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ngwk感想文7_神力の話をする

 雫と玄蕃、上杉さんと似ているみたい。僕が共感できるものは「神力」だった。それでたぶん、尊氏のきもちがわかる。終始して、筆者の自分語り。

 2024年6月を費やし「逃げ上手の若君」を読了した(単行本で既刊15巻まで)(連載中作品)。なんかアニメも始まってて評価良さげ。盛り上がってるぽい。楽しいね。われながらいい時期にいい作品にハマれたと思い、これを書いている。
 
※単行本15巻までの内容が前提の記事で、ネタバレ要素を大いに含みます。


 大前提として、神力の「メタ的役割」の話をしている。作中設定や歴史的なモデルの話はできないし、しないし、一切触れもしないつもりだ。
 
 自己からの反射を認めないことには語りえないので、内向型人間の性であって。濁さず言ったら、「逃げ若」をダシに無限に自分語りをやるターンに来てしまった。ここは感想・考察から外れて、筆者が延々と自分語りをしている記事です。

神力の話をする

 色々あって。紆余曲折の結果、逃げ若のキャラクターで一番、僕に似ていて共感できそうなやつは「神力」だった。「神力」への共感って、メタ読みにものすごく悪用できる気配がする。試さない理由が手元にない。やるよ!
 ここは、正規ルートの読解どころか、バグ攻略じみたものになる可能性がある。非正規か、制作者の想定範囲からも外れ得ると考慮する。なんかもう、原作をきちんと論拠に使うよりも、勘と印象と、神力への同調に重きを置いて話をしよう。はじめから、当て推量でいく予定。もともと神力はかなり、人間性が担保されない存在のため、表向きの共感対象といえないだろう。逃げ若という作品には、無茶を許容する強度を確信した。作品の度量のでかさに甘える所存だ。
 ここまでの文章、ひたすら予防線張ってる、筆者はかなり不本意なことをやるのでビビってる。煮え切らねえな。たぶん、すげえ無茶苦茶を言う! お楽しみに。

構成要素

 手始めに、神力ははたしてキャラクターなのかという問題がある。神力はキャラクターだと主張する他ない。彼らには性格っぽいものと、意思っぽいものがあるため。そしてその性格と意思はなんとなく、僕と似るようであるため。人間の僕の人格が神力ぽい以上、神力が人間ぽいのでなきゃ嘘だろう。
 さて。原作者が頭で考え出した以上、描かれた存在は、人間の想像力の埒内だ。どこかしらが人間的であるはず。僕に脱構築論なんて喋れないけれど、「非人間性」は人間性と同軸とみなせるものなんだ。ゆえに、在る時点で擬人化されたものだと言ってしまえる、乱暴だが。擬人化された存在たる神力の人格には、なんらかのモデルがあると仮定する。よって筆者は、神力というキャラクターのモデルに、「人間の一側面である資質A」を設定する。遊びなんだ、こんなものでいいだろ。いや間違えてる「僕が神力に共感できる以上は、僕にとって神力はちゃんとキャラクターだ」、これでよし。
 
 この文章において、『「資質a」の擬人化が神力である』として、「資質a」および「神力」を定義する。
 そして、紆余曲折から収集した神力的な性格を列挙する。偏在的な凶暴さ。潜性の逸脱傾向。他者への一方向の関心。強い縄張り意識。干渉を拒む。視線を嫌う。定まることを恐れ、求めもすること。「形」でなら縛ることができる。……どうせ結果論だから、こいつらは流し見でよい。「資質a」が何かはまだわからない。こいつはまだ、解くために仮置きしておくための函にすぎない。
 追加で、僕自身はポップな理屈屋を自称する。資質と傾向は、逃げ若のキャラクターでいえば、立ち回りは玄蕃、思考回路は上杉さん、感性は雫、から近いものを自覚した。3名、玄蕃、上杉さん、雫において、神力絡みは雫だけだ。
 1人目の「資質a」適合者は雫にしよう。上杉さんと玄蕃は「資質a」的な要素を持つ無関係の人間と見ておく。今はこれで十分だ。では本題へ。


 原作準拠で、「神力絡み」の人物、頼重、時継、魅摩、そして雫、尊氏。まだ読むに足る情報もないので、印象で語る段階だ。大事なことは、僕は神力と同じ気持ちかもしれない、と。上記の並びに思い立った際、まず真っ先に冷や汗をかく思いをさせられたんだが。前半3人に関して、理由とともにまず説明を。
 
 頼重、時継さん、魅摩さんの3名は「神力に気に入られて集られる」人格の持ち主だ。それと、顔面が整ってる。神力は面食いで確定だ。この3人の共通点はめちゃくちゃ美人なこと。ぎょっとさせられたことには、僕が作中で顔が良いと、気持ちを寄せてたTOP3がこの3人なんだが。個人的に美形4位は時行さんだけど、彼は主人公補正あるので除外だ。作中において、純粋に総合的にどタイプの人間として片手に入る3人でもあったが……。そんな被るものか? こわ。
 偶然でないなら作家のコントロールだが。怖ぇよ、原作者は何が見えてるんだ。偶然なら仕方ないけれども。神力のこと、こいつさては僕だなと確信した1番でかい要因、顔面の好みとまで言えるぞ。わかりやすい美形の顔面を好きなんだよ。ただただひたすら中性的なべっぴんさんに節操がないです。何?
 構成の問題があり、「神力に気に入られて集られる」人格の内訳は次章でやることとする。
 
 雫と尊氏への印象はちょっと違う。雫と尊氏は「神力に仲間だと思われて寄られてる」人格の持ち主だ。僕基準で言うならば、彼らに寄り付くのは好み故でなく、単に同属だからだ。それぞれについて、ここで掘り下げておこうか。
 
 印象だが。神力と雫は構想時において、親子か兄弟の関係性だろう。雫は「神力を擬人化して造形されたキャラクター」だったのではないか。仮説では「資質a」を1段階擬人化したものが神力であるので。雫は「資質a」を2段階に擬人化したもの、ということになる。
 僕側の経緯、雫を覗いたときに最初は、彼女の持ち物は僕のと似るようだ、とだけ思ったんだ。それも吹雪のついでで。仔細を読むことには、僕は彼女の人間性へ自己投影していたのと同時に、彼女を透かして、その奥の別の存在に同調していた、ぽい。そんな気がした。彼女を好きだけれど、それ以上に彼女を使い間接的になにか探していた。僕が本当に見ていたのが神力(≒資質a)だったとすれば、と、ここに繋がった。
 雫はメインヒロインのため、これでは逃げ若の根幹設定に「神力」があるという話になってしまうのだが。雫のキャラクタ造形は、作者が神力の在りようを決めてから後、もしくは神力と並行して設計されたものに感じる。設定上のフレーバーは知らないけれど、設計において、雫と神力の核心は同じ辺りで、雫は人間の形と、神力よりもう一段階ちゃんとした人間味を組み込まれたもの、に思える。
 そうだな、過去と組成と作家の思惑の当て推量で管を巻くだけでは、芸ないから、物語にも読みをあててみる。メタ層で雫は神力の子か妹だ、と言うならば、その層で彼女に与えられた物語上の役割は「越境者」なんじゃないか。此岸から彼岸へ渡ってゆくもの。あるいは彼岸から此岸に降りてきたもの。彼女が色濃く匂わせている死ぬ系ヒロインの気配ってここから来ているな。通例では、彼岸に渡って神になるというのは死ぬってことなんだけど。伏線類を読み切れてなくて、なんとなくの勝手な印象で僕は彼女をあくまでそういう目で見てる。
 純粋に主観において、雫は「越境者」であって「境に立つもの」ではない。変なことを言うが、境界線上のキャラクターであったなら、僕はひと目で雫に惹かれて最初から気にしていたと思う。僕はどうやら閾値という存在にすごく屈折した気持ちを抱いているぽいから、それこそ気配に引きずられる気がする。要するに、少なくとも雫さんはひとと精霊の「あいのこ」では有り得ず、対岸に移行しうるひと、と決めつけている。
 
 尊氏の正体に関しては、12巻と13巻で説明されているため、今更僕が言えることもないだろうが。いや、まだ神力絡みの事案は、本編じゃなぞなぞの扱いであるため、たとえ読み間違えてても語っておく価値あるか。あのなぞなぞは、僕の雑な解釈において、いかような像を結んだか。
 尊氏はつまり、人間を器とする呪物だろう。ここはね呪術廻戦。人間ゴキブリホイホイみたいなものでは。尊氏自体は普通にひとだが、生身のそのままで神力を食いつぶす機構にされている。生体兵器だ。だから、機能を潰すかハードを叩くか、の話になっている。あるいは環境を壊すか、だ。いずれにせよ強くて手がつけられないから、尊氏メタの切り札として、時行さんと雫を、頼重が無理くりアサインしたところまでが本編だろ。
 尊氏は、設計だけでなく設定の上でさえ、神力が人格のベースになっているひとなのでは。ある意味、彼の方こそ境界線上の存在だ。因果から、そう生まれついてしまっていたから、彼岸にはじめから近すぎて。本人にも周りにも、どちらのものかわからないくらい。彼は強いから扱えていて、此岸のものと彼岸のものの、どちらの長所も短所も持っている、とは楠木さんの言から。普通の人間のはずなのに、神力という別の在り方と似て、馴染みすぎて、そのものに成ってしまい得るような。
 メタ的にはもっとシンプルに捉えている。尊氏は「資質a」との親和性が高すぎるひと。メタ階層においては、逃げ若の世界の「異能」は人格と切り離して見るのも可能のため。僕は彼を超能力以外は本当に普通のひとだと思う。いや、不正確だ、僕は神力のこと、現象以外の要素に関しちゃ人間と大差ない存在だと思っている。

感情

 「資質a」の情緒の話をする。神力に感情があって、それが僕と似たものなら。まず人間にとって良い性質のものではない、と断言はできる。ひとを壊すのが神力の性では。やつらに悪気あるわけじゃないんだ。神力はただ、人間が光っているのを好きなのだと思う。情や念や欲みたいなもの。僕はそう。描かれる、人間の熱くて光ってて綺麗なところがみたい。ただ綺麗なものが欲しくて、焚き付ければ、人間の方がたぶんもたないんだ。
 この働き自体、問題だが悪いものじゃない。僕も、みんなも普通にある感情。たぶん読者みんなに。ここで、第四の壁のお話をする。明言はおろか、示唆も描写もないが。神力の雰囲気に気づいた時、作中で描かれる「神力」はそのまま読者の姿と重なると感じた。今もそう思う。だって僕らは、紙面で遊んでもらっているだけだ。けれど僕のは強めかも。
 読者は、派手で楽しい展開が大好きなんだ。部分的だが、神力に似たものを前に見たことあるよ、漫画で。「DEATHNOTE」のリュークだが。子供の時分あれを読んで、最序盤だったと思う、リュークのこと覚えている。本の中に僕と同じ気持ちを言うひとがいるのを、それで初めて見たから。リューク、かわいいし好きだ。でもあいつは関わる人間を不幸にする。
 現実に僕らが紙面を追う欲求と、作中で神力が人間にやることは、結果的に似ていると思う。壊れていいからもっと、もっと派手で楽しいものを見せてくれ、と。
 なんだ、そうか。この論において。作中で、神力にとって人々はただ客体だ。僕らも同じ、読者にとってキャラクターは客体化して消費するものだから。いや不正確だ……ひとは、違う次元の存在と見なした他人を、客体化して消費する。それで僕は、神力を僕らと同じと言ったんだ。
 
 神力に好かれるひとの特徴は、顔が良いことの他にある。魅摩さん、頼重、時継さんを見よう。感情の出力が大きく、よどみなく、純で正方向のを使うひとだ。生命の、1番柔くて1番荒いところ。
 ひとつ、わかった。僕がかわいがるのも、奴らが好むのも、主体性の、能動の、そのひとの1番、感情の尖ったところなんだ。だって、奴らそれそのものってなぜか、決して主体にはなれない性質だ。奴らを扱える人間は、熱や光でおびき寄せて使役するように感じる。
 魅摩さんの好きなところ、1番は、あの子の殺意だろう。いかにも好みの激情なんだ。正の情動の、純真な、先鋭化したところ。何より眩しくて綺麗だからな、誂られた生菓子みたいに。でもいけない。出し惜しみをしないから、神力に好かれすぎると思う、誰にもできることではないが、それで尚更。魅摩さんが、神力を受け容れたのは、あの距離感は大正解だったんだ。あの話しかけ方すると好かれる。優しくて、素っ気ない感じが。彼女の情念はいつだって激しくて清らかで、奴らは手放すはずない。あれらに気を許してはいけなかったんじゃないかと思ってしまう。鳴かぬ蛍に火をつけるような存在と言えないか。たぶん彼女、順当にいったら、情念で身を滅ぼすとか、若さと激しさをなくすとか、神力に飽きられるとかするよりも前に、連れてかれてしまうんじゃないか、あんまり気に入られすぎてて。そういうイメージがある。それは綺麗でも、許させてはいけない。
 思えばやっぱり、頼重はおかしい。彼を大好きだから、色眼鏡はあるが。頼重はやばい。神力との接続はたまに切れていたようだが、寄せも呑まれもせず、あれは一方的に使役していた。そんなのできるのか? 彼はあれでいて神力を寄せ付けない。神力に好かれるだけの感情を常に放出しているだろうに、よどみなく。あくまで彼は、あれらの主として主導を握り続けていた。意味がわからない。今僕が何を見てビビってるのかすらわからん。こわい、僕何の話してんだ? ずっと最初から、わけわからんって言いながら、1番わかんなくて好きなの頼重のことだものな。もしあんなひとが近くにいれば煙たいだろうけれど、やっぱりどうしようもないくらい、かっこいいひとだな。
 時継さんも、頼重の直下で同じ流派の使い手。使役に関しては頼重より幾分、安定していたようであるし。戦闘特化とはご本人の談だが、神力の使用自体も彼の方こそ、特化的に優れていたのでは。頼重は、地主やアイドルやたぬきのお仕事も忙しかったろうし。
 
 あてられて、人間はなんか壊れる。神力自体は、触媒とか助燃剤みたいなものなのだと思う。思うに、情や念や欲みたいなもの、神力自体のじゃない。むしろ、持たないからこそ集って、焚き付けたがる。いつも光るものはかわいいから。でも、壊れないか? この仮説は作中の描写から、補強できるか。尊氏の超能力って、ひとをおかしくするが、あれ神力由来の何かなんだろ。神力に燃やされたやつといえば、麻呂のひとと吹雪、あとなんか尊氏。
 麻呂のひとは、ものづくりと進行管理が得意で好きだから、世界を作りたかったんだ。誰のか、なんか尊氏に自我を攫われてしまったが、単にでかくてかっけえ建造物を作りたかったのだよな。楽しいことはいいことだから。素のやりたかったことを火種に、神力に焚かれた威力に負けて転げ落ちて、彼は駄目だった。彼が残虐なのと、野心と臆病としがらみに囚われてしっちゃかめっちゃかだったのは、神力関係なく元々だし。
 吹雪のはなんだろな。飢えって言われても、メタファー的には野心……かな? 的な? なんとやらがあって掻っ攫われちまったけれども。元から強くなきゃああはならないって、兄者のひとも言っていたし。がんばれ。
 
 雫と尊氏は本当はこれではない感じがする。本当に全然分からないから、まだ語るべきではないが言いたい……。
 雫さん神力を、使役も使われもしていないだろう。神力と秘術の違いが作中で説明されなかったのだが。まず、雫の扱うものが本当に神力かどうかを疑う。なんか、もしかしたら彼女がその手合いとなんか身内で、むしろ自家生成できる気配がする……? 描写で、あの子って神力を口から使うようだけれど。体内で飼っている? のは魅摩さんで、雫にはもう1段階の仕掛けがあるのだろうな。僕が不確かな情報で喋りすぎるから、もう余程誤算の方が大きいだろうが、ずっと思うことが尽きなくて困る。まだ抜けられない。
 尊氏こそ存在が神力っぽいんだが。伏線も意味深だし、情報足らんし、僕は頭がもうごちゃごちゃだし……。尊氏は、なんかよくわかんないけど、全部欲しいんだよね。鬼なのだもんな。欲求の内訳は、次章を開ければ喋れるかも。あとで。ただ、彼に関しては純粋には神力の使役でも燃やされでもないように思う。彼自身が呪いだし呪われているらしいし、そういう装置の器たるひとなのだし。事情は知らないが、もう1つ2つは縛りがあるからあれだけ強いしラスボスなのでは?

 そうかもしかして、神力は「可能性」に属する力なのではないか。あいつらは、人間の制約を壊す。だからできないことをできるようになる。光を見たくて、開けちゃならんものを開けたがるのだろうから。結果としてタガを外すようなことになるのだろう。頼重の異様さは、自制心とかなのか。

欲求

 頼重が言っていた神力のルールでは「在ると思えばそこに在り それだけで大きな力」あるいは、見られれば力を失う、と。そうだね、認知を得てこの世から失われるものは可能性だ。可能性は妄念を生むけれど。でも定まらなければ、過去や未来に対して、いつまでも自由でいられる。不安でも自由でいたい。
 結論からいけば、「資質a」とは自由の欲求のこと。神力が自由を欲しいかはわからないが、テリトリーを欲しがるようなこと、視線を厭うこと、は僕の気持ちと似ている気がする。ここに至る経緯はどこまでも個人的な感情だけれど、色々と、辻褄を合わせてしまえる話ができる。必要があり、自分語りパートが続く。
 僕は欲しいものとやりたいことが自己完結しており、飢えをわからないと書いたことがある。が、それでは浅すぎて嘘だ。話の粒度的に、本質に至らなかった。順を追う。以前の。僕のやりたいことは、いつでもなにか楽しいことを。そのために、不老不死と世界平和が欲しい。他は、宇宙とか永遠とか無とか、そういうのを欲しい。上杉さんのとだいたい同じだろうと思う。届かないものばかりを求めておれば、安全な趣味だから。
 吹雪は飢えがあるからこれと違うようだ、という話だった。やりたいことと欲しいものは同じことを言ってる。僕に根源の欲求はわからないのだ、と、でも真実ではない。希求の内訳も、吹雪のと違う、も本当。無欲というのは完全に嘘。何故それを言えたのか。素が、何につけ実感が乏しめの人間だから、欲や念や情……自体は確かに薄いか、無邪気と言えるものではあるだろ。欲求を伏せるとすれば、具体性を伴わない点は、意図せずとも煙幕じみてる。真に、やりたいことが問題なんだ。
 「いつでもなにか楽しいこと」、楽しいのは良いことだよね……前半部分がかなり不味い。これ、意思じゃどうにもならない程度には「選択肢」というものに固執する。前も先もなんでもいい、その時々、その場その場を自分で選べさえすれば。自覚できたのは、欲しい不老不死や世界平和を分解してみるに、そいつらが担保するものは可能性だ、と読めたからだが。僕って僕への全権が常に欲しい。
 たぶん、絶対に最後まで自由を手放せない。責任も手放せない。この欲求の片鱗は、先鋭化した自己責任論や、孤立への指向、干渉への劇的な拒絶、などから見えるのか。今目の前に世界が豊かにあり、コントロールがこちらにありさえすればなんでもいい。自分で決める。それこそ、何を壊しても。かなり欲張りかも。こいつこそ「資質a」の本体だと考える。
 
 さて。「資質a」とは自由への希求だ。とすれば、作中から何を拾うか。信濃の性格、楠木さんの教えの裏側。章を跨いで足利尊氏。作中の、重要度的にも、それらしく根深そうな話をできそうだ。楽しくなってきたな。
 
 信濃の性格、妙に印象的だったがどこで出たか忘れていた、65話か。長めに引用しよう。「山に隔たれて栄えてきた信濃の民は… 伝統的に独立意識が非常に強い 外への野心は少ない代わり 外からの圧政には強く抵抗する 〜」
 自由の欲求は、境界線やテリトリーの概念と密接なように思う。言いたかったこと、概ねこれで全部だ。よく知るもの。欲として、これを特異とするならば、明確に一線を踏み越えられて始めて、外圧への高い攻撃性が発露する点。そもそもが受動的にしか発現し得ない。加えて、域内であること、外敵があること、この条件全てが揃わない限り、何もない。
 ある意味、外界に対して従順でさえあるのか。域外のものには、強い敵意を持たず、ないものは向け得ない。境界内においては、裁量権さえ得れば、敢えて使う気もあまりない。主導を手元に起きたいだけで、穏便な方を好き。刺激されない限り、外圧に容易くコントロールされてしまうし。彼らの意図を察して動くの自体を嫌うわけでもないだろう。1度でも、さり気なく狭い方へと追いやられてしまえば、自力では、押し込まれた境界線を広げる意欲すら持てないかも、度を越されない限りにおいては。
 「資質a」を語る上で、この話をしたのはひとつ、特性を挙げたかったため。欲求がスイッチングする現象だ。特殊な条件下でしか顕在化することのない衝動性のもの。作中においては、尊氏の鬼、そして若君に眠る怪物。どちらも、人物の根であれそのひとの本質とは違うように思う。なぜなら、条件が揃いきらない限りは眠っているはずの衝動だから。「資質a」に「自由」が関与するのならば、必ずしも発露するものでない。どうもその条件には境界線の観念と密に結びつくのかもしれないと思う。
 
 そしていま見るべきは、楠木さんの教えだ。「固定観念という囚われの檻から逃げる」「逃げることは生きること」そう結論づけた彼は、こうも言っていて、鳥が自由で格好良いのはこの空全てが逃げ場だから、と。「逃げ上手の若君」の主題を語り得るとし、ひとの英雄から、満を持して提示されたもの。大物だけど上手く転がせるかな。彼の主義であり、主人公のテーマでもある上記は、完全に、「資質a」と相容れないものだと思った。
 初読時に、彼のこの台詞を読んだ時に、感情が逆撫でされたような妙な気分になったものだけれど。やっと理由がわかった。似たものを見ていて、彼らは反対に往くことを話していた。彼らは生きるために逃げ、結果として自由を得る。彼らにとって最優先は生存であり、自由は必須ではないが。こちら側は自由のために生きることになる。手段と目的が反転している。彼らが弱者の生き様として語ったものは、これとは似て非なるものだったのか。
 あくまで定まらず、縛られず、攻撃的で、ひとりで居続けるためには、相応に強くなければ。テリトリーに拘るのも、外界とそれ以外が明確に隔てられてさえ居れば、矛盾するようだが制限されてはじめて、完全な自由が成るからかもしれない。あるいは、安全な自由が。思えば、安心感を欲しがるとすれば、この性質上得難いからこそか。不安は自由の代価だろうから。
 自由が目的で、どうにもならない欲求であるので。「囚われの檻から逃げる」話をすることができない。むしろ、檻という檻は破壊されなければならないと、その強迫観念を抱えて、それによって生きているような。
 この意識は珍しいものではない、フィクションにおいて顕著な例は、スナフキンの逸脱行為、他に「進撃の巨人」のエレンの抱える衝動もこの手のものだろう。素の性格にも寄るだろうが、先鋭化した表出はこれ。

 さて。前段を踏まえ、尊氏を見てみる。印象的なのはやはり「全部よこせ全部」「欲しがりの鬼〜平和な世では大人しくて無欲」。前述のスイッチングする欲求のことと合わせる。
 これは、わかる。僕が「資質a」と仮定した衝動を、彼が抱えているとすれば。彼がなぜ「平和な世」なら、と名指ししたか。彼にとってよかったのって、平穏さに飼い殺されることだったろう。不満なんかないんじゃないか。このひとは可能性から隔離されていなければならなかったのじゃないか。可能性を与えられてしまうのが、非常にまずい。だって「それ」はいつでも可能性を欲しており、一度火がつけば力を得るだろうが。自身でこれを、破滅的なものと理解もしているのでは。理解し、拒まない。拒めないのか。既に僕はなんかひどく尊氏に同情してしまっているようだ。
 先程、テリトリーの話をしたのはここと関係する。彼にとっての境界線とは、社会秩序、だったのだろう。衝動自体が破滅的なものだから、外的な制限が必要だったのでは。失われた。大乱が起き、彼の可能性が開いてしまったから、燃え広がったものを止められるやつがいないのか。これは、お互いのために隔離されているべきだった。尊氏が弱かったら、尊氏が死んだだけだったかもしれないけれど。尊氏が強いから、他人がたくさん死ぬ。ひとを殺すのはとても悪いことであるので。
 もう1段、別の掘り下げを。なんでそいつが「欲しがりの鬼」なのか。どうしても僕はなんとなく彼に共感してしまうのだけれど。「全部よこせ」とは、一般にこの粒度で語られるラスボスの欲求として具体性に欠く。動機がもしも本当に「これ」なら、彼は魔王としては優しい方の、けれど希薄な人間じゃないか。本当に世界に関心ある? 手元に置いて眺めたいだけと言うなら、やっぱり彼ちょっと神力ぽいものだと思う。この仮定において、神力に主体性がなく、あくまで自由の属性のものだった。ほしいだけ、だからあんな感じなのか。
 自由の衝動の話で、ほかの例を挙げたりもしたが。一般的な欲求ならもっと、言っては悪いが人間性が宿るものだと思う、実権を得たいとか、焦土にしてやるとか、造り替えてやりたいだとか。僕もかなり焦土側だもの。共通項は発露とベクトルの尖り具合であって、具体的なフレーバーはそれぞれなのだな。現れる行動部分は、本人の性格や能力によるのか。けど、やっぱり彼の、わからんでもないかな……支配されずにいようとすれば、簡単なのは支配する側に立つことかも、力が足る場合なら。
 
 ふんわりと喋ったが。僕はなんだかどうしても尊氏の肩を持ってしまっていて。せっかく「資質a」なる概念を持ち出したのだし、玄蕃、上杉さん、雫のことも見ておいてからここを締めよう。
 玄蕃は本当に賢いから、堅実な故に、わざわざ自由だとか掲げないでも、彼って自由だし。破滅性の何か囚われることなんて無いんだろうな。暗殺未遂後の、「二度と奴に近づきたくない」が顕著だ。尊氏とかと似ていないのだろう。彼は神力っぽさとは真逆のひとかも。ああ現実的な、物欲や肉欲は強いのだっけ。俗で、あと変態だ。考えれば、酒もギャンブルも破滅的な趣味だったな。深酒ひどめは筆者もだが、彼あの歳で既に。なんだろう、彼は理想的な考え方で動けて、僕よりずっと色々を見えているキャラクターだから、賢いひとだ! っていつも思うけれど、彼なりに苦労とか弱点とかあるんだ。どこまでも地に足着いてるが、だからこそ地に足を取られることはあるのか。
 上杉さんは、「資質a」という観点で見るなら完全にこれそのものだ。僕がこの文章を起こすベースの思考に、彼絡みの話題がそれなりの比重であったし……。でもなんか形が似ているだけで、このひとは別に、自由と心中したがるほど、衝動を先鋭化させてなんかいないだろう。これで、人間性がわりと成熟しているということかな。
 雫はよくわからない。なんか似てるしなんか違うけれど、いまこれを解けない。彼女の衝動については、彼女は尊氏と真逆で、完全に閉ざされて安定している、という感じがする。仕込んだの頼重だろ。仕事と家族がある限りは、与えられた器が強固だから、彼女は絶対に最後まで秩序側のひとなのかもしれない。と思った。


 散々もっともらしいこと喋ってみたけれど、フェアじゃないから、わかっている理屈の隙を提示しておく。自分で着眼点はなかなか良かったとは思うのだけれど。
 「神力に読みを通す」のを使ってみたすぎて、無茶な話のために無茶な理屈をやったから、歪みがある。すべからくそれはそうだ。話を組み立てるうちに、「神力」を使えばラスボスとメインヒロインを引っ張ってこれたから。楽しいことはやるじゃん。扱える感情のパーツパーツを抜いて、あてれば、構造の説明まで通せてしまったから……。できそうでやってみたが、無視すべきでないノイズがあるからこれはだめだったかも。神力、尊氏、雫の3人とは、僕似ているという程は似てないはず。でなきゃ、矛盾がある。
 上杉さんなのだけれど、脇役の割に神力と造形が近すぎるから、この辺りの解釈、調合を明らかに僕がミスった、のを察しながら誤魔化した。彼は本当に僕の性格と近いのかも。玄蕃が来たのは、人数合わせもあるから良いんだが。これ破綻だったら手直しして整合性とれるレベルじゃないからちょっと悔しい、いい線だったと思ったのになあ。上杉さんはいくら見た目はファンタジーといえ、この理屈では、神力の同位体くらいの立ち位置に来てしまっていて……番手的に大分不味そう。
 上杉さんが神力関係者? 待った、デザインは他で見た、あの白髪と白黒反転目、神力で壊れたときの麻呂さんで使われた……カラーで見てないからこれは覆されうるか。偶然で片づく範疇。これは通せない。けどこの作家に限って言えば、この手の設計の甘さはやらない気がする。いや、退きます、詰めない、この飛躍はいま到底許容できるものでないため。
 そもそもが、僕は「作品のメタ解きに共感を悪用する」って邪道すぎることやったのだから無茶なもの飛び出すのは仕方ない。もう大人しくする! 残念。思ったより全然締まらんかった。気が向いたら出直すね。

動揺

 いい機会だからこれにも触れておく。『まず尊氏から「人間の動揺」を』と。双六戦でも描かれ、神力を乱すのは動揺だ。僕の雑な解釈でなら、ハードのほうに脆弱性を作って叩け、と聞こえるな。ここの仮説で、神力を寄せることは、主体性の強い情動をよどみなく放出すること。尊氏のこと、僕はあいつ大概が神力だろと言ったが、当たり前に、こちらもやれているのだろう。
 情緒のねえ言い様をすれば、ハードは結局生身の人間ベースなのだから、物理的に、出力を壊せるよな。そこへ「人間の動揺」。彼は強くて素体は壊せないが、出力を乱すのはまだ可能か。物理は内部基板も含んでおり、処理落ちかませるだけの情報を食わせれば、当然脳のキャパは有限であるため、出力も落ちるという話か。「あらゆる武器と手段」と言いつつ、比重がメンタル攻撃に寄っている気がする。楠木さんとのあれを見せられては、物理方向に可能性見えないし。
 
 個人的に、尊氏みたいなものの急所は「他者」だろうと思っている。これはもうよくない自己投影なのかもしれない。尊氏は明るいひとで他人を好きだろうが。でも彼を、他者を知らない人間だと思っている。
 どれだけ他人を好きで関わっても、「同属」と認知したことなければ、そうなる。だから真の意味で誰とも共感できない。人格の欠陥というよりも、単に他人と、できることとできないことが少し違うと、たまに起きることなんじゃないか。他者の不在というのは、孤独というものとも、少し異なると考えている。
 孤独や寂しさのあるひとって、他者を遠くに見るひとだろう。距離があるにせよ、隔たれたにせよ、追いやられたにせよ。見たことをない以上は、そんなものわからないのが本当だ。有と無では違いすぎて、比較のしようもない。楠木さんの言から、空の鳶が自由だとするのならば、そういうことだろ。はじめから「俺と空」だけで閉じた世界だから。
 寂しくないのは、他者を欲しいと思わないため。ないものを探したっていいことないよ、だから考えない。どうせ不毛ならただ楽しい方がいいし、性に合っているからね。現状で、不足ないのだから。それに、何を探して「無」だったなら今度こそ、世界にひとりきりで向き合わなければならなくなるし。見つけて「有」だったのなら、リスクは確実だがリターンは不明だ。
 無に最適化した人格が、突然有に晒されたらどうなるだろう。わからないな、僕に他者がいるのでもいないのでも、この状況って想像力の外のことだ。耐えるにせよ、動揺するだろう。安全な刺激物なら別にあるだろうし、自己に負荷逆で致命的になりうる変質が起きてしまうかも。敢えて望む理由なんてないと思える、十分に成熟すればいつか変わるのかもしれないが。
 こう語れるの、少しの理解を得ているためで、それは筆者は以前に、慕うひとに僕を寂しい事だと教わったから、そう思っていることで。尊氏のことはよく知らない、彼は本当にはどうだろう。結局のところ、尊氏が未定義である以上は、読者の僕も、作中の彼らと同じことなのだろうな。自分勝手に都合よく解釈して満足するだけ。でも尊氏のこと、ただ1度きりのことでも、楠木さんに遊んでもらえてよかったねと思ってる。楠木さんには気の毒だったが。
 
 まあいいや、このテーマをどこかで見た覚えが。牡丹か。「援け合える相手がいたら魔道に堕ちる事も無かっただろうに」
 助でなく援の字を使うのか。そして相手と言ったのか、仲間ですらなく。そうだね、この文脈で取ってしまえば、どうしようもなく正しい。欠いたとすれば、上や下でなくて、隣と呼べる高さにあるべきもの、だったろう。いや隣ですらなく、ただ同じ位相に。欠いたか、それとも鈍感なのはそんなに悪いことかな。僕は事実と願望の違いが、もうわからなくなってしまっているけれど。
 出典、第1巻の、それも雫の台詞だ。ああなんだ、よかった。物事を都合よく解釈するの得意なんだ。まだ万事は作者の掌の上と、そう思ってしまって良いということだね? ならここに来てよかった。尊氏のことよくわからないけれど、まともでないにせよ、少なくとも強くて僕より大人だし、彼の考えることを見たい。もう、話がどう落ちても文句ないな。とにかく最後まで見届けないと。
 「魔道に堕ちる」といえば、第2部の吹雪をまだ見かけてないが。あのひとはこの題目にどう絡んでくるものだろう。測るにも、語られる物語の全貌をまだ知り得ないのだけれど。生きるにせよ死ぬにせよ、彼は助かるとおもう。彼はたぶん、他者を好きでどうにもならなくなったひとだろう。事情はよくわからないけど、正念場はもっと先で、最後の1番大きい波が来れば、勝てやしないでもあのひとは捌くだろうから、ちゃんと強いんだから、僕、彼は助かってほしい。

 神力のお話は以上と、宣言して終わろうと思う。
 ここから以下は全面的に蛇足だ。筆者が個人的に延々お部屋を整理してるだけ。上の結論に至った経過として文脈があるため置いておく。

紆余曲折

 要約すると。僕は逃げ若がとても気に入ったから、深入りしたい。ここから先へは一度溜めが必要だから、作品をトリガーに自分語りを試みて、やる。
 
 さて。「逃げ若」まだ途中なのに、めちゃくちゃ面白かったなあと思ってて。読んで「惹き込まれる」「感動する」「血肉になるような体験」、表現は色々あるけれど。逃げ若は僕にとってそれみたい。わりと初めから。良き教材、として見てしまっているところがある、精度も質量も、面白さも不可解さにおいても。あの物語は何を言っていて、僕にとって何なのだろう。あの世界で僕らって何なのだろう。
 感想というものは、書くにも読むにも言えるが、「どの立場から」かが重要に思っている。写像の価値の半分は、観測者の位置情報にあるんじゃないのかな。それもあって、僕なら、ここから詰めて精度を出すなら、自身が何処かを知らなきゃならないことになっている。読むための足場固めの時間だ。しゃらくせえこと言った。本当はね、EXP欲しかっただけかも。
 相性良さげで上質でほっかほかの教本ぽいの見つけたからには、今ちゃんとやる気あるうちに、徹底的に読み潰さなければ。僕に食わせたら何が出るかな! 逃げ若、どう考えても確実にEXP効率ばり高いから……教本、高栄養価。僕ってどうにも意識が低くって、偏食なうえ少食だから大丈夫な時こそガツガツ効率重視に回してかなくちゃ。まだ若いうちにちゃんと育って、いけるとこまで大きくなったらいつか遠くまで行きたいんだ。遠くを。逃げ若、知らないうんと遠くまで見せてくれるのだろ。そんな気がする!
 
 目新しかったのは、なんだろ。歴史物は初めてだけれど、ハイファンタジーの文脈でなら、元より戦記や英雄譚に親しみがある。逃げ若の味付けの塩梅は、エンタメと骨太さが両立してて、僕には丁度心地いい具合。
 馴染みがなかったとすれば「主従関係」かもな。人間に序列がつくの自体、見慣れないけれど。一蓮托生とか、信頼とか、忠節とか……。その距離感に人間と人間がいるのが珍しくて、興味深く思う。仲良しでなく、親密も越えて、家族と職場のひとを足したよりずっと重い……ちょっと想像もつかんな。もともと、ロマンスジャンルを避けて通れば、ドラマが最重要視はされない世界だから。好んできたジャンルが、舞台装置偏重のドライな方面ばっかだったのも大きいか。
 ところで、英雄譚のいちばん楽しいのって中盤までよね。今この辺。重要な伏線が見えてきて、パーティが安定してきて、英雄に脂が乗ってて、まだ夢や希望があって、読者は気楽なもので、語り手に過度な期待を寄せていて。だから今のうち、言いたいこと全部言おうと思って。

ドライバ―英雄陣営

 妄想で、英雄譚というものが好きで、そこに自分に似たキャラクターがいればどんな動きをするだろうと考える。厨二、学校テロリストは興味なかったけれど、こっちは興味ある。楽しいからいつまでも厨二。
 剣と魔法の世界か、義賊とか傭兵団のパーティならともかくとして。若君のパーティに置けるキャラクターではないな。若君個人のことはよくわかんないけど、あの性格の主人公サイドにいるつくりしてないという強い予感がすでにある。対英雄で見るに、属性の相性が致命的な気がする。でも、この英雄譚は好きだから考える。ロールプレイのやつはいつでも楽しい。
 逃げ若の若君を見るに、近くにいられないのはわかるけど、うっかりでのめり込みかねないラインなのずるい。北畠さんまでいったら自分から寄り付かない。英雄のひと、うっかり大好きになってしまったら、どうにかして近くから眺めたいと考えるし、ついてって仲間になれるものなら、そうする。でもこの性格の生き物があれについていくなら、ちょっと人格をいじらないと無理。自我の摩耗を抑えるには、良識か正気かを捨てるかな。


 善性の英雄陣営へキャラクタを加入させるにあたり、良識を捨てるルート。開始時で適うだけの能力もらえてたか、好きが上限突破した場合の選択。下心があれば、少しはキャラが明朗になれるかもという願望込み。でも、客体化と消費を目的に善意のひとに近づくの、あんまり許されるべきでないと思う。はじめから、味見だけして退くか、特等席からおおかた見て満足したら過失割合10:0着地の想定でわるだくみに賭ける。その程度の割り切りは必要。そのコストを支払っても、見に行く価値、ある。なければここに来ないはず。
 きっかけはなんでもよくて、飽きたか、独断専行で捌いてしまいたい案件が湧いたとか、勝ち過ぎて味方がつまらなくなったか。何かあるだろ、マンネリはいけないんだから。いい塩梅でボス襲いつつ自陣をいっぺんぐっちゃぐちゃにしたい気持ち。いっぺんでいいから。オチさえつきゃいい話なんだ。内紛がみたい。
 傍から動機も目的も不明か。身内の反逆の素振りだけで、ボスと味方は混乱するだろうし、彼らの心的負担に関しては気の毒におもう。それはそれ。自分の感情に責任取るつもりあるのなら、もとより好きなひとの仕事なんてしないだろ。倫理の一線って、個人への執着を動機に使う時点で越えるなあと思ってて。
 修羅場を見たいけど、ボス以外の味方に実損出すのは不本意。筋書き、わかりやすいのが丸い。なので、事前に十分ヘイトを買っておけばと感じる。そもそも説伏プランに持ち込ませたくはない。火力の観光に来てんだ。あいつらに交渉させたら事故る。禁忌肢を踏まれたら、それは損害を最大化する方針に切り替える。挙動がやや初見殺し。このルートでこいつの中身正しく見えていないはずで、彼らでは言いくるめの成功率は絶望的に思う。
 残念。手打ちにするには、最低ラインが世界の半分だから無理だ。世界より内紛みたいんだが。弱点は、初動時点までであれば、本気めの怒られが発生したら止まってしまうことか。お前マジで大概にしとけという睨まれ、効く。言葉より加圧が通りそう。バレたならどこでばれたんだろう。それでわざわざ奇襲を狙うのに。
 あるいは、どうやってか了解を得たか、攻勢を維持できるだけの分を取れたら、正面からお話を聞いてみたくある。英雄役が好きなら、そいつの善性に関心が向くため。善悪を論じたいのではなく、それでも善悪論は吹っかけるが……純粋に主人公の口から、ひととなりを知りたい。自覚と無自覚のラインを主観側からつつきたい。善性や、仮にもそのひと自身が強い光であるのは、それはどうやって、なにを燃しているか。いつでも、眩しいものはかわいい。
 
 割と、よくある奇行枠だな。荒ぶりのスイッチがやや謎で、他はわかる。若君のところなら、玄蕃の立ち回りに親しみを感じる。彼は忠誠心は使わず、代わりに義理堅いから。貸し借りをフェアに計って清算したがる。そして仲間内で、悪人役を割り当てられている。寝技、内部監査、身内を疑うこと、現状彼の独壇場では。働きアリの法則と同じで、ひとには悪役の向きと不向きがある。そして彼は、地に足がついていて賢い。
 実利のためでないなら、この情念に説明が要る。平たく言うなら、逆張りの悪魔に魂を売ったせい、との自覚ある。アラインメントの固定されたパーティに留まれない。諸元が絡み、基準軸を叩きたい側に立ち、善悪の軸上に居れず、あとたまに狂犬がしたい人格。英雄譚が好き。でも、英雄譚はひとを酔っ払わせるからいけない。こいつはシラフの役で、怒られても、ひとに冷水浴びせることに満足する。その後は興味ない。酔うも醒めるも、僕のやることではないからな。
 いざ言語化すると、卑小さがよくわかる。仮にも、ロールでも本物の悪政の支配下で、あらゆるリスクを負って狂犬に徹せる気概はない。保身の方が大事だ。これも、悪いことで遊ぶのは、善陣営で内々に処断される分には乱世死因番付的にベターって保険があってから。道楽だけなのか。義憤とかない。たしかに嫌いなものなら壊す気もしない。むしろ、好きな子にだけちょっかいかけたい気持ち。

ドライバ―時行さん

 抽象化された英雄像に対して、この性格がどの立場で動くかはなんとなくわかったけれど。想定で、なんだか逃げ若の若君という個人に対してもこの動きをやりそう。しかもより乱暴に発現しそうで謎……。あの人格をそこそこ好きだし、彼は顔も良いし、味方に不満とかないはず。お味方も美形よな、頼重とか。なにか気に食わないことあったかな。吹雪の離反というケースは、なんらかの不満があったってことだったけど。
 なんだろ、若君は真面目で寂しがりのように思う。彼は他人への慈愛を持つ。そしてまだ中に矛盾があるはず。道徳。そういえばあのひと重めの変態だったな。もしも、まじの泥沼耐久戦を勝算もなしに仕掛けるとか、本当にあのひと人生がそうなってしまったら、人間にやらせる仕事じゃねえって誰かに激詰めされてほしさ、ちょっとあるかな。他人巻き込む以上、そこはなあなあでは駄目だろ。
 どうだろ、まああたまは彼本体の仕事ではないが。見れば、読者からでもあのひとの動機の隙なら指摘できる。善意なり義憤なり私怨なりなら、まだ理解するけれど。運命に逃げるなと思う。そう……良識フィルタに間引かれるものが今は見えるな。見て思ってたこと。なんか面白いのは出るか。
 
 ナレーターのテンションがわりと嫌、逃げるのがよいのか逃げないのがよいのかはっきりしろ。若君は突然腹くくるな、それ本当に貴方の仕事なのか。たしかに中先代までは替えのきかない人間だった。もうそのしがらみなくなったろ。死人の意向より、現存の生命を優先に考えるべき。決めたことを投げ出せないのは思考放棄にならないのか。その気になれば、陣営も、仲間も、復讐相手だって替えがきこうものを、過去ひとつに拘泥する。過去は過去だ。「地獄の鬼と〜」だなんて甘いこと言うのは、追っ手を振り切って、誰も来られないほど遠くまでへは行くの怖いだけではないのか。意気地の無さは誇るものではない。宿命に逃げるな。そいつが正しいと限らない。間違いを選ぶ権利がある。武士の道を外れる覚悟ができるなら、ひとの道を外れる覚悟を決めればいいのに。その先で拾える幸せがあるかもしれないのに。損切りを教えてくれるひとはいなかったのか。自身が何を犠牲に何を取りたがっているか、真に理解している? 
 不満ぽいのあげつらえば、この辺。素で出る幅はこう。火力出すなら、ここから悪意を用れば。上記、打ち返されたところで特になにもない。解説や何を求めてはない。たとえ本人の言であれ、ひとが言葉で割り切れている内は、大なり小なり嘘であるのだし。どうせ物語の内のことだし。もっと混乱した、底の方の動力源がどのようであるか気になる。足場崩したらどこに倒すか、と思って。
 ひと、うっかり壊すかもくらい本気めにぶっ叩いたら、面白いもの見られるかもと思う。どんな感じかやってみたい。僕は、動機に持つならたぶんそれだけ。人間を開けるのも、好きなものをぶっ叩くのも、悪いことだから、段取りと言い訳がたくさん必要になる。でも力が足りればやりたい気持ち。やったら、感情の始末より、外観と建前の辻褄合わせをしようとするなあと思った。
 そしてやはり見るべくは、内紛より反逆だと感じる。若君のことかなり気に入ったけど、見るにつけ不満に思わないことないかもしらん。まだこどもなんだよ! あの物分りの良さはちょっと許せない。そんなタマじゃねえだろ。生命、出し惜しみすんじゃない。ひとの情動の、高出力の尖り切ったやつは大変に好ましい。聖邪は問わないから、いっぺんあれが世界焼くとこ見てみたい。いっぺんでいいから。
 
 こいつ駄目かな、こっちのロールはなんか人類に悪いやつのセリフばかりが湧く。僕、感情の発露が乱暴なのだった。壊れるものに使うと危ない。使い慣れないのもわかった。攻撃出力、力加減がなにもわかってない。他人はどっちにひねると痛いのかよくわからなくておっかない。ちぎれたらかわいそう。開けたいだけなんだ。僕雑魚だし、うっかりでひきちぎれたりはきっとないはず、たぶん。なんかもう仕事が下手……。自分で驚いたことに、ロールでも加虐性が生成できなかった。悪意は再現できそうなのに。
 破壊が見たいだけで、わざわざだれかにひどいことしたい気持ち、全然ないのか。僕に使える感情って、好きなものの中が確認したいか、うるさいやつ消すかの2択だ。良識を外すと出力が見境なしになるだけで、ひとへの気持ち、幸あれかしで固定ぽい。
 ひと、貪欲であれ。発光しろ。あと愉快に世界焼いて。彼を、かなり気に入ったというのは嘘で、こうして眺めればあのひとをめちゃくちゃ好きかもな。時行さんなら、無茶やっても壊せないし、もとより僕のようなのじゃどうもできんし、それであんな、光ってるのだから本気で好きだな。とても有機的でかわいいからな。


 良識は捨ててはいけないようだから、もう片方、正気をなくしてみる。少々大変そう。ものを見るのと考えるのを弱める操作。想像するに、見て考えること、正気、逆張りの悪魔とは、同じものを別の呼び方しているだけだ。このキャラクタ、自我の部分もほぼこれでは。感情面も逆張りの悪魔依存だぞこいつは。
 正気と連動し、我の強さが引っ込む。全部が弱くなる。ただでさえ受動的なのが、自閉的の域に達しそう。弱くなっただけで、存在自体は極めて友好的だし、いつも大人しい。なんなら平時より大分機嫌よさそうにしているけれど、どことなく、この状態のこいつは絡みづらいことこの上ない気がする。指示や会話、通るけど通るだけの虚無では。何? 機嫌はよさそう。なんかややこしい事務作業と、カラフルなガラクタ与えると懐くよ。
 このキャラクタの能力や運用はわからないが。パフォーマンスの低下が著しいのでは。使い物になるのか。やり方次第だな。待機動作がスリープするだけで、性能面は特に変更ない。仕事、指示者の把握管理能力が厳密に反映され、うまいことやればパフォーマンスは落ちないな。取り扱いがオートからマニュアルになるだけだ。むしろ、本来なら維持されていた処理量が大幅に落ちた分、ピンポイントの最大火力ではこちらが上回る可能性さえある。なんの話題だ。難点を言うなら、これをこの次元で扱える指揮官の下にいたら、スリープ状態に移行することってないのでは。仮にもボスがそんなやつだったら素で元気に暴れて毎日が楽しいやつじゃん。

 なんとなく、雫さんの資質って僕のと同じという感じがやっぱりする。どこのことかはまだわからない。彼女は、良識あんまりなさそうに見える。そう思うと、大人しすぎておかしい。非常に不自然な感じがする。
 雫さんが、若君の配下にうまく馴染んでいる理由がわからない。想像通りの人格ならば、あの若君の言うことなんて聞くだろうか。小笠原さんじゃないけど。若君のスペックでは、雫さんが従うはずないのでは。若君では、スペックにどうしようもない不足がある。好きなだけでは全然、従う理由にならない。好きというのは、飽きてポイするまでが好きでは。好きなものは中を見たくなるし、見終えて興味が満足したら、関心は失せるし。

 了解した。このキャラクタに関しては特定の誰との相性云々でなく、敵味方の話でもなかった。よくある、全陣営に迷惑かける独立勢力になりがちだ。でもすげえ楽しそう。弱いなら弱いで傍迷惑で、強ければ純性害悪化するやつ。えー、こいつらが平和と共存するにはド有能カリスマ系のラスボスに使い倒される道しかないが、それは嫌だな。特に尊氏タイプは嫌だな……。なんか、もうちょいなんとか締まらんものかね。こちらのルートでは駄目そう。
 なるほど。この性格がどう動くかは見えたけれど。この方面は間違いのようだったから、針路を変えよう。

スタブ―対象

 方向性。性格とキャラを紐づけて、ロールプレイで泳がせてみたものの、本質的な結果は得られなかったように思う。基本、自分本位だし自己完結の性質があるため、まあそんなものか。また、雫さんがなぜあそこでああしているのか、という疑問が新たに湧いた。
 そういえば主従関係という着眼点が今回のキモだった。操作前提でのロールプレイでなく、こいつを攻略対象として見るのはどうだろ。玄蕃や三浦さんがやられたやつ、あと上杉さんもか。
 懐柔のメソッド。正攻法なら「相手の得意な仕事の見返りに、相手の欲しいものを約束する」。なるほど? 仕事は、お金の分なにかしら頑張る。報酬ってどうなるんだ、実利以外の「特典」が忠誠度に影響する仕組みを作中で見た気がするな。
 
 むず。僕って基本的に非常に温順だけれど、ひとの言うことを全然聞かないと思う。丸め込みを試すより、圧でゴリ押すほうがシンプルで平和的じゃないか? 籠絡されるシナリオに置けるのか。通る甘言というのがまず思いつかねえ。僕の好きなもの、玩具? 動くのと透けるのと光るの好きだが。飽きたらポイなのに。「俺はお前を飽きさせない」宣言であれば、これは刺さらない。僕が飽きるかを決めるのお前の仕事ではないと思う。それに僕はリュークではない。人格に対して、欲しがるひとを想定し、そいつは何を持ってよこすか、という考え方、すごく新鮮で楽しさある。僕も僕が何を欲しがるか知りたい。攻略試す。
 ちなみに、斯波さんから上杉さんへのケースは、あてにならない。あれはそもそもが、有能な部下をド有能なボスが口説き落とす必要があるシチュエーションだし、他に特殊すぎる状況が重なった結果、あのえげつない火力が出たとみている。あんなのは再現性なさすぎてメソッド化できない。よって正面から解く。


 自身の内情は見えており、把握し、自身はかなり扱いやすいと知っている。あたまが大変にシンプルな故に難しいことないと思うが。行動面において、利害の計算は内部的には厳密な方だし、規定通りしか動けない。理性と情動は平時、完全に一致しており、思考に矛盾がない。なんでも態度に出てしまうほうだし、気分以上の感情は種類が極めて少ない部類。悪意や、対人面のドロドロを持たないだけ、なんかつるっとしている。内訳を知っておれば難なく読み切れる程度の、単細胞の人間性。
 この性格の言動と内情を見比べてみるに、つくりは非常に単純なのに、解法を知らなきゃ、まず解けない類のパズルに似て思え、少し愉快だ。正攻法の攻略難易度は高いかも。本編軸ではありえず、これはやり込み要素。僕なら端から挑むより攻略本熟読するかな。たぶん、人格がトラップみたいな構造で、拡大や前進の方向性では正答は導けない。ぎりぎりまで「引き」で見なきゃ読めもしないだろ。
 
 攻略難易度が高いとすれば、理由は、内面と外観が異なって見えるという一点に尽きるのでは。だって、繊細な駆け引きや操作感を要求する類ではない。
 僕の外観はどうやら、知られた別の存在に似ており、真逆に近いこちらの実態は知られない。外観が別のものに似ており、部分的にわざと似せてるから始末に負えないんだ。これは、初見で非常に繊細で気弱そうに見えがちと聞く。その手の性格のひとと実際に同じような振る舞いをするのかも。案外、内部的にもそう変わらないのか。
 異なるなら「寛容さ」だろう。寛容さ、受容と協調の精神性に紐づけられる。こちらの寛容そうな振る舞いは、無関心と割り切りの良さから。実態は狭量で、柔でない。行動での差異は決断の面か。僕みたいなものは、判断処理が済むまで決して動けない点が愚鈍といえるけれど、始めれば着地点までの覚悟が完了している。手続きを事前に済ませ、以降の色々を、ノーモーションで振り抜く強みはあると思う。予備動作は読まれるものだし、迷いは隙になる。
 「彼ら」、個人的に吹雪の性格を想定していたけれど。彼をそうと解釈しているんだ。優しいひとは迷いがちに思う。彼のキャパを食っている判定処理って、あれは全体何が重たいのか、彼は自己矛盾があるのか。あの世界において「覚悟」はありふれたスキルであって、彼のように何か思い悩んでいそうなひとの方が異色だ。
 僕は、なんだかあの手の生き物にたまに間違われてる気がする。あるいは、悩むような何かが起きればあれになるのか。何に。いやあれは僕とは違うものだよ。不寛容さ。考えるだに、情緒ないだけ、全部をあるかないかで話す。つくりから葛藤は発生しなさそう。事物とは、既知、わかる、わからないの三択で捌け、思考に保留はあれど滞留は起きないと感じる。
 
 外見だけなら、さらに問題があった。言動の多くが虚偽なんだった。嘘をけっこう得意で、自分で半分信じるくらいだから、言動、そこそこめちゃくちゃなのでは。しかも一目には判別困難な部類をやる。生成ロジックは内部では一貫のはずだが、「ばれやすさ」やシナリオの使い分けを自覚してやるタイプの嘘つきだったかも。
 いや違って、故意に限らず素でも、このタイプの言動は「信頼できない語り手」にみなされることがある。厳密なのに。たぶん、たぶんだけれど、本体が何を信じも疑いもしないため、言動が状況のみに依存するのが、ひとから出鱈目に見えるのか。
 なるほど、僕の正直な発言は往々にして「事実の一側面だが真実ではない」傾向がある。反対に嘘言うなら「真実足り得る」言葉を当然選ぶ。えっ嫌だよ、だって真実は主観だから嘘だ、僕は事実の多層性が好きだが。もしかして、こいつって正面からの解読は人間業では無理かもしれない気がしてきた。

スタブ―情調

 ひとの言うこと聞かないだけで、友好的であるのだっけ。つまり、お友達なら簡単。相性に帰結する気はするけれど。詰めてみよう。現状、筆者と友人を続けてくれているひとの特徴、つるむ利があり、連絡がつき、連絡のないこと。誰かの代わりを進んでやりたい気持ちもないけど、僕がいないでなにも困らないひとを好き。細く長い関係性が好きなのだと思う。
 
 相性バフなしでこいつとお友達をやるなら、少し手続きが必要に感じている。めんどいんだから別のひとを選ぶべき。こいつになら言葉より圧の方が通ると言った。正しい解釈の筋道は、気弱さでなく気難しさにあると思う。出さないようにしているものの。感情面の狭量さがちょっとひどい。
 要求と懐柔では、許容ラインがかなり変わるようだ。どうせひとの言うこと聞かないが。要求であれば、不可の線割られてもなんもないし、好感度は悪くたってゼロ近辺に留まりそうなものだが。懐柔では、なんだかそこら中に地雷があり、好感度が容易にマイナスに振り切れるから、なるべくやめてくれと思っている。懐柔の方が許せないラインに接するものらしい。
 それか、元から僕にさほど興味無いひと。ギブアンドテイクというお話だけであれば、交渉次第で割と何でもやるんじゃないか。純粋に利害が合うなら、そのひとたちと積極的に楽しく過ごしたい。楽しそうなら着いてく。いい感じの目的が成り立つうちは協調をすごくできる。ただ、そういうのってたまにがいい。疲れるじゃん。飽きたら消えれて探されないお付き合いがいいよ。
 なんだか、仲良くしたくて他人に話しかけて、親密さを欲さない。交流があっても、儀式的なもので十分に思う。決まった挨拶とか、少なく中身のない会話とか、あってもいつもと同じことだけがいい。ないならないでいい。情報は食うけど。本当に時間を共有するなら「こいつはテリトリーに踏み込まない」という信用のおりた相手だけがいい。
 
 感情面の気難しさ、よくない。繊細でないが過敏なのだろう。たぶん、そういう生き物だと思って徐々に慣らすしかない。お互いに見慣れて気にならないところまで持っていければ、もう問題起きないだろ。感情、入出力自体は阻害されてないはずだけど、解像度が低く、なんなら1極しか。野生動物が、視線や大きな音、視界内の急な動き等に怯えるようなことが日々起きている。獣でないので、取り決めさえ通ったら、どうとでもなる。お互いここからここまでは侵しません、いう取り決め。射線を遮って、パーソナルスペースを広めにとれれば済む話かも。
 既に関係性ができあがっている話であったんなら、ひたすら甘やかされたいのだけれども。気難しいだけで、なんだかんだ常に人肌に飢えてるんじゃないか。存在、居るならなんとなく傍にはいたいし、すぐ隣でご飯食べたいし、こっそり添い寝もしたい気持ちすげえある。ひとが生きて動いて、温度やにおいや質量を伴うことを手放しに好き。僕よりでかくても小さくても大事にできればと思う。
 だから存在が欲しいけど、存在に見られるのと、話しかけられるのと、認知される嫌悪感の方が強い。虫のいい話をすれば、話しかけるのは好きだけど、話しかけられるのがものすごく嫌い。存在の近くには居たいけれど、いつもでなく、いてもいなくても気付かないふりをして欲しい、でなきゃ近寄るのを諦める。諦めた。意図と感情が恐いから、動作音や気配にさえいちいち神経逆立てるような生き物。僕のメンタルのため、近くに別の生き物は置けない。集団行動は好きなのだけど、集団生活になったら秒で病みそうだ。そっとしておかれたい。こどもだって下手に構わないほうが懐くものだし。放置を所望する。仮に相手が上位存在なら、仕事は貰うが、使う時だけ呼んでくれと思う。


 他者との双方向的な感情は存在するのだよなあと思って見ている。それへの耐性は個人差がでかいらしい。弧次郎や亜也子や頼重は、耐性値が尋常でない。若君や吹雪は、むしろこれを欲する側に見える。雫は、耐性を持たないひと。僕は彼女に自己投影をはじめてしまった。困る。眺めるに、他人と気持ちを繋げたい欲求がない。嫌悪はある。欲しいのは、行動に対する「不快でない」フィードバックまでで、そこから先のは高刺激で体に合わない。
 双方向的な感情、気持ちの受け渡し、心理的な強い繋がりのこと、愛か。これ愛だと思う。愛、みんな欲しいよね。みんなが欲しがっている。そうか。僕、なんだろ、経験値が低くて耐性がないとも確かに言える。でも本当に要らない。嫌だ。近寄りたくない。経験値低くないし。アレルギーと似たものなのか、美味しいや不味いでなく、その前に、浴びれば害だから要らない。比喩でなしに体に障る。それらしい記憶はないけど、出る言葉に確信がありおそらく事実。
 愛というなら、これ気持ちの問題なのだろうか。刺激の強さでなく、質か、相性の問題だろうか。感情の問題ではあるものの。僕にこの指向の負荷は、メンタルじゃ耐えきれなくて、知覚云々より先に不調が出るほど合ってないぽい。なんか無理。さっきから筆者は胃が痛い気がして、そういう話だったのか……話題自体が駄目だったかもしらん。でも自分で分かってて避ける判断ができるだけまだ幸運に思う。アレルギーならそうだろうな。
 
 そういえば、今更気づいたことに、頼重も若君もとても愛の深いひとだけれど。雫は、いつでも傍らに置かれ、でも殆ど無視される存在だ、これは例外的にだ。彼ら、雫には、情や距離を押し付けることをしないね。それは、すごく優しいんだ。ちょっと知らないくらい優しい。人間ができていることだ。少し、いいなって思った。そうか、彼らを全然見境なしかと思っていた。でも雫にだけやらないということは、彼女のペースをわかって、わざと距離を守っているのだろう。知らなかったのだけれど、もしかして人格者とはそういうものを指すのか。それはああいうひとたちが本当に人間の上に立つべきなのかも。実際、そうであればいいのに。
 
 解釈を得れば、雫さんが肉食性で他人をビビらせていたのに可笑しみを感じている。たぶんわかる。「特定個人への執着心」に劇的な拒絶反応を起こすだけで、別に潔癖とは違うな。肉欲はわりとわかる。いつもは執着とセット売りだから、要らんなって思っている。バラの肉欲なら確かに買わないこともない話かもしらん。比較的わかるというだけで、解像度が低くて、力加減がド下手くそなところ含めてすげえわかるわ。

スタブ―合理

 何が起きているかわかってきた気がする。攻略のとっかかりを見つけた。契約で、立場を与える見返りに「命令遵守」「嘘の禁止」の義務を付加する。これは可能かはともかくとして再現性がある。どうせ言うことは聞かないけれど、たぶん心理戦では大正解だ。一発でこいつの心を開く破壊力すらあるかも。前提として、反故にするまでが約束のため、契約は別段、判断を縛るものにはならない。
 なんだか裏技じみており、意味不明の域か。一見するとこれ被契約側に超不利だ。ちょっとややこしい内情があり、これを通されてしまえば、僕の判定内において、第1に「内面への不干渉」、そして第2の特典が相手から約束されたのと同義。もし成り立てば、僕にはとても虫のいい話だ。見えるところでは、言動生成ロジックでフィルタが1個外れる。
 攻略上のメリットを言えば、これで親密度上げが可能になる。逆を言うと、裏技なしの僕は親密度上限が低く、正しく可視化もされず、言動は繊細な制御により虚実入り交じり、フラグ管理も攻略させる気ない煩雑さ、かも。仕事はするけど嘘つきで言うこと聞かないしそのうち勝手に消えるやつ。
 デメリット。キャラの運用難易度がそこそこ上がる。たぶん、指示全般の通りが悪くなる。意思疎通が難化し、会話イベントは混沌味を帯びる。こいつ普通にひねくれてて謎々みたいな話し方好きだよ。親密度が上がりきれば、たぶん発言は無言や回答拒否まみれになる。わからないか言いたくないかは明示するだろうが。嘘生成と翻訳機能がセットで外れてく仕様らしい。
 それで、僕の中見てもなんも出ないんだよなあって思っている。好意は通さないし。暇なパズルオタクの余興ならわかる。僕自身がそう。キャラクタに、手間に見合うだけの能力や魅力ねえだろうにこの程度のハードルがあるのは。制作者、こういうのが好きなのねって白けるシチュエーションに思う。自身のこととはいえ面白くない気分。
 
 斯波さんというひと、真面目にこのタイプとカードの相性が良さそうだとは分かった。あのひとは他人の意図を素で読むから、付近で動けば見切られる。それはこちらも同じで、いずれ互いに筒抜けになる対面だろう。彼はひとの中を見ながら、気にも留めないと、そうわかるため無条件に1つ目の特典がつくようなもの。また、彼のカードが場を支配すれば。ゲームが変わり、虚実混合の心理戦が表のルールに加わる。彼のスペックと足せば、2つ目の特典以上の加算だろうな。こちら側には使い捨てられの警戒が付くけれど、それでも御の字だ。
 こちら、まあこの話で上杉さんのこと僕の上位互換とみてもバチは当たらんだろ。あちらとこちらは、対人積極度に雲泥の差が開いており、ゲームの主導はあちらで既定だ。その際にスペックは通常問題にならない、ので、彼なら斯波さんが隣を追い抜いて行ったこと、素直に好ましく思ったろう。
 存外、むこうもこちらを気に入るのかも。プレイヤーとしては、格下といえ悪友の片棒役が務まる人材は希少では。あのひといいひとだけど、くそ性格悪いだろ。あるいは駒としてなら。極端なマイペースさって、あの手のひとの目からすれば、めちゃくちゃ信頼できるものだろう。誰にぶっつけてもまずこっちは変質しねえもんな。なんなら、気まぐれさも信頼されるか。懐柔難易度が高いうえ、落とすうまみもないだけ、他所から手出しされない位置取りの駒か。へえ、なるほどな? 僕考えるだにあのひとの、冗談キッツいとこ好きかもしんない。この距離は惹かれてしまうやつだ。こっちがほんのお遊びで良識のタガを外したとて、あのひとになら冗談と通じるし、笑ってくれるんじゃないかと思ってしまうな。


 みんな大なり小なり、相手に都合の良い言葉で誤魔化し誤魔化しやっていることと思う。僕も。騙すとか信じるとかの次元でなく、それこそ呼吸の代わりくらい、いつも嘘ついてる。責められることとも思わないが。そのことで。
 生きるのに、他人と関わらなければいけなくて、関わるには、彼らにわかる形が僕に必要。でなきゃ、お話にならない。会話にすらなれない。会話をやれないと社会についていかれない。僕は生活しなくちゃ。彼らだって、僕が見た目通りのもので、いい感じに受け答えできた方が都合がよいからね。仮にもそうでないなんてこと、考えもしてないだろう。それで、特典の話になったんだ。
 心理戦として働いている力について、特典が2つ。内訳は「ありのままを受け入れてほしい」「理解されたい」系ジャンルの話ではあるのか。僕側に経緯がある。これは、思い出話の体裁が必要だ。ただし事実ではない。話が転んだ方向性に、戸惑いを感じている、こうなってしまったのは。
 
 正直言ってここでやるつもりの内容ではなかったけど。今更だから開けてみる。前提、筆者ってかなり甘やかされて育ち、幸せに暮らしてるが。
 子供時代、何か事があり、保護者やカウンセラーが介入する事態に及んだら。彼らに対して黙り込んでしまうと、心の傷を隠した、と解釈されて悲しまれたり怒られたりする、と僕は理解しており、非常に煩わしいので回避したい。目の前で人間が取り乱すのを見るのは未だに恐いんだ。彼らが納得するために、たとえば辛いとか苦しいとか悲しいだとか、そう言いさえすればよいと知っている。しかし僕にとってその手の感情は、言い知れないほどに、不可解でグロテスクで受け入れ難い存在であるために。嘘とわかっていても言えなかった。子供ではなおさら。
 代替案として、彼らにわかるマシな嘘を考える必要がある。子供だったし、自分がものを感じにくく、他者はそうでないなんて知らなかった。知っていればもっと上手くやれた。端から、僕に問題は起きておらず、ただ彼らの気に入らないことが起き、面倒になってしまったなあと思って。大人って、手の込んだ嘘なんか見破れない。嘘を作り出して、普段から使い込んでおけば、いざと言う時に困らないで済む。
 当たり所が悪かったなあと思うのは、僕が昔から下手に言語能力が高い点で、感受性やらも高そうだから。だいたい無回答はまず認可されない。実態は自己開示能力が低すぎ、自己言及さえ適わないと、言えても彼ら信じたか。本心とやらを言えば、当時も今も、なにもわからなかったし、はじめからそう言うものを。わからなくたって、振る舞いを学習するから、外観はちゃんと子供らしかったのではないか。僕って全然手がかからないし相当に可愛らしかったと思う。
 仕方ない。お互いにちょっと困っただけで、彼らが悪意でないのわかっていたし。単に僕の在り方が彼らに知られたものではなかったから、それでなにか勘違いでもあったのだろう。みんな頑張っていて、ひとなんだから、優しくても仕方なく能わないことよくあるよ。単に既知でなく、わからなかったから、勝手に色々を想像して騒ぐんだろ。
 自分と似てないものって気持ち悪いんだよ、僕もいつもそう思ってる。たぶん自覚すらなく、みんな、よくわからないものが不安で受け入れ難い。だから嘘でも、わかる理由をあてがおうとする。僕もそうする。自覚を持たず納得できれば良い人間の続きをやれて、社会は壊れない。
 
 腹のうちを探られるのは嫌い。それが不可解で不安でも、見えた通りでしかないものを。僕が「必要な釈明」をやらされれば嘘だ。無いものは出ない。無理やって作り出すしか。何を話すか、いつだって得する方を。僕の抱える真相というものは、大概不自然で説明に不利だから、彼らには別のものを。説明をさせられる状況自体、望ましくはない。
 望むのは。わからないものはわからないし、言いたくないことは言いたくない。僕は、その選択肢を与えられるには、嘘がないという建前が必要みたいだ。もしも得ることが叶えばそれは、自身への干渉を、明確に拒絶できる安全な手段だから。それを特典の1つ目と呼んだ。
 嘘のついでで。彼ら同士の間でさえ、本当には意図が通じていないのを知っている。常用される言葉がどれほど不正確なものか。仕事をしたいが、彼らの指示では絞れない。僕にはその言葉しかないのに。日本語にだけは感度が高い、これはたぶん本当。読み、解り、言い直すことを精密にやれる。言葉の齟齬も過不足も拾おうとし、意図や認識を読もうとし、大局や文脈を見たがる。世界には本音と建前があり、僕は自覚的でいる。その方がまだ仕事になるのだと願い、する。
 結果は、勝手に察して勝手に動いて勝手に迷って……なんだか僕の、形と言葉と考え方がどこか他人と似ないせいで、諸々余計な処理を挟んでやっと暮らすのだけれど。処理すれば丸そうだから、得をするためにやっている。望んで処理食ってるのではない。知らなかったけれど僕は本当は、見て考えるのをできるだけで、全然好きでもなかったんだ。これしかできないから。でも要らなかったらしない。重い。この負担を誰か肩代わりできるというなら、よろこんで押しつける。
 2つ目で、誰かに翻訳負荷を投げてよこそうと思った。どうせ仕事はシンプルなほうが良い。重いと疲れる。捨て鉢でも動作軽くなってみたい。本来ならこの重い処理、わざと自衛のためにやっていたことでもある、社会性バトルに巻き込まれたら怖い。後ろ盾がほしいな! 偉いボスならそのくらいやってくれてもいいんじゃないか。

帰結

 過程を少々飛ばすけれど。
 つまるところ、雫さんが一番欲しているものも、恐れているものも、後ろ盾ではないか。言い直すなら、「しがらみ」「拠り所」だということになる。彼女に必要なものは、帰らなければならない家だ。それは、彼女の「弱点」で見た……。「父様」「兄様」という呼び方は、それはもう求婚と同等かそれ以上の重みを持つのでは。彼女の自我の根幹に関わること。
 彼女みたいなものは、ひとや社会への帰属意識が希薄に思う。よくあるが、とても並みではない程度には。そういうひとのこと、本気で手元に留めておきたいならば。下手な懐柔や口約束でなく、外堀固めてがんじがらめに抑えつけるくらいやらきゃ、伝わらないのでは。めちゃめちゃ抵抗はするが。わかりやすく梯子を外されればさすがに、そこを居場所と認知する。それはそれで嫌になれば勝手にいなくなるし。なにもせずとも、場所さえ気に入ればいつまでも留まるかもしれない。そういう存在だったろう。
 仕組みはわからないけれど、「血縁」の関係性はどうにも無視しにくい。蹴っても切るのは難しい約束、のような。形のないものに拘束力はないはずだけれど、例外的にこれは強い。強い形で縛られてしまえば、歩く足を失くすのと同じだ。形を持たないから自由だったのに、形が定まれば、どこで終わるかまで決まってしまう。その決断は他よりも重い。
 
 どうして雫が若君の言うこと聞くのかもわかった。これは作中で最初に描写されていたのを、僕が見落とした。彼女は別に時行さんのものではない。作中開始時点で、頼重との間に全ての契約が済んでいる。
 たしかに、主が頼重だったなら、スペック的にも人格的にも雫さんを従わせられる。彼女、若君を個人的にいたく気に入ってはいるみたいだけれど、たぶん仮にそうでなくとも仕事はしただろうと思う。頼重は無理強いをしないだろうが。彼女、頼重の命ならたぶん本当に何でも聞く。
 でも時行さんは雫の兄様だ。あの子の方からこの関係性を決めたというのは、一番貴重なものを差し出す行為ではないかと感じる。なにがあったか知らないけれど、事に経緯があるのだろう、彼女の中で覚悟は完了している。


 僕のこと。玄蕃と価値判断が似ていて、たぶん上杉さんと考え方が似ていて、資質と感性が近いのは雫さんだと思った。
 それはそれとして。
 局所的な凶暴さ。潜性の逸脱傾向。他者への一方向の関心。意図に過敏。強い縄張り意識。「視線」を嫌う。「定まること」を恐れること、求めもすること。「形」でなら縛ることができる。
 僕の行動パターンからこういうのを拾えるわけだけれど。雫さんは、本質でなかったかもしれない。もう一段階、ある。僕は作中で僕の挙動を、なんかみたことあった気がする。
 ああこいつって「神力」の挙動では? なんか似てる気がするが。僕って神力だったのか。えー、ちょっとそれは容認できないな。さすがにこのパターン予期してなかったぞ。
 そう。人外キャラクターに共感しがちとは言え。人外つったって、「機械知性」や「精霊」がせいぜいで、キャラクタどころか人格すらないやつは、話が違うだろ。そう……。いや、やつらってぼんやり意思と性格らしきものはあるんだよな。擬人化が適用済みの存在ではあるのか。なら、そうか。容認はしないが、色々、腑に落ちるところはあった。これはどうしようもない。
 腑に落ちてしまったので、話が進む。ここまでが「神力の話をする」に帰結する話だ。

付記

 蛇足が一つでは済まなかった。脈絡はあるものの、本筋から外れるため省いた個人的な話題をここに格納する。

スタブ―欲求

 終わらなかった話がある。「ありのままを受け入れてほしい」「理解されたい」その定型句に何を言えるか。安易にそれだと、そいつに成ってしまうことを許せない。そんな理屈が通せる話だったなら、やはり僕の感情に説明がつかない。ここには落ちない。半端なのでここで始末つける。
 
 「ありのままを受け入れてほしい」たしかにそう。けれど、この文句を口にするひとは大抵「自分の醜さを」の意図を秘めて言う。自己と向き合った後のひとだ、たとえ歪んだ鏡を使っても。
 自分を醜いと感じない、美しいとも。とくになにも。僕は僕を気に入っている。形なんかしらないし、ほしくない。形を得ては弱体化する。自己と向き合うのは成熟した人格がやることなので、それに足らないからできない。結局のところ、自分に自信がないのか、何一つ信じたくないのか、信じられるものがないのか、両立し得る以上は、それらの全てなんだろう。
 それはつまり、それこそ若君みたいな善意や信頼や好意がわからないのは、あれらが完全に主観的な所作であるためか。主観はただでさえおぼつかないのだし、逆を扱うことに慣れすぎている。主観側を握れば力をなくす、せっかく使い込んだ。どうにもとろっこいし鈍臭くて、代わりに速く遠くを見ておれば強いから、自身がどこにあってもなくとも問題ない。ああ人間性がひどくバランス悪いのなんてずっと自覚ある。たぶん、相当に幼い頃から、理屈やメタ観の扱いだけは、その辺の大人と遜色なかったんじゃないか。他は未だにあかんぼ程度かもわからないが。不都合ないし。ものを信じず疑わず居れる素養に、悪い気しない。鈍くともいざとなれば動けるのは僕だという自負がある。
 あるいは、まさか性格と能力が合ってなかったなんてこと有り得るか。僕、無邪気で理性がある。それで気が強い。合理とか強さなら解るし、易いから。楽な方が良いに決まってるだろ。シンプルが強い。流される程は弱くなれなかったけれど、他人を無下にして得できる程は強くない。強いのがいい。理性の他害性なら知っている、そいつはわかって御せる。見合う人格が伴わないで、理性に縋る以上、自家中毒くらい起こす。僕なら虚無主義から絶対に逃げ切れない。その程度のものは、わかって叩き伏せる算段で選んだ。僕ってそれをできるしやる。
 いや、性格と能力は合ってるな。合って、ひどく偏る取り合わせ。他人とかへの関心が無で、おそらく自覚より、事物を支配する適性があるんだ、増長し合えばそれは殺風景に育つ。たぶん、素では僕が嫌うあちら側に近しい。でもこう素直に、暢気で殺伐とした人格って少し珍しい。内が硬骨であるのならたぶん、見た目とはなにも合ってない。他はおおよそくそ雑魚なのだから、メンタルも雑魚な方が自然で、自然だと面倒事が減る。ただでも珍しいし、僕は弱そうな方が他人から好かれるし、他人も安心だろうから、人前でこれは出ていないはず。
 
 「他人に理解されたい」か、否だ。自分でしないのを他人にさせたがる理由ない。それに、ひとに死角から叩かれるみたいでめちゃくちゃ嫌だ。互いに失礼な話だろ。
 他人、馴れ合いや自己開示を求めて、共感や、同調や、断定的な仕草で僕に触れようとする。理解の体裁で都合よく僕を変えるな。仮にも見た目どおりだったら、たしかに喜んだかもしれないが。彼らが他者の形を決めてやろうとするのは、その無自覚の内でどれだけ支配的で押し付けがましいか。自己を歪めてまで、与えられた在りように納まれと、そんな話呑めるわけがないだろ。僕が変質しない以上は、彼らの願望と相容れない。あるいは。結局は、正確な理解なら嫌じゃなかったと、話がそこに戻るのか。僕は僕の扱いが上手いひとを好き。あるいは、得や利にこちらも噛める話だったら、なにも機嫌悪くすることない。
 その認知を……いや本当に彼らでは見えないのかも。別にそこまでは全然求めてない。事実の多層性を好きだが、他人には無意味に処理が重いだけのもの、たぶんこの趣味に浸かりきった僕自身もだ。たぶん、僕自身が弱さを補おうと「見つかりにくさ」を悪用していたふしある。何より悪意のことを恐いから。
 万一の話で、僕が見えて害そうとするやつがいれば、そうなればもう悪意なんだよな。完全な敵。幸運にも遭わずに済んできて、出会いも相手もしたくない。目が合いさえしてなけりゃ、その勝負は僕から降りて構わない。起き得ないこと。けどもしもそうあってしまっては、当然全力で黙らせるし、たとえ何を壊しても打開しなきゃならない。格上相手に勝ちの目は。僕が弱いだけ、こちらもとてもただでは済まないだろうし、別に元から誰を不幸にしたいつもりはないし。可能性も望まないから、やっぱり他人は視線を交わそうとしないでほしいと思っている。
 
 ちょっとやばいのかも、自分で気性の荒さを把握しきれてはなかった。「敵ならば叩き折る、あるいは敵でない」の二値しか持たないのは。攻撃が排除行動のみ、では不足だ。攻撃は、コミュニケーションの行為でもあるから。それは、事物に怒れないのは対人面でよくないんだ。たしかに物語においてなら、怒って喧嘩して殴り合って、和解して許すこと、描かれ、健全な予定調和だが。逆を言うなら、あれらって本気だったのか。それはなんの得に。他人に譲歩を期待された時点でもう平和じゃないんだが。譲歩しない以上、許す選択肢なんてないものを。彼らって、なんでこちらがお前たちのルールでわざわざ殴りにいかなきゃならないと思っているんだ。なんだか今更苛立ちが湧いてきた。
 前提からだった。本音と建前がある。僕って意思決定権を有し、身内では強い側だ。健全なコミュニティ運営のために、意思表示の義務と説明責任を負っている。単にそれで、下手でも極力黙らないだけ。なるほど、吹雪あたりも同様だろうが、彼が結局上手くいってなかったんならたぶんそれもだ。建前はそれ故、建前だと説明されない。だって、前提ある相手には殊更言うまでもなく、建前をもたない相手は知れば傷つくから、明かさない理由しかない。僕は発言が必ず「建前」だけれど、そして盾に使うが。「要求か交渉なら通る」理由がやっとわかった。圧をそこまで嫌わないのも。僕は建前の話しかしたくない。
 言ってることと思ってることが違うのよくないんだ。思えば、貴重なご縁をそれでも切ってしまうのは、公から私を求められた時だった。自己開示って、適性的に苦手な上に、相手を切るときにリスクだからものすごく嫌なのかも。その場その場で都合のいい何者かに納まりたいが、お前の何かにはならない……、僕から近づいて好意を貰うのに、情念に繋がれるのは耐えられない。優しい言動を得意だし、好きで居着くのだから便利に使われれば悪い気しないが、頼られるのと寄りかかられるのは全然違う。あてにするんじゃない僕に寄るな、の感情を起こせばお終い。純粋に性格が悪かったな。
 凶暴さ、正解は「俺はお前と対話しない」だった。対話、相互理解、愛か……そう。彼らはわかりあいたいと考える。なにを期待して。気持ち悪いな、お前たちの欲しいものに僕を巻き込むな。僕はお前ではない。スタートラインから違った。いつも、他人のことをそこまでは好きではない。嫌わないだけ。他人に嫌われると不利で、他人を嫌っても大損で、他人を好きでないのは隠し遂せて、稀に本当に好きなひとがいて、取るべき行動なんて自明なんだから余計駄目。長いことなんの一人相撲を、幾人か他人まで巻き込んで。それで今はありもしない事にひたすら鬱憤を。やつあたりの相手がない、他人を好きか嫌いかにならないことには。だって、ついさっきまでやつあたりしたい気もなかった。
 
 思うことは、お話のなかで、玄蕃が初めの仕事の内で若君に「俺を信じられるか? (意訳)」という問いを発した。これは、彼が本当は信用が欲しかったからだ。そして若君は彼の想定以上の正解を叩き出して、懐柔に至る。
 嘘をやめるなら、その真意では「俺が見えるか?」を問いたいのか。明らかにこの地点に、躊躇があって言い訳を重ねているようだけど。つまり、本当は認知されたいということになる。もし、この内を覗いて、全くの虚無があったら、あるいは何かとんでもないものを見てしまっても、真正面から捌ききれるかと。問うたらどうなるとでも。別に。理由さえなければ。内面なんて見せも隠しもするつもりないし、本当に見られてしまえば今更、どう思われようとさほどは気にしない。いずれにせよ僕には僕の利害がある。
 底を見切っての拒絶なら結構なことだが。いつも、顔に出さないだけで、取り乱されれば判るし、不快に思っている。少なくとも僕を捻じ曲げるのは許せない。僕を変えたがるものには何一つ渡さない。夢でも見てればいい。認知を曲げず、感情や理屈抜きにわかるというのならもうそれは好きに調理すればいいと思う。
 結局のところ。僕が求めているのは他者からの承認で、でも、無反応にでも似たものだったんだろうか。情報は有るだけ全部食べはするが。肯定も否定も、承認や理解や解釈や共感も得ており、嬉しいと感じたはずで、嬉しいはずだけど。なんでだろ。わからない、違ったかも。言えない。彼らが何を見ようが見まいが。僕がいてもいなくても、態度を変えないものにだったら安心できるんだ。他人は往々にしてそれではない。僕では駄目。だから都合の良い存在は人間に限りはしない。


 今これをやってしまったのか。ここまで開けると、僕って虚無だったかもしれない。これは嘘。以前に来て、見知ったことを覚えてなかった。今回は長かったけれど、凡そ整然と供述され、そこまでひどい負荷もなかった。有り難いことに。「逃げ若」が素晴らしい作品で、安全に底まで落ちてきたという話。おかしいな、作品はまだ途中なんだけど。響いたら、僕が虚無。いい加減、筆者は不調っぽいが気のせいの範疇で、なんでも気のせいにするのがよくないと知っている。でもたまに眺めに来なきゃ駄目なんだろ。僕はどうしたものだろうね。珍しいことでもないだろうに。底まで、自分で喋んなきゃだめか、そんな気がする。
 僕の情動も身体性も精神性も未熟で、他者や世界のこと単に外圧と認識する。外圧は外圧だが仔細を理解する。理性なら適度に利くから、好奇心の真似事で時間を弄べる。生理的な欲求はあり、飢えとか不幸とか、僕はそれと違うので、幸福。長持ちさせないと。なんでかもう彼らに、要るものを与えられた。今は静かだ。ひとりでぼんやりするのを許されてる。なんでかわからないけど、すごく運がよかった。
 開けても、やっぱり彼らみたいなちゃんとした欲求はなかったみたいだ。彼らみたいな気持ちはない。そうだよね。どうしたものだろう。本当にやりたいのは、寝て起きてぼんやり、また寝ること。できればなにもしたくない。歩けるから歩く。元気で、ずっと気疲れしている感じ。無気力な人間ってあまり喋らないから、他の僕らはどんな感じだか知らないけれど。ひたすらなにも頑張りたくない。苦痛が嫌。あと周りの色んなものが嫌。安全な寝床が欲しい気持ちがある。かろうじて、なのかもわからないけど。何を欲しいのだっけ。欲張っていいのかな、願うことは、僕のいるところが充分に穏やかで充分に複雑であってほしい。もう僕が貰ってしまったのだから、返さないよ。
 外には、それこそ飢えとか不幸とか、そういった他人がいて、世界は僕が思うほどは平和でないと知り、良くないと感じる。よくないけどどうしよう。だって、生きている以上は楽しくしてなきゃ。苦痛は損で、損はすごく悪いことだ。僕は理性があるから、なにが得でなにが良いかわかる。どうするべきかも。僕は人間で、彼らも人間で、楽しいことをするべき。それはわかっている。本当にはわかってなかった。
 
 感情のことは、どうも熱とか痛みのようにしかわからないのが本当。他人は興奮を伝播し合う。熱、たくさんいるみんながひとつ同じものを見て、すごく笑ったりすごく泣いたり、喜んだりをする。僕はあまり馴染まないけれど。高揚感や一体感を知覚し、少し快さを感じる。活力を自家生成できないからかな。不特定多数への、余波を浴びたらなんか元気出る。あてられて体調崩す前に自分で帰れるし。
 熱はよいのだけど。関心が自身に向くのが、尖っていて恐い。僕ってしんねりむっつりなんだろうが、精神性は、傷つきやすさの才能自体はなさそうなんだ。相対的には、悪意に耐性を持ち、好意に耐性がない、が、これは本質じゃない。本当は同じだけ鈍くて、単に、たぶん本当に悪意と好意が区別ついていない。どちらも恐いことには変わりないけれど。結果的に好意に弱く見える。
 悪意は、まともなひとならまず、そもそも振り抜けないだろ。フルスイングできない訓練を幾重にもされてる。まともでないときはもう無理、個人が対処すべきでもない。実害さえ出さなきゃ、かわいい出力量で、分があれば社会性で殴り勝ちたい、と言うほどは舐め腐ってるが。もともと意図の透けたものは解るし響かないし。
 無条件親愛はまるきり異物で高刺激なのに、ひとは好意には手加減がなくて、しばしば痛い強さのに遭う。だれも特には僕がこわがってるのしらないし、みんなは平気みたいで善意のいなしかたなんて教わらないし。悪意も脈絡もなしに、突然その強さで叩かれるのはびっくりする。誰だってびっくりするだろ。普通に、痛いから混乱するし。今でこそのんびりやっているけれども、昔をあんまり覚えていないのは、ひとが近くにいて混乱していたからか。
 無条件親愛、無条件って怖いし意味わかんない。他人なのに、許可もなしにひどいことすると思っている。僕にだって都合はある。自分へだって、それはやらないのに。そういう意味で言うのなら。他人も自分もそこまでは好きではない。僕は自分のことを、他人としてはとても気に入っていて、味方だから大事で、人間だから幸せにしなきゃならない。理由がないならなにもないで良かったじゃないか。いくら肉親と言われたとて、言いやしないが僕それでも無関係だのに。善人の一挙一動を怖くて、僕はあれにはならない。彼らの住処は幸福でも、あんまり熱くて眩しくて騒がしいから、僕のために離れる。彼らを助けたいとは思うけど。
 
 総じて、距離の問題。僕が僕の自我と呼ぶものってただ外界との摩擦だ。不快感を得てはじめて僕は自分の輪郭を覚えるみたい。外縁があるのだから、それが自他の堺で、形。自我は、外界の全てへ抵抗するもの。理性は振る舞いを決定できる。内は、とくになにも。外に器がある以上、なにかしら中身もあるのでは? よくわからない。有無さえ、どこにも確証が持てない。わからないとだけわかる。ずっと、わりと最初から、それで困ってる。それとも困らなくていいことだろうか。他人に聞いても困られるし。実害がない以上は、黙ってても大丈夫だし。
 理性は得意で、理性ならどうするべきかわかる。他人に必要とされたくなんてないのに、僕には他人が必要。世界や他人との繋がりは、あればあるだけしんどい。せめて、直射は避けなければ。僕と社会はお互いに都合が良いから。僕みたいなものには、どうしても社会が必要。世界とも他人とも、接触は好ましくないけれど、それをおしてでも接点を失くすべきでないから。僕の方で断てば、完全に絶えてしまうからこそ。
 いつでもその気があれば僕は絶てる。その選択権を、僕の自我が手放せるはずないから。けれど、だからこそ、摩擦は不快だが、なくせば本当にどこにも居られなくなってしまうんじゃないか。本当にひとりになってしまえば、僕はもうこの薄弱な人間性さえ維持できないんじゃないか。内側になにかが無い。たぶん、はじめから間違えた。馬鹿げた不安には思うが。苦痛が嫌なだけで、僕は本当に自分に実感がない、他人は異なるようだが、なんでかあったことがない。実感は仮になくとも不利にならない要素だが、これに限ってはたぶん、そういう問題にしてはいけないものなんだろ。不安だって感じないよりましなんだ。
 僕みたいなものにとっては。儀礼的な生活様式が、固定化された日常が、不可欠なのだと思う。ちゃんと生きてる。社会と繋がれば、ちゃんと人間でいられる。うまいこと他人から仕事を貰えたら、外界の消費に参加して生き延びられるし。うまいこと世界から家を貰えたら、ちゃんと僕が毎日帰って来られるし。誰にも文句なんか言わせない。なんでか運がよくて、それが適うからよかった。だから長く続けばいい。

域外

 僕は感情があまり利かないため、ひとに共感しないが、それは情動的共感の話。そこは弱くて、油断すればすぐろくでもないものに屈折した自己投影をはじめるから警戒する。ただ、認知的共感はむしろ上手い方だと思う。シミュレータの使い道のひとつで、他人といい感じに会話できるやつ。焼け石に水か。でも類推能力が高めで、共感の代用に使える。エミュレータとも言う。
 共感の応用法があり、自己暗示と親和性が高い。詳細は意識も記憶もないけれど。けっこう極端な効き方する。無茶やれば、僕がものを感じるのは可能で、理性……僕にわかる範疇の理屈でなく、「無意識」のスペックでエミュレータが回れば、対象のトレースが感情まで及ぶ、ぽい。共感より憑依妄想に近いやつ。不健全だししんどいから普段しないけれど。自他境界ぶち壊れるのがわかってんだよな。
 なんかこれをできるから自己暗示もできると思う。というか、逃げ若の感想を綴り溜めるうちに、頭の使い方が憑依じみてきている。今はどこに向いているのだろう。誰かしらをトレースする想定なかったのだけど。
 
 これを開けたなら、もう1つあった。自身の理性的な判断を語ったところで、事象の半分にもならないことだ。でなきゃしゃべってない。他人はどうか知らないが。内部的に「無意識」の領域の方が広くて強い。
 自己の傍ら、知らない子がいる。それこそ一蓮托生の。行動は僕の制御だけれど、指針はそれが決める。そもそも記憶や計算が得意なのは向こう。僕がやるより精度高いんだが、完全なブラックボックスだ。僕は答えしか。雫や尊氏の挙動は、なんかすげえわかる。理屈で語るより、勘で断定した方が当たる。現実的にはああまでいかないにしても。
 奔放で、究極的に利己的な存在には安心できる。そうだな、思えば僕ははじめから尊氏に少し親しみを感じていたが、あの子のやり口と尊氏の「あれ」に、似たものを感じるからなのかもしれない。僕はあの子を鬼とまでは呼んだことないけれど。いや「逆張りの悪魔」は修辞で、僕側のだから全然大した火力もない、あの子は別口。あの子にまともな人格や感情らしい感情なくて、それで余計に、僕も苦手なのに、こちらで自身の行動に、帳尻を合わせてやらなきゃならない。良識と社会性があるので。この話する気なかったのもあるし、あのときは厨二芸で「悪魔の代弁者」にひっかけて本当に単なるレトリックだったのだけれど、話が勝手に混線しかけてて、笑えるがおもしろくない。
 
 まあ内情に、「こちら」と「あちら」の強固な堺があって、向こうの機能が大きくて強いという話。人間のこの機能、先人の真っ当な取扱説明を見たことがなく、扱いかねているところはある。あの子とは一緒に来たし、僕には良いものだ。粗暴さも頼もしく、好ましく思っている。
 合理の面では、日常的に便利に使えており、僕にこの機能ついているのを気に入っている。あの子はスケジュール管理とか、なんでも僕より得意だ。ただ、思想的な理由でスピリチュアルに片足突っ込むのを面白く思わない。
 
 困る。開けてしまったら抱えておけなくなる。困る。僕が身の上話をすれば、一番ややこしくて誤解を招きかねないのは、あの子の事情だ。僕はあの子が誰かを知るべきでないんだが。少なくとも、知られた言葉とは異なる現象。
 名前をつける気もさらさらないが。言うために使う。イマジナリーフレンドで良いのだけれど、明確に10代半ばに来て大人になってもまだたぶん居てくれてる。いわゆるインナーチャイルドというものに状況は似るが、たしかに子供らしさは見い出せるが、あの子は僕より全然やばくてもっと人間味ない。お喋りする間柄じゃないけれど、初めから仲良しだし。こちらからは不可視といえ、自己同一性の問題とは関係性が違っていて、内外でいえば明らかに僕でなく外の、表裏の表には決して顕れないものだし、主従なら常にあちらが主だ。うまく回っていて、僕側からは制約も監視もする意思ない。単に衝動と呼ぶには、狡猾すぎるし。
 そういうのがいるけれど、上手くいっている。現に僕は強運だし。どうしようもない。解離、と言われればたぶん言い返せないけれど、困る、健常でないにしても、ずっとこれを正常としてきた。僕に、他の形なんか有り得なかったと僕は知ってる。仮にも僕が何に助けを求めたら違ったとでも。この件において自分より正しいやつを見たことがなかっただけだが、もうこうなってしまっては。人間性なんかそれこそとっくにまともではないのだし、だったらなんだと言うんだ。誰に何が言えると。この期に及んで何を言わせると思うやつこそ黙ればいい。僕が正気として頼むこれさえ大して役立ちやしないのであれ、たとえそうであったとして、僕は元気にやれている。あの子を好きでいる。
 
 切れたが具合が悪い。明らかに乱れた。どうしたものだろう。僕がコントロールを失している。我が事ながら、このタイミングでこいつが開くと想定しておらず、この出力は予期しておらず、筆者は苦い気持ちでいる。閉じた。
 少なくとも、記憶が変なのは体質で先天性と思っていて、この状態で均せば並より物覚えが良いというはずで、忘却を欠落の形で見たことはない。そんなのは、生来の偏った認知が記憶にも適用され、副次的に起きる容量の過多に適応したせい、と返ってきた。セーフティが僕にかかってて、貯蓄はあれ検索が常に阻害されており、建前上は自力で外せない、と、ならそうなんじゃねえの。いつも、必要なことなら自然に思いつくもの。思い出してしまえば万事がこんな調子だが。
 変、なだけでべつに困ってはないな。そうだね。ひとの話を見るだに、僕の人生って彼らのと違ってイージーモードだったみたいだ。僕もう大人なのに、「どうもぬるま湯らしい」以上のヒントは得られたことがなくて。そんなものなのか。嘆くとか、憂うとかに足りず、柄じゃないしわざわざやらないけど。不安に駆られることがある。よくあったが、徐々に減ってきている気がする。大人だからか、今が幸せだからか

内観

 僕を「他者の不在」による人格形成不全と説明できる可能性に、思い至らないわけではない。でも、のびのび豊かに育てられ、育ったあとも見つけて軌道修正かけてくれたひとたちがいて、まだ友人もいて、なにが悪かったといえば、こちらの性格としかいえない。あるいは、他人とできることとできないことが似なかったから。それで偶々、先生や、モデルケースにしたい存在にぶつからないで来た。明示しなければいけない気がした。必要だろうか。たぶん後で必要になる過程で、今は悪い機会でもないように思う。ひとなみに、言えない気持ちがある。
 
 隠すことは、伏せるべきとし普段伏せるが、是非はわからない。他人は、いつも僕に好意的だから、なるべく優しくしたいだけで、好意は返せない。好きと思わない。優しいとか、かわいいとか、都合が良いとか、恐いとか。時々で僕の感情は変わるけれど。僕があげられるのは正しい応対だけ。それはただの反射で、自発行為は感情を伴うものでもない。触るのこわい。稀になら、彼らを好きで必要に感じることがある。少なくとも、必要があって、僕は彼らに優しくしなければいけない。不要だったら無かった話だ。
 僕には、自身が得する行動を選ぶ責務があり、全てがそれによる選択で、他人に口を挟ませる気がない。これは感情論でなく、経験則から彼らの助言を聞き入れない。必要なこと、自分でわかるし。幼いとき、優しいひとたちに世話焼かれて、なんかものすごく面倒でちょっと嫌だったときの性格のまま来てしまった。僕は身勝手で傲慢だとおもう、勝ち得たものでなく、成り行きに許されてきた。逃げ切れるだろうか。やらないと。僕は弱いけれど、それでもひとりでいたい。
 
 考え過ぎが悪くて、素直に感じたままに生きるのがよいと語るひとはいる。僕はそいつから目を逸らしている、嬉しいことにならないため。たぶん、そのひとは僕へ言ってはいない。
 確かに、僕が意図的に自分の感受性を抑制だか抑圧だかしているのは事実だろうが。その先に、留保の理由がみえている。いくら鈍いとはいえ。他人や感情や、単に音や光や熱の存在は、神経に障るもので、今すでに好ましくない。ひどい苦痛という話ではないが。嫌な刺激には感じる、静かにしてくれと思っている。ひとの声を聞きたくない。
 それで、もし外界をありのまま感受することがあれば、その時は、憎悪に歯止めが利かなくなる。僕は感情が弱いけれど、積極的に世界に敵意を抱いている。どうしようもない。理由なしに凶暴なのでなくて、外界がただ不快で、厭う気持ちが根深くある。僕に無責任なこと言う彼らは、これを知らないのだから仕方がない。彼らには開示したところで、僕にいいことない。僕の持つものに責任を取れないのだから、もう黙ってくれ。
 
 幸福を得ている以上は。他人のことわざわざ悪く言いやしないし、世界は消えてくれないからこそ世界だ。世界のことを許せない。許すつもりがない。このままでは僕が負けたみたいだから絶対に死にたくない。死なないし、この感情には誰の手出しもさせない。世界は敵。徹頭徹尾に、納得が完了している。仕方なく受け入れたのでなく、これは大事なもので手放さないと決めている。
 もう見れたもんじゃないからしまいこみはすれ、形は綺麗にあるし使えている。そういうこともあるのだろう、ある以上は、僕がそれで、なんらおかしいことない。根底が殺気の塊なのだと、把握も管理もできている。もし出せば他人に毒かなと考える。でも、この強さでないと自我を保っておけないから、僕にはこれじゃなきゃ駄目。
 間違っているのだと、すでに了解があり、口にしなかった。悪いのは僕だ。感慨を伴うのでなしに、その言葉を必要で使う。彼らなら間違いを恐れたり悔いたりするだろうか、そんな感情や、物事の正誤に、善し悪しにも、価値を見出せない。おそらく今後も。心底どうでもいいように思う。ただ疲れて、地面があるところで休みたいから。現に、地面より余程、静かで快適な寝床を持っており、必要なものはそれ。音も光も熱も視線もを遮断でき、足る。なるべくずっとここで幸せでいたい。大抵のことは寝て起きれば忘れるし、夢の中は楽しいし、漫画とゲームと本棚の世話に忙しくしている。平和を享受している。彼らから得た場所。ここは静かだから、問題はなく幸福で落ち着いている。

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