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かわいくせつない青春音楽映画『バジーノイズ』とその外側。

孤独のなかに沈み込みながら音楽に没入しているときでさえ、音楽はかれを外の世界へ連れ出してくれる。他方、どんなふうにミュージシャンを愛することが「正解」だろう? はたまた、ミュージシャンは誰のために、なんのために音楽を作るの? さらには音楽によって結びついた人と人の心が音楽によって離れてゆくこともある。もちろんそれはけっして音楽に限ったことではないけれど。



風間大樹監督によるこの作品はざっとこんな物語です。清澄(ボーイズ・アイドル・グループ Jo1‐ジェイ・オー・ワン‐の川西拓実)は心になんらかの傷を負い心を閉ざし、無口で、マンションの管理人をしながら昼間は小さな管理人室に閉じこもり、夜かれはひとり自分の部屋で音楽を作る。MIDIキーボードと、(縦横4列に並ぶ16のパッドを叩いてビートやメロディーを作って、ループやトラックを作ることができる)Maschine Mikroを駆使し、デスクトップでPro Toolsの画面を見ながら。かれが作る音楽はエレクトロニカ系のデスクトップミュージックである。かれはすばらしいミュージシャンになりうる資質を持っているものの、しかしかれには行動する意志が欠けている。



潮(桜田ひより)はそのマンションにひとり暮らしをしていて、(折しも彼氏に振られた傷心もあって)かれの音楽の虜となる。これまで彼女は音楽ファンでもなんでもなかったはずなのに。どうしてこんなにかれの作る音楽はわたしの心に浸み込み、わたしを幸福にしてくれるのだろう? 彼女は清澄に積極的に接近し、かれの作曲した音楽をSNSで投稿する。これによって清澄の音楽は少しバズる。また、潮はかつての同級生でいまレコード会社A&R担当になった航太郎(井之脇海)や、むかしともにバンドをやったこともある(ジャコ・パストリアス風にチョッパー・ベースを弾く)陸(栁俊太郎)と再会もする。こうして清澄の音楽は開かれてゆく。清澄は陸とふたりで音楽を作ることによろこびを見出す。



ところが航太郎が絡んだ結果、清澄はミュージシャンとして、職業作曲家として、あろうことか歌手としてまで活動の場を広げるようになる。表現者として清澄は大きく開花してゆく。他方、これに潮は悲しみを覚える、「ファン第一号のわたしは置いてけぼり」。(「推し」ゆえの哀しみ。)また、潮が自分の意志で清澄の元を去ってからの潮の投げやりですさんだ弾けっぷりも上手に描かれています。陸もまた落胆する、「せっかく音楽業界に頼らず、セルフマネージメントによって、ふたりだけの力で音楽をやってゆこうとおもったのに。」清澄の才能は音楽業界に使いまわされ才能を使いつぶされてしまうのではないか。こうしてドラマはクライマックスを迎えてゆきます。映画タイトルのBuzzy Noise はバズることよって世間の雑音が一気に襲い掛かってくるという意味でしょう。さぁ、かれらは清澄を取り戻すことができるかしらん。そしてまた清澄の人生はどんなふうになってゆくかしらん。


いまどきの綺麗な顔の青年、清澄を演じるJo1の川西拓実さんはまるでデスクトップミュージックの実作者のようなリアリティがあり、また自分の内面に閉じこもり、無口であることがさまになっている。他方、桜田ひよりさんは(ご本人は千葉県のご出身ながら、役柄の)神戸弁も自然で、明るく積極的な女の子を上手に演じ、かつまた表情の微妙な変化も巧みに表現しておられます。青春映画としてとてもよくできています。また映画はデスクトップミュージック制作の現場を見せてくれもすれば、他方、音楽業界というものが自分たちが発見した才能ある音楽家を即座にニワトリと見なし、養鶏場に押し込んで卵を産み続けさせてゆくヤクザな世界でもあることをも上手に描いていて。かつまた海の場面、潮騒、そしてその青AZUR は詩的な効果を上げています。なお、この映画はミュージック・コンセプト・デザイナーとして

Yaffle(小島裕規)さん

が関わっておられます。なお、ぼくにとってはこの映画によってこの人の存在を知ったこともまたありがたい。




他方、この映画は、〈性欲およびセックスのない世界〉というSF的パラレルワールドを描いてもいて、ぼくはこのことについても考えさせられた。その理由はあるいは(ぼくは未読ながら)原作のむつき潤さんのマンガ『バージーノイズ』(『ビックコミックスピリッツ』でビ2020年まで連載されていた)にあるかもしれません。(なお、むつき潤さんは男でありながら、女の子の気持ちを理解しておられます。)あるいは主人公を演じるのがJo1の川西拓実さんだからでもあるでしょう。しかし、もしかしたら、いまの若者たちのなかにはセックスとうまく折り合いがつかず、かならずしもセックスなんてなくてもかまわない、もしかしてそんな人が一定数いるかしらん??? そこには〈セックスレスの若者たち〉というトピックさえも(図らずも)見え隠れしています。




次に、音楽には魔法を作るよろこびがある。これもまたこの映画のやや外にある。ある音色に別の音色を添えることで、また残響効果のつけ方や、あるいはビートをそれこそナノ秒単位で動かすことで音楽は変化し、別の表情を見せてくれる。唯一無二の正解など存在しない。言葉に頼ることもできない。ただ自分の耳の美意識に従うほか方法はない。だからこそ良いミュージシャンの8割は無口なものだ。ただし、そういうことは音楽の内側に入り込むことによってはじめて体験できること。この映画を観た人が、Yaffle(小島裕規)さん、はたまたAphex Twin やレイ・ハラカミ、ひいてはブライアン・イーノあたりを聴くようになればいいな、とぼくは願う。



とはいえ、この作品は青春音楽映画としてはなかなかにグッとくる佳作ではあって。主人公たちと同じ世代の人はその喜怒哀楽に共感できるでしょうし、また、音楽好きの年長者はおれにもあたしにもあんな時期があったなぁ、と懐かしむでしょう。



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