ちてこなくなるのだ。自我を離れた悲しみの暴走が始まるのである。何時間も声を上げて泣くが、なぜこんな事になっているのか分からない。ただ悲しい。悲しみは極端な被害妄想を繰り返し叫んでいて、その言葉にまた泣かされる。疲れ果てるとツマミがポトッと落ちて、まったくの無反応でからっぽな状態になる。異常だった。

 さて9月末頃の事だ。またちょっとしたきっかけでそれが起きた。朝目が覚めた時、大丈夫かと恐る恐る自分自身の様子を伺い、そっと部屋を出てみる。だが廊下を歩いただけでスゥッと気持ちが急降下していく。ああだめだ、このまま家にいられない、じっとしていてはいけない、と居ても立ってもいられず逃げるように出かけていった。
 なにか少し贅沢をしようと思い横浜に来た。まず食事をと思ったのだが、JRの駅を出ると呼ばれたように足が進み、ニュウマンに入っていった。すると、ディプティックがあった。
 そうだった。そういえば、オルフェオン。最初からそのつもりだったかのように接客の列に並ぶ。なぜか気持ちは堂々としていた。あの抑制できない爆発から平常に戻るにはそれぐらいの対価が必要なのだと自身に言い訳をしながら。
 正直にほとんど香水を使った事がないと告げつつ、ソリッドを紹介してもらう。黒い楕円のケースもイラストデザインも色も好み。なんならオルフェオンという字面と語感も好み。ソリッドの香りはいまいちよくわからなかったがパルファンのムエットをもらった瞬間、ああこれだ!と確信した。香水とソリッドで香り方は違うがいいのかと確認されたが、直感が示す通りにソリッドを購入した。
 帰宅後こっそりと宝物のように箱から取り出す。思っていたよりもこの小さなケースに重量があったことに驚いた。なんだか秘密の恋人の写真を入れたロケットを持っているような気分。

 正直、つけて最初の印象は「間違えたか?」だ。やはりEDPとソリッドでは香りの立体感が違う、それもある。ムエットから感じたのはまずハーブのキリッとした爽やかさ、それと少し癖のある濃い甘さの組み合わせだった。これがドンピシャに好みだったのだ。一方、ソリッドから初めに感じたのは百貨店1Fの匂い…私はパウダリーな香りが嫌いだった。これが困惑の理由であった。直感と信じたものが感情のツマミと共にバカになった欲望のツマミの仕業だったのではと焦り出す。あの半ばヤケクソだった時間…。いやいやそんな事はと雑念を掻き分けていくと、覚えのある甘さが「ここにいるじゃない」とこちらを見ていた。あ、すいません。もう少し辛抱します。

 化粧品フロアの香りは、余分な粉が払い落とされたようにだんだん薄まっていった。代わりにキリッとした酸味と熱さがぐんぐん増してくる。これは明らかにアルコールだ。私はお酒がまったく飲めないのだがこれは嫌じゃない。それに薄まったパウダリーが実にいい表情をしている。濃い甘い香りの女友達(ジャスミンだ)とくっついて、さっきまで気取っていたのがお酒が入って素直な感情が引き出されたようになった。そこにじわじわと漂ってくる、苦くて臭い…タバコ?タバコも嫌いだ(笑)。つまり、苦手な匂いが3つも揃っている!なのに嫌じゃない、むしろとても惹かれる…これはすごいぞとこの時とても興奮したのを覚えている。まさに酔ってきたのだ。
 ばっちり決めた化粧と香水、そばでタバコを吸う人、気の合う仲間とつるみ、強く甘いアルコールをあおる。寄りかかった壁やカウンター、椅子の素材の質感。店内も自分も熱くなってきて、汗で化粧も落ちてくる。気分がいい。心地よい高揚感のなか名も知らぬ異性と踊っている。ベッドの中でも。興奮の余韻を感じながら、しっとり汗ばんだ肌に鼻を擦り寄せて沈み込む。白々と明ける眩しさから逃げるように。
 そんなヴィジョンだった。
 浮かんだあとにびっくりした。ひとつの香りからこんなに多くの光景が順に見えるのかと。感性も暴走して大袈裟になっているのではと困惑した。だがやはり、何度かいでも、映画のようにそのヴィジョンが浮かんでくるのである。
 実際オルフェオンという香水はかつてパリ本店の隣にあったクラブをイメージして作られているのだが、こんなにはっきり光景が浮かぶほど作り込めるものなのかと本当に慄いた…。


 以上が私の香水における神秘体験である。
 すっかり気に入ってしばらく毎日つけていた。酒も飲めないタバコも嫌い、強い香水や粉っぽい匂いも嫌い、クラブになんて行ったこともない(笑)。 なのにこれがとても「自分らしい香り」の気がしている。蓋を開けて香るたびに、「ああこれだ…」とうっとりしてしまう。

 アルコール感があるから午前中より午後、特に夜に向く。ただし寝る時では目が冴える。親しい友人や家族と合う時には合わない、特に女同士だと主張が強く浮くだろう。一番向くのは、ばっちり化粧も服も自分らしく決めて一人で出かけるときだ。どの性でもいい。ひとりで行動することに何の恐れも感じていないタイプ。
 マットな粉っぽさとウッディなしっとりした空間に、なめらかな曲線を描くジャスミンとアルコールの刺激。
 偶数と奇数の組み合わせ。少しばかり調子に乗りやすい。主役に憧れるけれど仲間を引き立てる方が向いてる。つなぎ合わせる事でバランスを取る。そうして創られる隙のない完成度。

 ソリッドパフュームは、実にちょうど良い加減で香ってくれる。クルクルと指に取り手首にのせ、軽く手首同士を押し付ける。それだけ。
 たまに、腕を動かしたときに一瞬だけふわっといい香りが漂う。「ん!?今なんかいい匂いした?」と敏感な私の鼻が驚く。匂いを思い出しながら考えて、やっと「朝つけたじゃない」と思い出す。これがいい。いくら気に入ってるいい香りでもはっきりしすぎたり、ずっとかぎ続けると気持ち悪くなってくる。自分だけが、たまにいい香りにぎょっとしてその都度ときめく。それ以外の時間は忘れていていい。この「憧れ」の距離感が私にはちょうどいい。

 匂いに過敏だと言ってもまだ頭の中では「香り」と「原料」とその「名前」が結びついていないので、説明に間違いがあってもご容赦いただきたい。ご指摘もいただきたいのが本音だがビビってるのも本心。
 後から必死に何がなんなのか調べ、生活の木で精油を嗅いできて(笑)少しわかってきた。パウダリーはトンカビーン、アルコールっぽい刺激がジュニパーベリー、タバコと感じたのは苦っぽく落ち着いたシダーウッド、全体的な甘さはジャスミン。他にも入ってるんだろうが知識のない私にはまだわからない…香水面白いなあ!

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