明治には国家神道が有効
昨日は、明治の合祀問題について、否定的な議論をしました。
明治の合祀問題|鈴木良実 (note.com)
しかしながら、幕末から明治の社会情勢を考えると
国家神道の必然性
が見えてきます。もう少し言えば
神々の争いの危険
の見直しです。幕末の武士社会は
攘夷 対 開国
尊皇 対 佐幕
の対立が激しくなりました。ここで、大事なことは
朱子学などの影響もあり
自分の神様の絶対視
の武力行使者の存在です。彼らは
自分と意見の違う者を力で排除
することを当然とします。いわゆる
天誅(天に代わって成敗)
です。この殺し合いは、絶対権力者に見える、藩主層まで及びます。一例を挙げれば
大老井伊直弼の暗殺
島津藩主斉彬の急死
水戸藩隠居の徳川斉昭の急死
孝明天皇の急逝
です。なお、井伊直弼以外は、いずれも暗殺の噂だけですが、反対派に都合の良いときの急逝です。徳川斉昭については、桜田門外の変の報復として、彦根藩(井伊家)の犯行が疑われマスが、色々な資料で否定されています。しかしながら
水戸藩内部の幕府忠誠者の忖度暗殺
の可能性は残っています。これが事実でないにしろ
藩主や天皇ですら暗殺
と信じる者が多くいた状況でした。
こうした
殺し合い社会を終わらす
のは
公正な法制度
それを保証する絶対的な権力
が必要でした。
そこで生まれたのが
天皇の神格化
国家神道
です。こうして
絶対的な権力による裁きで
暴力による解決を止めさせる
と言う発想は
明治の文明化には有効
でした。
しかしながら、こうした体制は
昭和になると歪みが貯まり
ました。この解決は
敗戦によるマッカーサー支配
と言う、別の権力でリセットされます。さらに、朝鮮戦争時のアメリカ大統領による、マッカーサー解任は、日本の民主化に大きな影響を与えました。
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