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忍者怪異譚【故人呼ぶ口寄せの術】

『口寄せの術』
主に動物を召喚する。故人や動物の霊魂を呼び寄せて自分に憑依させる応用技も存在する。過去の出来事を知ることができるが、霊魂を身体に降ろしているため乗っ取られる危険性もある。


【其の壱:くノ一の憩いの場にて】

 ひそひそと形容するには大き過ぎる声。

 甲賀の有名なくノ一四人衆は四畳ほどの小さな部屋で密談をしていた。

「ところでさ、みんな口寄せの術の使い手だよな」
「そうそう! 宇迦”以外”は使えるんだよね~」
「もう於兎ったら。嫌味を言わないの」
「口寄せの術がどうかしたの?」

 シャオランが問うと宇迦はそっぽを向きながら「別に大したことじゃないけどよ」と前置きをし、口をもごもごと動かした。宇迦らしかぬ様子に三人は興味をそそられた。

「…………の…………って」
「なになに聞こえないよ!」

 早くも痺れを切らした於兎がせっつくと、宇迦は意を決してはっきりと声を出した。

「口寄せの術って故人も呼び出せるんだよな?」


【其の弐:咲耶の回想】

 解散した後、咲耶は宇迦の言葉を思い出していた。

『口寄せの術って故人も呼び出せるんだよな?』

 故人を呼び出す口寄せの術――それは体を乗っ取られる危険性がある高等技術だ。決して軽々しく行う術ではない。故に方法を教えることはないし書物にも残さない。
 未熟な忍者には教えられない術なのだ。しかし咲耶達、優秀なくノ一は違った。数年前、くノ一の指導を担当しているコンガに実力を認められて教わっていたのだ。その場に宇迦もいたから故人の呼び寄せについても聞いていたはず。知っていながら聞いてきたのだ。

 宇迦の問いに答えたのはシャオランだった。

「むかーし、子供の頃の話ね。降霊しようとしたことアルよ」

 全員が驚いた。シャオランから死者の霊魂に興味があるという話は聞いたことがない。現実主義で過去は振り返らない印象があったから意外だった。それに子供の頃って……動物を召喚する口寄せの術すら未完成だった時に死者の霊魂を呼び寄せた? 一体誰がシャオランに故人を呼び寄せる方法を教えたのか。次から次へと疑問が湧いてくる。

 その口寄せの術は成功したのだろうか。もし失敗していたとしたら……途端に目の前の友人が別のナニカに乗っ取られているんじゃないかと恐ろしい疑念がもたげる。

「リーリーの召喚が上手くいったから調子に乗っちゃったんだ。あたしの力なら人間ぐらい余裕で降ろせるって。結局失敗しちゃったけどね。若気の至りってやつよ」

 今も十分若いのでは? きっとみんなそう思ったけど口にはしなかった。シャオランのパートナー、パンダのリーリーは呆れたように主人を見ている。

「ふーん……降霊出来なかったんだな」
「乗っ取られなかったのは運が良かったよ。……もう二度としたくないアル」

 シャオランは口を噤んだ。悲しげに目を伏せている。とんでもない失敗をしてしまったのだろうか。例えば、人が死んでしまうような。


【其の参:於兎の独り言】

 咲耶が回想に耽っていたのと同じ刻、於兎も同じようにシャオランの話を思い出していた。

「シャオランちゃんが故人を呼び出そうとしたことがあったなんて、意外も意外だよね。しかも子供の頃! ほんとよく無事だったよねー。私は怖くてできないよ。勇気あるなー。
 でも誰を呼び出そうとしたんだろう。もうちょっと突っ込んで聞けばよかったかな。惜しいことをしたな。んー……でもまあいいか。今度聞こ!」

 於兎は話を頭の隅に追いやり、晩御飯に思いを馳せることにした。考え事がくるくると目まぐるしい勢いで変わるのが彼女の特徴だ。

「みんなー今日は何食べたい? やっぱり人参? え、甘いのが良いって? 人参はどれも甘いじゃん!」

 於兎の周りには口寄せの術で召喚したウサギ達が飛び回っている。不規則にあちらこちらと飛び回っている様は全身で気持ちを表現しているようでとても可愛らしい。

「そんなに甘いのが食べたいかー。よーし、今日は特別にあまーいキャベツもつけちゃう!」

 ウサギ達は嬉しさのあまり屋根を超すくらい大きく跳ねた。

「たかーい! そんなに嬉しかったの? うんうん、今は誰もいないから思う存分飛び跳ねても大丈夫だよ。怒られないって最高だね!」

 於兎もウサギ達と一緒に高く跳ねる。ぴょんぴょんぴょんと桃色が夜の帳と混じる。そして暗闇から再び現れる。その様子はまるで……。

「あ……? 故人を降ろす術、私……見たことある」

 急速な記憶の回復――於兎は晩御飯のことなどすっかり忘れ、蘇った記憶を逃さないよう何度も何度も”一週間前の出来事”を反芻した。


【其の肆:シャオランの後悔】

「あーあー……なんで話しちゃったんだろう?」

 突然シャオランに話しかけられてリーリーは首を傾げる。

「別に言わなくても良かったよね? 表面上はなんでもないように聞いてたけど、絶対「こいつマジかよ……」って思ってたアル」

 密談していた小屋から最も近い場所に居を構えているシャオランは誰よりも早く家に着いていた。畳の上で寝転がりながら自分の発言を振り返る。

 みんなに話した内容には、一つだけ嘘がある。『子供の頃』なんて……ずっと昔の出来事のように話したけど、本当はつい最近のことなのだ。

「みんな忘れてた時は落ち込んだけど、あの光景を思い出すくらいなら忘れたままの方が良いよね。ねぇ……リーリーはどう思う?」

 リーリーは答えない。腕を組んで悩んでいるようだ。

「こんなこと話しても困るよね。ごめん。もう寝ようか。なんか疲れちゃったし」

 瞼を閉じれば現れる眩しい黒い炎。あの炎は未だ体の中に巣食っているのではないか。シャオランは胃の周辺を宥める様に撫でた。


【其の伍:宇迦とネム】

「あ、おかえりネム! 旅はどうだった?」
「おお宇迦。こんなところでおうなんて珍しいやん。成果は上々。綺麗やけど、禍々しい絵が描けたんや。後で見せたるわ」

 宇迦は里を離れていたネムを出迎えていた。一週間前、ネムは突然「ちょお旅してくる!」と言って旅支度もろくにせず飛び出していったのだ。

「里は変わりないか?」
「ああ。今日も於兎と競って喧嘩して、咲耶が宥めて、シャオランが笑ってみてたよ。そういえば岩爺には会ってないな。まあ岩爺が姿を見せないのはいつものことだけど。たまには外に出て運動したらいいのにな」

 宇迦は今日あった出来事を思い出しながらネムに語る。

「いつも通りねぇ……。宇迦、私が旅に出た日の夜って覚えとる?」
「一週間前の夜? 普通にご飯食べて、ごろごろして……ああ、早めに寝たな。気付いたら朝だった」
「そっかそっか。いや、何事もなかったんならええねん。それに早くに寝たんならあれには気付かなかったのも無理もない……と思う。あーうん、それじゃあ私は岩爺の屋敷に行くわ。色々と報告したいしな。じゃあまた明日!」
「あ、おい! ちょっと!」

 曖昧模糊なネムの態度は怪しい。何かを隠しているのは明白だ。宇迦は追求しようとしたが、口を開く前にネムは素早い身のこなしで闇夜に消えていってしまった。

「一週間前の夜……」

 特別なことは何も起きていないはずだ。ちょっとでもおかしなことが起きたら確実に話題になっている。しかしそんな話は聞かない。ネムは何を隠しているんだろう。
 一人取り残された宇迦はネムの態度を考察しながら帰宅した。ネムの態度の理由――結局その答えは見つからなかった。

【其の陸:異変―とある忍者の走馬灯―】

 薄れゆく意識の中でたった数分前の出来事が駆け抜ける――。

 今晩も変わり映えしない警備任務。大切な仕事だと理解しているが、この平和な時代に必要なのだろうかと悩むこともある。
 同僚の忍者達はこの間にも鍛錬を重ねている。手裏剣の刺さる音、立ち上る変化の術の煙……今日も平穏で何事もなく終わるはずだった。
 一週間前のあの光景を見た時のような心躍る出来事は早々ないのだ。里の上空に打ちあがった黒いのに眩しい四つの炎。あまりの禍々しさに皆が口を噤んでいる。少しでも噂したら災いが降りかかるのではないかと怯えている者も大勢いる。

 屋根から屋根へ移動する。夕方はくノ一の騒がしい声が聞こえてくる小さな小屋も今は誰もいない。

 辺りを見渡す。異常なし。

 ――ん? あれは……?

 視線を下に向けて庭を見ると黒い影が蠢いていた。姿はぼやけている。煙を纏っているようだ。
 こんな夜中に煙を巻きながら庭にいる人物――曲者だ。

 まさか曲者を見逃したのか? もう何年も警備任務をしているこの俺が! 

 素早く身を屈める。怒りが心臓をドクドクと脈動させる。一体何処の馬の骨が俺の目を盗んで甲賀の里に入り込んできたのか――捕まえて正体を暴いてやる。他の里の者なら無断で入ってきたのを理由に糾弾してやろうではないか。

 くぇくぇくぇくぇくぇ……ケラケラケラ……キィヒヒィヒヒ

 影は獣のような奇声を上げている。気味の悪い声は甲高く、背筋がぞわぞわとする。爪で黒板を引っ搔いた音に似ている。
 音を立てずに屋根から降り、小屋の陰に隠れて動向を見張る。地面に何かを埋めているようだが背を向けているから手元が見えない。

 やがてパンパンと地面を念入りに叩いて立ち上がる。千鳥足で小屋から離れていく。追っても良いが――ここは証拠となる物を確保しておくべきだ。
 姿が見えなくなってすぐ影がいた場所に近付き膝をつく。他と比べて少しだけ柔らかく膨らんだ土。ここを掘れば決定的な証拠が見つかる。

 掘り返す。

 しかし何も出てこない。

 掘っても掘っても指に触れるのは湿った土だけだ。

 埋めていない? では何のために土を掘っていたのか?

「――っ! 曲者!」

 背後で殺気を感じ、瞬時に振り返り手裏剣を投げる。

 手裏剣は的確に相手の眉間に刺さったはずだった。しかし、スコンと間抜けな音を立てて木に刺さっただけだ。

 誰もいない。

 背後で気配を感じる。殺気はない。

 振り返る。今度は手裏剣を投げない。

 誰もいない。

 翻弄されている。いつの間にか影が戻ってきていたのだ。姿を捉えようと辺りを見渡せど見つからない。弄ばれているようで腹が立つ。

 どこだ、どこに隠れている。

 気配を探るのに夢中で足元まで気を配れなかった。

 地面から無数の青白い腕が生えている。

【其の漆:招集・聴取】 

 翌朝、甲賀の里の実力者のみが招集され、死体発見の報を共有した。死体が発見された場所は里の中心に位置する小屋の、あまり日が当たらない庭。
 昨日その小屋を使用していたのは咲耶、於兎、宇迦、シャオランの四名のみ。事情聴取のため四人は岩爺の質問に答えていた。

「死亡時刻は丑の刻。お主たちは酉の刻に解散してそれぞれの家へと帰っていった。これは間違いないな?」
「はい」

 声を揃えて返事をする。

「帰宅途中で誰かと出会った者はいるか?」
「はい。私は里の入り口でネムに会いました」

 宇迦が挙手をして、旅から戻ってきたネムに出会い少しだけ話をしたと証言した。

「ふむ……そういえばネムはわしに絵を見てくれって押しかけてきたな。ネムはお主が家の中に入る様子を見たか?」
「いいえ。岩爺に絵を見せると言ってその場で別れたので見ていません。私は帰宅後ずっと家にいましたが、それを証言できる人はいません」
「あいわかった。他の者は証言可能な者はいない――ということでよいか?」
「はい」

 宇迦を除く三人が頷く。

「里の疑いの目はお主たちに向けられている。昨日、現場の小屋はお主たちしか使用していないからな。しかしわしはお主たちが同胞を殺したとは思えぬ。そこでお主たち自ら調査をして疑いを晴らしてほしい。むろんわしも協力を惜しまん」

 岩爺は優しい目で四人を見つめる。しかしすぐに厳しい目つきへと変わる。

「ああそうだ。一週間ほど前に妙な現象が目撃されている。恐れをなして怖がっている者も多い。此度の事件、人ならざる者の仕業の可能性も十分考えられる。怪しい者を見つけても迂闊に近寄らないように。素早く応援を呼んで複数人で事をあたるようにな」
「御意!」


【其の捌:甲賀の里に潜む影】

「ねぇ……一週間前に妙な現象なんてあったかな?」

 屋敷を出てすぐ、咲耶は疑問に思っていたことを口にした。

「それなんだけど全然覚えてないんだよな。そういやネムも一週間前の夜について聞いてきたよ。思えばあの曖昧なネムの態度は私が現象について何も知らなかったからだったんだな」

 宇迦は思い出そうと左斜めの方に視線を動かす。しかし考えても考えても妙な現象とやらは思い出せなかった。

「私、ちょっとだけ思い出したよ」

 於兎の言葉に三人が振り返る。

「於兎! 思い出したの!?」
「う、うん。全部じゃないけどね。その様子だとシャオランはもう思い出していたんだね」
「みんな覚えてなかったから黙ってたアル。それにあたしの見間違いの可能性もあったし。あと……変な子だって思われたくなかったから里の人達に聞けなかったんだよ」
「ということは本当にあった出来事なんだね……。どうして私と宇迦は思い出せないんだろう?」
「私はウサギ達が跳ねているのを見て思い出したんだよね。二人も何かきっかけがあれば思い出すかも。試しにウサギ達を呼んでみようか」

 於兎は昨日の夜と同じ数のウサギを呼び出し、一斉に跳ねるよう指示した。ぴょんぴょんと楽しそうに跳ね回るウサギ達。しかしその様子を見ても咲耶と宇迦は首を傾げるばかり。

「ごめんなさい於兎、何も思い出せないわ」
「ほんとにこれを見て思い出したのか?」
「思い出したんだよ! 黒くて明るくて炎が暗闇に溶けるようにして消えていったの!」
「正確には、最初に目が開けられないくらい黒い眩しい光が放たれた。反射的に目を閉じちゃったんだけど、目を開けたら四つの黒い炎が現れたんだよ。……すぐに消えたからどこに行ったのかはわからないけど」

 シャオランの説明を聞いても咲耶と宇迦は思い出せず「う~ん……」と唸っている。

「調査しているうちに思い出せるかな」
「たぶんきっかけがあれば思い出せるよ」
「話を聞くに妙な現象は悪霊の類だな。それも凶悪な部類の。思い出すためにも一週間前の妙な現象について調べよう」

 宇迦の提案にみんな頷く。

「そうだね。すっごい光ってたからみんな見てるはず。その時の状況を詳しく聞き出そう」
「現場検証も大切ね。それと死亡原因も医術班に聞きましょうか。手掛かりになるかもしれないからね」
「調査途中で怪しい影を見つけたらすぐに知らせよう。相手は一人殺しているんだ。いくらわたし達が手練れでもやられる可能性がないわけじゃない」

 あれよあれよと行動が決まっていく。

「悪霊退治も私たちの仕事だから、今さら悪霊に怯えることはないよね。全力で事に向き合い、疑いを晴らそう!」
「おー!」

 四人は拳を高く突き上げた。

「それじゃあ私と於兎は里のみんなに聞き込みをするね」
「じゃあ私とシャオランが現場検証、昼近くになったら解剖も終わってるだろうし医術班の方にも行ってくるよ」
「集合時間は未の刻。場所はここ、岩爺の屋敷前にしよう。それじゃあ……散!」

 四人は咲耶の言葉を合図に、一斉に影だけ残してその場から飛び去った。


【其の玖:最悪の想定】

 咲耶と於兎は手当たり次第に聞き込みをした。すると、話しかけた人全員が口を揃えて「目が潰れるんじゃないかと思うほど眩しい、黒い炎が打ちあがった」と言ったのだ。
 於兎はうんうんと頷きと相槌を交えながら聞いていたが、咲耶は全く心当たりがなく、不安ばかりが募っていった。里のどこにいても黒い炎を見ているのに、自分は何も見ていない。寝入っていた人もあまりの眩しさに目が覚めたと言っている。だから熟睡していたとしても自分だって目覚めたはずなのに――。

 一週間の記憶。抜け落ちているとは考えたくない。しかし一週間も前のことなんてほとんど覚えていない。夜は普通に食事をして軽く特訓をして床に就いたはずだ。変わった出来事はなかったのに、里の人達は異常現象を目撃している。自分だけが世界に取り残されているんじゃないか――咲耶の心に孤独感が押し寄せてくる。

「それでそれで、あなたはその炎のことどう思いました?」

 於兎の言葉に咲耶は我に返った。パッと顔を上げて話を聞く体勢になる。

「あの黒くて禍々しい輝き、あれは絶対に悪霊だね。なんだかズンと体が重たくなった感じがしたし、放っておくと碌なことにならないよ。現に犠牲者が出てるんだろう? 本当に怖くて仕方がないよ」

 悪霊の魂は黒くて禍々しい。少しでも触れると体が重たくなってくる。忍者は誰しも悪霊と戦ってきたからこの感覚は共通理解だ。

「ただなぁ……不思議なことに空中で溶けるように消えたんだよ。悪霊に間違いないだろうけどそれはおかしいだろ?」

 悪霊が消滅する時は花火みたいに派手に弾ける。決して溶けるように消滅しない。

「だからあの悪霊はまだこの辺をうろついてるかもしれない。俺は君達じゃなくてあの悪霊が犯人だと睨んでるんだ。疑われながらというのは辛いだろうけど、頑張ってくれよな!」
「うん! お兄さんも気を付けてね~。夜は外に出ちゃ駄目だよ!」

 暢気に手を振る於兎を見つめながら咲耶は最悪な事態を想定していた。

 ――黒い炎が悪霊だとして、それが人の中に入って知らず知らずのうちに同胞を襲っていたら? そして記憶を失った私達は、実は体を乗っ取られているのではないか……。咲耶はそんな恐ろしい妄想に囚われ始めていた。


【其の拾:庭の調査】

 宇迦とシャオランは死体発見現場に来ていた。死体はとうに回収されていて、今は血痕しか残っていない。

「血だらけだな……。まるで臓器をくり抜かれたみたいだ」
「そういえば死体が発見されたってだけでどんな状態になっていたかは知らされていないアル」
「教えられないほど凄惨な光景だったんだろうな……。それも医術班に聞こうか」

 適当な世間話をしながら庭の調査をする。黙っていると余計なことを考えてしまうからだ。ただでさえ陰惨な事件現場なのだ。さらに重苦しい空気にする必要はない。

「争った形跡はないね。一撃で殺られたってことかな?」
「熟練の忍者が抵抗も出来ずに? もしかして……手練れの忍者が束になっても倒せなかったという大昔の悪霊が復活したのか?」
「そうだとしたら一大事アル。甲賀の里だけの問題じゃなくなるよ。全ての忍者の里が協力し合って倒さないといけなくなる……」

 二人は想像して身を震わせた。

 それからも気を紛らわす会話を挟みつつ調査を行ったがこれといった成果は得られなかった。庭が血に濡れていること以外に地面を掘った跡があったが、人が入れるだけ掘ってみても何も見つからなかった。気付けば太陽は真上。正午だ。

「もうお昼だな。検死結果を聞きに行こう」

 現場検証を引き上げた宇迦とシャオランは遺体安置所へと向かった。


【其の拾壱:死体の状態】

 遺体安置所では里の医療班が頭を悩ませていた。
 
 結論から言うと人の仕業ではない。これは死体を一目見た瞬間からわかっていたことだ。忍具を使った形跡が一切ない。人を容易に殺せる武器は手裏剣や刀が代表だろう。しかし刃物で切断されている部分は存在しない。

 巨大な獣の鉤爪で縦に真っ二つされ、脳みそ・目玉・心臓・内臓・膵臓・肺・大腸・小腸……人体を構成するありとあらゆる臓器が取り除かれていたのだ。

 喰い荒らされた形跡はない。的確に臓器のみを摘出している。そんな獣が存在しているのだろうか?

 医術班が頭を抱えているのは死体そのものではない。里に知能のある獣……いや、未知の生物が身を潜めている――里を壊滅させられるほど危険な生命体の存在に悩んでいるのだ。

 この可能性を公に知らせれば大混乱に陥るのは目に見えている。そうなってしまえば益々相手の思う壺だろう。まずは岩爺に相談を――そう考えた時に宇迦とシャオランがやってきた。

 彼女達は疑われている。しかし人の仕業ではないと分かった以上彼女達に罪はない。真実を話すべきだろうか?


【其の拾弐:合流】

 未の刻。約束通り岩爺の屋敷の前で合流し、調査結果を報告しあった。

「検視結果は教えてくれなかったの?」
「すっごい悩んでたよ。しつこく詰め寄ったら岩爺と一緒ならって条件で教えてもらえることになったんだ。あと絶対に取り乱さないことってのが条件だって。私達がうら若き乙女だから躊躇ったんだろうな」
「いやいや! あたし達に遠慮したっていうより、もっと大勢……甲賀の里の存亡を賭けたような深刻さだったよ!」
「もう宇迦ってば、乙女だなんて似合わない言葉使ってんじゃないよー」

 四人のくノ一の姦しい声が屋敷前から発せられる。周りに民家があったら何事かと顔を覗かせるだろう。彼女達は何かと騒がしい。だから自由にお喋りができる小屋が建てられたのだ。その小屋の庭で死体が発見された――唯一の利用者である彼女達に疑いの目を向ける人が出てくるのは当然だろう。

「ええっと……中、入っていいぞ」
「あ、コンガ先生だ。もう良いの?」

 屋敷の引き戸を少しだけ開けて遠慮がちに声をかけたのは、くノ一の指導を担当しているコンガだ。兎に角騒がしい教え子達を呆れた眼差しで見ている。

「重要な話だから心して聞くようにな」

 コンガは神妙な顔で屋敷へ招き入れた。

【其の拾参:疑心暗鬼】

 岩爺は難しい顔をしている。広間に集まり調査結果を報告してから沈黙すること数分、ようやく開いた口からは死体の惨状が語られた。聞いていた者の胸の内に不快感が押し寄せる。想像もしたくないが、目を逸らすわけにはいかない。

「これ以上犠牲者を出すわけにはいかん。正体不明の生命体が里に潜んでいるのなら見つけ出して倒さねばならん。そして呼び寄せた者を拘束せねば事態は繰り返されるだろう」

 岩爺は四人に視線を向けた。

「死体の惨状を見るに人の所業ではないのは確実だ。しかし宇迦を除く三人は口寄せの術を得意としている。一人では無理でも力を合わせれば強大な生物を呼び寄せることは可能だ。里には口寄せの術を使える者が何人もいる。だが彼らの力を集めてもお主達には及ばない」

 優秀すぎるが故の疑いの目。岩爺は過去の自分を思い出したのか苦い顔をした。

「まあ、呼び寄せた者は一先ず置いておこう。確実な証拠があるわけではないからな。まずは正体不明の生命体について、一つだけ該当する伝承がある。黒い炎を纏う獣――九尾の狐だ」

 宇迦の耳がピクリと動く。

「かつて、強大な力を奮って人を支配していたとされる九尾の狐。我々の先祖が身を削りつつ討伐した獣で、戦いは何十年にも及んだ。何人もの犠牲を出した壮絶な戦いだったと伝えられている。九尾の狐にやられた者は臓器を抜かれ、腹の中に収まった。人間は捕食対象だったのだろうな。今回の死体も臓器が抜かれている。ここまで特徴が一致しているのだ。この里には九尾の狐が潜んでいる」

 四人は顔を見合わせる。この中の誰かが九尾の狐を呼び寄せたのでは。少しだけ記憶を取り戻した於兎はちらっと宇迦を見て口を開いた。

「九尾の狐を呼んだ犯人ですけど、怪しいのは宇迦だと思います。昨日、急に「口寄せの術って故人も呼び出せるのか?」って話の流れを変えてまで聞いてきたので。本当は人じゃなくて獣を呼びたかったんじゃないでしょうか? 前に伝説の九尾の狐を使役したいって言ってたし……」
「うーん……でもさ、宇迦は召喚できないからあたし達の誰かに頼んだってことにならない? あたしには頼まれた記憶ないよ」
「まあ確かに思い出せる範囲では私にもないけど……シャオランは記憶の抜け落ちとかない感じ?」
「最初から最後までバッチリあるよ」
「まあ於兎の言う通り九尾の狐は使役してみたいと思ったけどよ。力の一部である九尾の焔を使ってるし。でも、降霊が危険なのは知ってるからそう気軽に友達に頼まない。単に口寄せの術に詳しくないからどれだけ難しいのか知りたかっただけなんだ」
「待て待て。少し話す速度を落とせ。その口ぶり、もしかして口寄せの術を使用したのか? 何を呼んだ?」

 黙って話を聞いていた岩爺が口を挟む。どうやら若者の話す速度についていけなかったようだ。
 意を決してシャオランが口を開く。

「……故人を呼び寄せようとしました。つい最近任務で亡くなった人を」

 宇迦と咲耶がシャオランを見る。失った一週間前の記憶――それは故人を呼び寄せる口寄せの術の記憶だったのだ。

「ああ……あいつか。惜しいやつを亡くした。それで成功したのか?」
「失敗しました。岩爺はあたし達を実力者と認めてくれてたけどできませんでした。実はその反動であたし以外は記憶喪失になっていたんです。きっかけがあれば思い出せますが……於兎は一部思い出して、咲耶と宇迦は失ったままです」
「失敗による記憶喪失はいくつか事例がある。いずれも一ヶ月以内に思い出しているから安心して良い。しかし失敗したのなら何が起きてもおかしくはない。それこそ討伐された九尾の狐が復活してもな」

 存亡の危機に直面して体が縮こまる。

「しかし本来の力は戻っていない。全盛期であれば一夜にして里は炎に包まれているからな。まずは差し迫っての脅威、九尾の狐の捜索・討伐だ。口寄せの術については解決してからにする。さあ、今夜より警備を強化する。連絡は密にせよ、一人で事を進めようとするな、身を守る準備は徹底的に行え。以上だ!」

【其の拾肆:背後から】

 今宵は新月。月明かりに頼れない今は己と同胞が放つ松明の赤い炎だけが頼りだ。

 ネムを加えた五人は固まって警備をしていた。これは岩爺の言いつけで、一人でいるより固まって動いていた方が勝手な行動はできない。さらに同程度の実力を持つネムを緊急時の連絡係として加えている。これで何事もなければ疑いの目は薄くなるだろう。少しでも疑われる要素をなくしていく岩爺の計らいだ。口寄せの術の使用については秘密裏に処理するつもりらしい。

 草木も眠る丑三つ時――過去も現在も未来でもこの時間には何かが起きる。この世で最も恐ろしい時間帯。この時間まで異変はなかった。

 見張り用の高台に到着した時だ。先頭を歩くのは宇迦とネム、そのすぐ後ろをシャオランと咲耶、最後尾に於兎という配置だった。高台から山を望む。暗くて輪郭線がぼやけている。いや、暗さだけではない。黒い靄がかかっているせいで山全体が境界線を失っている。

 ヒュン

 突如於兎を除く四人の頬を何かが掠った。驚きと同時にそれぞれ武器を構える。四人の視線は於兎に――於兎の背後に注がれている。
 少しでも反応が遅れていたら首を搔っ切られていたかもしれない。於兎は何が起きたのか分からず四人の急な臨戦態勢に目を見開いている。

 ヒッヒッヒ

 木霊する引き攣った笑い声。それは於兎の背後から聞こえてきた。

 於兎も振り返って武器を構える。

 里の灯りが見えなくなっている。

 くぇくぇくぇくぇくぇ……ケラケラケラ……キィヒヒィヒヒ

 声は五人を取り囲むように響いている。意識は完全に声に向いていた。

 トントン

 同時に肩を叩かれる。

 切り捨てる勢いで苦無を振るうも手応えがまるでない。それどころか姿を捉えることができない。

「於兎! 肩に……!」

 咲耶は於兎の右肩に向けて手裏剣を投げる。於兎を傷つけないようギリギリを狙う。
 グニャリと空間が歪む。それは人の手のように見えた。指先から手首までしかない、青白い手だ。
 追撃をかけようとしたしたが、手は音もなく消えてしまった。

 寸秒――五人を守るように数珠が囲んだ。玉と玉がぶつかりジャラジャラと音を立てる。
 先程まで響かせていた声は数珠の音に搔き消され、パンッと弾けた音を合図に数珠は持ち主の元へ戻っていった。

「おおーい!」 

 岩爺の声だ。高台に登ってくる。

「お主達の背後に黒い炎が迫っていた。大丈夫か?」
「黒い炎……?」

 声が揃う。高台に到着してから黒い炎なんて一度も見ていない。周囲が暗かったから見逃したのだろうか。いや、眩しいほどの炎だから見逃すはずがない。

「あの暗さは九尾の狐の策略だったのか?」
「内と外で見え方が違っていたのかもしれないね。そう考えるとあたし達すごく危なかったんじゃ?」

 五人は頷いて山を見た。山を覆いつくすほどの靄は少しもかかっていない。

「……あ!」

 咲耶と宇迦は同時に声を上げた。

「思い出した!」

【其の拾伍:一週間前の記憶】

「口寄せの術って故人も呼び出せるんだよな?」

 仲良くしていた忍者の訃報を聞いたその日の夕刻、いつもの女子会で宇迦はぽつりと零した。

「やったことはないけどね。あ、もしかして……」
「ああ、呼び寄せたいって思ってね。死ぬ瞬間を見たキツネ達が騒ぎ立てているんだ。このままだと危ないぞって。だからあいつを呼び出して何を見たのか聞いておきたいんだ」

 キツネは世界中のいたるところで生活しており、キツネを使役することに長けた宇迦は言葉を理解し、里の発展に役立つ情報を提供している。信頼のおけるキツネ達からの警報――数日前に那須の山で行方不明になり、昨日山腹で発見された。
 外傷はなく、寝ているだけのように見えたが、息はしていなかった。隠れていた病気もなし。そんな健康体が傷一つない綺麗な体のまま何故死んでしまったのか。

「獣が喰い荒らした形跡はなし、滑落したわけでもなし……大きな事件の前触れかもしれない。報告はしたけどすぐには動けないって言われたんだ。でも何かあってからじゃ遅いよな。みんなを守るためにも真相が知りたいんだ。何もなかったらそれはそれで安心できるしな」
「そうだね……。でもあたし一人の力じゃ故人は呼べないよ。於兎と咲耶も呼ばないと」
「よし、言いだしっぺのが私が呼んでくる」

 呼ばれた咲耶と於兎は二つ返事で了承した。

「確かに何があったのか気になるね。よーし咲耶、シャオラン頑張ろう!」
「でも故人を呼び出す口寄せの術は初めてよね。大丈夫かな……。私は不安よ」
「大丈夫だいじょーぶ! 私達に何かあっても宇迦がなんとかしてくれるよ。なんてったって私のライバルだからね! そうだよね宇迦!」
「於兎の言う通りだ。それに私が言い出したことだからねな、責任は取らないと」
「咲耶、落ち着いていこう。深呼吸するといいよ。不安が大きくなるほど失敗しやすくなるアル。あ、リーリーは宇迦の傍にいるようにね」

 リーリーは「了解!」と言うように大きく頷き、敬礼のポーズをとった。

「よし! じゃあ始めるよー!」

 三人は手を繋いで輪になり、呼吸を合わせて故人を呼び寄せた。

【其の拾陸:呼び寄せられた黒い炎】

 黒い光が駆け抜けた。思わず目を閉じる。少しだけ光が弱まった隙に目を開けると禍々しい黒い炎が目の前で揺れていた。距離を置く間もなく薄く開いた口に炎が吸い込まれていく。

 肺が熱くなる。熱い、あつい、アツイ、あツい。

 視界がぼやける。みんなの口の中に黒い炎が吸い込まれていく。呑み込んだ瞬間倒れていく。

 ――本物の九尾の狐の炎。そんな言葉が浮かぶ。

 ああ……ぼんやりする。何も考えられない。

 ……
 …………
 ………………

 気付いたらシャオランに介抱されていた。一体何があったんだろう。私は……。なんだろう寝起きみたいに頭がぼんやりする。


【其の拾漆:憑依】

「私は輪の外にいたからみんなの様子を見れた。四つの炎が現れて口に入ってきた……。熱くて熱くて体が焼き尽くされそうだったよ」
「私も思い出したわ。ふと天井を見上げたら黒い炎が降ってきたの。里の人達が見た異常現象、それって屋敷から放たれた炎だったのね……」
「たぶん、あの炎は九尾の狐の力……もしくは魂の欠片だな。今、私達はそれに支配されている状態なんだろう」

 悔しさを滲ませた宇迦の説明に顔面蒼白になる。

「え!? それじゃあ私達はみんな取り憑かれてるってこと?」

 衝撃の事実に於兎は項垂れる。

「背後に黒い炎が現れた時間は死亡時刻とほとんど同じだ。死体が発見された小屋から最も近いのはシャオランの家だな。おそらく寝ている間にシャオランの体内から黒い炎が現れて、たまたま近くにいたあやつを襲ったのだろう。シャオランが襲われなかったのは宿主だからだろう」

 岩爺の淡々とした説明に一同は身震いした。口の中に黒い炎が入り込んだ瞬間を思い出したせいか、体が熱くなる感覚が一気に湧き上がってきた。

「普通の霊魂であればこのような事態には陥らなかっただろうな。しかし運悪く九尾の狐に殺害された結果、魂を利用される羽目になってしまった。その魂を呼び寄せたからお主達は憑かれてしまったというわけだ。なに、落ち込むことはない。お主達は里を思って口寄せの術を使用したのだろう。結果として里を脅かすことになってしまったが、気持ちは否定されるものではない」

 岩爺は孫に対するみたいに優しく五人の頭を撫でた。ネムが「私は関係ないやん」とツッコミを入れて笑いを誘う。

「さあ、まずはお祓いだ。九尾の狐はまだ本来の力を取り戻しておらん。容易く祓えるだろう」

 里に戻り、ネムを除く四人は滅多に入らないお祓い用の部屋に通された。

「リーリーはここで待っててね」
「ウサギ達もここで遊んでて。すぐ戻ってくるからねー」

【其の拾捌:ネムの絵】

「よっしお祓いも済んだしこれで解決だね!」

 お祓いは一時間もしない内に終わった。四人は憑き物が取れたかのように爽やかな顔をしている。

「みんな、たくさん噓ついてごめんね」

 シャオランの謝罪に顔を見合わせる。

「気にしてないわよ。気を遣ってくれたんでしょう? 私はシャオランのその気持ちが嬉しいわ」

 於兎と宇迦が咲耶に同調するように「うんうん」と頷くと、シャオランは感極まって泣き出してしまった。

「それじゃあ全部解決したってことでええな? というわけで私の絵を見てや! 九尾の狐の炎だけどけっこう良い出来やないか? いやぁこれが口の中に入ってくるとか怖いわー」
「その口ぶりだと怖がっているようには見えないけど……」

 咲耶の言葉がツボに入ったのか、ネムはお腹を抱えて笑い出した。目に涙を溜めながら懐から絵を取り出す。

 描かれていたのはとぐろを巻いたヘビのような四つの黒い炎。これが里の上空に現れたらしいが里は描かれていない。ネム曰く炎の明かりだけが輝きを放っていて周囲は真っ暗だったとのこと。

 今にも動き出しそうな躍動感溢れる素晴らしい絵だった。

「ネム、この手は何?」
「手?」

 黒い炎の真下。おそらく里があると思われる場所に小さく手が描かれていた。死人のように青白く、ずっと見ていると動き出しそうだ。

「ううん? こんなん描いた覚えあらへんよ」


 小屋の庭。

 地面から生えた無数の青白い手は踊るようにばらばらと指を動かしていた。

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