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眞言さんの面影(現代編)

 紅さんはカフェ『ファクト・エレクトロ』のマスターである。カウンター六席、テーブル三卓のこぢんまりした店だ。
 ある事件で家なしになった僕に、紅さんは持ちビル内の部屋を相場よりも安価で貸してくれた。
 顔も広い。僕の師匠とも知り合いだったようで、『もし仕事がなくなったら紅にすがれ』と師匠は僕に言った。
 実際、探偵とは名ばかりに浮気調査や猫探しをしている僕の財布は常に軽い。
 そんな僕に、紅さんはカフェのさまざまな仕事を回してくれる。
「龍くん、今日もよろしく」
 仕入れの際に車を出す、ランチタイムにホールに立つ、終業後の掃除をする……完全にアルバイト従業員だ。
 探偵としての実績を上げなければ、このまま一生皿洗いをさせられるのかもしれない……。
 危機感を覚えてはいるが、現状では金欠に甘んじるしかない。
 そんなわけで、今日も僕は猫の描かれた黒いエプロンを身につけている。
 怒涛のランチタイムが終わり、僕はカウンターでまかないのジェノベーゼパスタを食べていた。ちょうどいいタイミングで、眞実耶(まみや)が帰ってきた。
 眞実耶は紅さんのパートナーだった眞言(まこと)さんの忘れ形見で、今では紅さんの養女分となっている。同じ建物に住んでいるから、自然と会話する仲になっている。
「龍くん、それおいしい?」
「紅さんのごはんにハズレはないよ」
「持ち上げても手当上がんないからね」
「わたし、紅茶で」
 僕の隣に座る眞実耶の注文を聞き、紅さんは笑顔で紅茶をサーブする。
 ジェノベーゼを食べ終わった僕は、水を飲んでバジルの香味を飲み込んだ。そして、カウンターの向こうの、小さな祭壇のような空間に目をやった。その中央にはフォトスタンドがある。
「この人が眞言さんですか?」
「うん、見る?」
 紅さんは気軽にフォトスタンドを僕に渡した。
 紅さんのパートナーというから、もっと少年らしくて庇護欲をかき立てられるような人だと思っていた。
 写真の中の眞言さんは、存外にたくましい身体つきをしていた。腕は太く、血管の浮いているのが男らしい。バストアップだから下半身は見えないが、顔はわかりやすく陰鬱だった。長い前髪で目の表情がわかりづらい。前髪の間から覗く赤い目は、人を拒絶する人の色をしていた。
「……かっこいい、ですね」
 コメントに困った末の発言だったのだが、紅さんは死別したパートナーを褒められてご機嫌なのだろう、肯定的に受け取ってくれた。
「でしょう! でもね、実は可愛いとこもあったんだ」
 可愛い?
 この凶悪で余人を寄せつけない雰囲気の人が、可愛い……?
「ほら紅、龍くん戸惑ってるよ。父を可愛いって言う人はいないよ」
「でも、ここにいるよ?」
「紅以外に、ってこと。ねぇ龍くん、そのエプロンもわたしの父がモデルらしいんだけど……わかる?」
 指を差されて自分の胸許を見ると、目つきの悪い黒猫がいる。
「これが眞言さん?」
「そう見えないでしょ」
「君たちは人を見る目がないね、俺は悲しいよ」
 紅さんはいじける。四十を過ぎているはずなのだが、ふてくされた表情は妙に可愛い。肌や体形にも気を使っているようだ。余裕で五歳は若く見える。
 それにしても、紅さんはずいぶんと認知の歪みを起こしているようだ。パートナーを失うと、人はこうなってしまうのだろうか。
 自分の身に引き寄せて想像すると、怖くなるのと同時に、どこか甘やかな気分にもなる。
 僕が大事な人を喪った時、このようにいられるだろうか。

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