物作りの二つの方法
西洋文明の拡大には、産業革命からの工業化が、大きな力を発揮しています。この場合のモノ作りは
学問的知識が導く設計通り
の製作です。作るべきものについて、机上できちんと検討し、その設計図の指示の通り、モノを作るのが理想の形です。そこでは
理想の値から管理範囲内に収まる
ようにモノを作っていきます。
一方、古来の日本のモノ作りは
仏師は木の中にある仏を彫りだす
という風に
本来あるべき姿を人が感じ
それを作り上げる
という方法がありました。
両者の発想の違いは、根底に
西洋文明には神の智慧は人間は到達不能
ただ哲学者のみ接近できる
という、古代ギリシャからの伝統と
誰もが仏の智慧を持つ
という大乗仏教的発想の違いがあります。
ただし、西洋文明の発想でも
機械などの精度で誤差が生じる
場合があります。これに対して
アメリカ式は公差内のがたつきは許容
日本式は職人の仕上げでよい物を制作
という対応になりました。ただし、アメリカの産業は
公差を抑える技術者の努力
で、大量生産でも使える物を実現しました。日本のTQC活動は「全員参加の高品質化」ですが、アメリカ生まれの6σ活動は「高度技術者の活躍」です。
さて、今回は
日本的なモノづくり
の見直しを考えます。
従来の伝承は、多くは
徒弟制度
内弟子
で行われていました。その発想は
師匠の生き方を見て
同じようになる
です。つまり
物を作る師匠と同じ見方
と体の動き
ができるようにする。こうして
木の中から仏を見出す
という力を身に着けるのです。なお、江戸時代までの、日本の学び方は
(孔子の断片的言葉の)論語を何度も読み
そこから孔子の考えを自らのモノとする
という形で
自己の中で人格再構成
を行っていました。この延長で
物作り能力の自己内再構成
も自然なモノとらえたと思います。
こうした
完全な名人芸の職人を
自己の中でイメージ化し
それを実現させる
発想が、本来の日本的なモノづくりではないかと思います。現在は、この考え方が、うまく伝わっていないように思います。
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