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18歳女子のリアル。映画『ゴースト・ワールド』

Ghost World。この映画は(アメリカでは2001年公開)、タイトルから連想されるようなホラー映画ではまったくなくて。時は1990年代前半、カリフォルニア郊外のミレニアム世代のふたりの白人の女の子の物語。ハイスクールを卒業してはみたものの、大学進学する気もなければ、就職するつもりもない。彼女たちにとってバカどもたちの世界にこれ以上参入する気はない。ただただたのしく暮していたい。自分がなにを求めているのか、それさえもわからない。彼女たちは世間のすべての人たちを俗物と見なし、ネタにして笑い転げ、皮肉で冷笑的なイキった態度で勝手に勝利者宣言をすることによって、自分たちの自我を護っている。ただし、その内側にひりひりするようようなナイーヴさがあって。さぁ、いったいこれから彼女たちはどんな行動をして、なにを失い、なにを手に入れるのだろう? 観客は心配にならずにはいられない。


きらめくライト、ビッグバンドジャズが流れ、華やかなダンスパーティのシーンから映画ははじまる。やがてカメラが移動すると、そのパーティは実はテレビ画面のなかのことで、暗い部屋でそれを見て踊っている陰気な女の子が映し出される。彼女の名はEnid(イニード)。黒髪ボブでセルの黒ぶち眼鏡をかけている。彼女は卵型の綺麗な顔立ちをしているものの、ただし背も低く、ファッションも奇抜で、どう見てもスクール・カースト最下層である。Enid は部屋で The Buzzcocks の"What do I Get?(自分はなにを手に入れればいいのか?"をかけて踊り、1977年のオリジナルパンクを信奉する時代錯誤なパンク少女だ。(しかも、気の毒にも彼女は街の男から「なーにいまどきシンディ・ローパーみたいな恰好してんだよ」とからかわれる。)他方、彼女の親友Rebeccaは、ブロンドで背は低いものの、絵に描いたようなカリフォルニア・ガールだ。



ハイスクールの卒業式。カリフォルニアのハイスクールですから、5月か6月ということでしょう。車椅子の少女による善意に満ちた卒業スピーチ。「高校時代は社会へ出て生きてゆくに先だって、自転車の補助輪のようなものでした。
わたしはいつも仲間たちに助けられ、お陰でわたしはアル中にもならず、ヤク中にもならずに済みました。」


学窓の外へ出たとたん、Enid は振り返り、校舎に向かって中指を立てる。そして彼女は親友のRebeccaに囁く。「ばっかじゃねーの、あのスピーチ、あの子、アル中でヤク中だった癖によォ。あぁ、アホらし!」彼女の卒業証書には文書が添えてある。単位不足によって、アートの授業の補習を受けること。Enidは絵を描くことが好きで、大判のノートに毎日マンガふうの絵を日記のように描いているというのに、なぜか学校の美術の成績は悪かったようだ。(なお、女性美術教師は、絵に描いたように典型的な、それこそマルセル・デュシャンからフェミニズム~多文化共生イデオロギーを信じきったアート教育者で、その凡庸さに映画の観客はつい苦笑してしまう。)彼女は自分がアートの授業の補習を受けなくてはならないことにむかついて、卒業証書をびりびりと破ってしまう。紙片たちは風に飛ばされて舞う。


Enidは父親とふたり暮らし。はやくRebeccaとふたりで毎日楽しく暮らしたい。18歳女子ゆえ性的好奇心も旺盛ながら、新聞の出会い系欄をチェックして、いたずらで男を呼び出してみたり、カフェテリアで見かけたぶさいくな中年男女の似顔絵を描き、かれらをサタニスト(悪魔教の教祖)に見立てて尾行してみたり、ぶ男の友達を無駄に誘惑してみたり、ろくなことをしない。



もちろん大人の観客はおもう、まわりのみんなをバカにしてるけど、おまえら何様? こいつらこれからどうなっちゃうの??? そして観客が案じたとおり、Enidは1920年代のブルースに惑溺する心優しく優柔不断なおたくの中年男に興味を持つ。おそらくそれは恋でもあるのだけれど、しかしEnidが自分の恋心を素直に表明するわけもない。彼女の暮らしはどんどんこんがらがって、Enid自身を苦しませてゆく。しかもアートの授業の補習によって、彼女はぬかよろこびもする経験も経るものの、しかしそれもまた・・・。ぼくはおもう、18歳のリアルってこんなふう。この映画は全篇くすくす笑えるシーンの連続ながら、それでいてつねに「18歳のこんなふう」がひりひりするほど生々しい。



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