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南無妙法蓮華経の実践

前にも書きましたが

南無妙法蓮華経

法華経に帰依する

と唱えています。そこで、もう一歩踏み込んで

法華経は何を説いたか

を考えました。

まず、法華経の位置づけですが

大乗経典

です。「大乗」は「小乗」と、対比して使われる言葉です。つまり

当時の主流であった教えを
「小乗」と批判して「大乗」を説いた

のです。そこでの、法華経の論理展開は、以下のようになります。

第一の主張

仏は
外見・本性・潜在力・構造・作用・因・縁・果・報が全て総合的に作用する
物事の本質を見抜く智慧がある

第二の主張

仏は
全世界を自分のモノとし
その中の衆生は全て自らの子である

第三の主張

従って我ら衆生は
(仏の子供であるのでその力を相続し)
全て仏となり仏の智慧を我が物とできる

第四の主張

こうした全能の仏は
衆生に対して方便として死ぬ姿を見せるが
実際は霊山で今でも皆に法を説いている

そして

何時も
どうすれば衆生が無上の道を得て
即座に仏身になるか
心を砕いている

他にも色々大事な教えがありますが、主なモノはこの四つです。

第一の主張は、仏の智慧の偉大さを示しています。しかも、第二第三の主張で

私達にも仏の智慧がある

と説いています。お題目の

南無妙法蓮華経

法華経に書いてあることを信じて
私達にある仏の力を信じて呼び出す

ために唱えています。例えば、日蓮聖人の御書の一つ「法華初心成仏抄」には

我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉って、
我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて
顕れ給うところを仏とは云うなり

と言われています。つまり

私の心の中に仏の力がある
南無妙法蓮華経
と唱えればその力が出る
これこそ仏

と信じて、お題目を唱えるのです。なお、こうした唱題行を、日蓮宗のある寺では

瞑想

としました。自分の心の中にある仏と向き合う、そのために「南無妙法蓮華経」と唱えるのは、瞑想の一つの形です。黙って座るだけが、瞑想ではありません。

なお、第四の主張の

今もお釈迦様は霊山で法を説いている

は、法華経の中でも特に大切な、如来寿量品の教えです。この教えがあるから

古来からの伝承でなく
独自の解釈を直接お釈迦様から頂く

ことができるのです。それまでの「正統派」の教えと、違う考えを打ち出すことが出来るのは

今のお釈迦様の教えを頂く

ことができたからです。これらのことを信じる。これを

南無妙法蓮華経

で宣言し、味わうのです。

この記事は、以下の続編です。

お経を読むとは|鈴木良実 (note.com)

#南無妙法蓮華経 #大乗 #瞑想

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