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Sex Pistles は誰の「作品」だったのか?

音楽は世界をひとつにするとかよく言うけどさ、なことあるわけない。想像してごらんよ、ショパン好きのピアニストとデスメタルマニアがマンションの隣同士に住んでいることを。隣同士でおたがい音が漏れ聴こえ、壁を隔てたふたりはたがいに眉間に皺を寄せ、額に青筋が立つ。つまり文化って人のよろこびのためにあるものだけど、でも、「その」文化が嫌いな奴にとっては鬱陶しくウザったいもの。


おもえば1977年の英米のロックシーンはみんな超絶テクニシャン揃いだった。Led Zeppelin、King Crimson、Yes、Queen、Airosmith・・・。ただし、Eagles はいかにも感傷的な調子で切々と Hotel Californiaを歌いあげ、Love & Peace をモットーに、花とマリファナを愛するヒッピーとロックンロールの時代が完全に終わってしまったことを嘆きもしていたもの。


そこに現れたのがSex Pistols。「ふざけんじゃねー、演奏がど下手でどこが悪い! UKなんてろくなもんじゃない。ロクな仕事もない。労働者は搾取されるだけ。ゴミのような人生。この糞のような自称キングダムをおれがうんこまみれにしてやる!!!」そんなメッセージが猛烈に伝わってきたもの。しかも、ヴォーカリストのJohnny Rotten (=John Lydn)には表現者としてのカリスマ性があった。これにてロック・シーンは激変した。ロックの基準のそのフェイズを変えたのだ。



もっとも、Sex Pistles は仕掛け人Malcolm McLaren(1946-2010)によって完璧にプロデュースされたバンドではあった。Malcolm McLarenはアートスクール卒で、左翼かぶれのシュチュエーショニストであり、スキャンダルを巻き起こすことが大好きだった。Johnny Rotten (=John Lydn)は後述のブティック、Sexの客だった。


また、Sex Pistlesの演奏はド下手の癖になぜかファーストアルバムの演奏だけは見事なまでに巧い。はたまたパンク・ロック・ムーヴメントのはじまりをPistlesのみに集約させるのもいくらか公平性を欠いてはいて、むしろあのムーヴメントは同時多発的なものではあった。とはいえ、Sex Pistlesの登場は圧倒的で、Sex Pistlesはティーンエイジャーのリスナーたちの表現欲求に火を点けた。



ファッション・デザイナーのVivienne Westwood(1941-2022)の貢献もまた見逃せない。Vivienneは、60年代UKロックの時代にミニスカートを流行らせたMary Quantの栄光を奪い取った。なお、VivienneとMalcolm McLarenは恋人同士であり、MalcolmはVivienneのブティックを経営していた。キングス・ロードにあったかれらのブティックの名前は時期ごとに違う。Let It Rock。1972年にはToo Fast To Live Too Young To Die。1974年にはSex。1976年にはSeditionaries(反乱を起こす者たち)。この時期Malcolm McLarenはSex Pistles のマネージャーになっていた。引き裂かれた白いTシャツ、ボンデージ・ストラップのついたタータンチェックのパンツ、大きな穴の開いたニット、厚底のカラフルな革靴・・・それらがパンクファッションになっていった。


こうしてパンクムーヴメントの炎は燃え広がってゆく。The Clash、The Damned、The Jam、はたまたSlits、そのほか数えきれないほどのバンドが次々とデビューした。また Brian Eno が(一方で環境音楽の探求を続けながらも、他方で)パンク・ロックの天才的プロデューサーになっていったのもこの時期だった。

後年、John Lydnは自分たちがMalcolmに利用されていたことに気づき、激怒し、それがかれのPublic Image Ltd への情熱になってゆく。


また、1980年、VivienneとMalcolmの関係は悪化し破局を迎え、 店はWorld’s Endと改名され、驚くべきことに、いまなお営業を続けています。


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