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元学生運動家が支持されない理由

 一部の革新政党の政治家には、元学生運動の活動家がいます。私は彼らの言動に、違和感を感じます。その理由の一つは

「我らは権力と戦っているのだから、多少のルール違反は許される」

と言う姿勢です。 

例えば、議会制民主主義の原則の一つに

「51対49の僅差でも負けを認める」

があります。大阪都構想の住民投票に於いて、2回とも僅差での否決になりました。この結果

「1回目は橋下徹への不信任」

と言う面もあるので、橋下徹の退陣となり、敵が多かった橋下徹を外した2回目のチャレンジも僅差ですが、否決となりました。なお、2回目の選挙では

「大阪市を残すかどうか?」

が焦点の一つであり、この結果を維新の幹部は受け入れています。

この行動について、橋下徹元大阪府知事・市長は

「僅差でも負けを受け入れるのが民主主義」

と『決断力』の中で書いています。

さて、一部の野党には、負けても

「自分たちの声を聞け」

とわめく人がいます。

私は、彼らの発言の裏に

「民主主義の51対49ルールは、我々のような弱者に適用すべきでない」

と言う声が聞こえます。

自分たちが、被害者風の声を上げて、ルールも曲げていく。このような姿勢を感じるのは、学生運動家の糾弾等で、被害を受けたからでしょうか? 

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