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料理をするということ

自粛期間中に何もすることなくて、料理が苦手な母の代わりに晩ご飯を作っていた。

私の家庭は共働きなので、幼い頃から平日は祖母が、休日は母が晩ご飯を作ってくれていた。私が大学生になると、祖母がボケてきて豚肉料理しか作らなくなってしまった。大学生になり夜に外出する機会が増えたので、今まであまり気になっていなかったが、コロナが流行り始め、晩ご飯を家で食べるようになるとエブリデイ・ポークが苦痛になってきた。

コロナが本格的に流行り始め、緊急事態宣言が発令されてから、母が平日も晩ご飯を作るようになった。得意料理が「鍋」の母にとって毎日違った料理を作るのが苦痛になったのか、一週間たらずで弱音を吐き始めた。

そこで料理担当が私に回ってきた。
料理は好きだったし、『晩ご飯』という本格的な料理を今まで作って来なかった私にとって、料理は良い暇つぶしになった。世間がダルゴナコーヒーとかバナナケーキを作っている中、肉じゃがや豚バラ大根など渋いモノを作っていることに、なんだか優越感さえ感じていた。

娘が晩ご飯を作ったことが嬉しいのか、母も父も「美味しい」といって食べてくれた。照れ臭かったけど、私も嬉しかったからそれがモチベーションになった。

毎日、”作ったことが無いモノを作る”ことを目標に、クックパッドのお試し会員に登録してせっせと作った。作ったものは、スケジュール帳の後ろのページに絵を描いて記録もした。なんだか生活が豊かになった気がした。




社会が半年前の状況に戻ろうとしている今、私は18時30頃になると台所にたつ。もうクックパッドのお試し期間はとっくに過ぎた。
記録もとっくにやめた。
先週も作ったような料理を、いかに早く作り終えられるかだけを考えている。

ただ焼くだけの豚トロに嬉しさを感じ、Cook doのラクさに感謝する。

「なんで私が今日も作らなきゃいけないんだろう」と思いながら台所にたつ。
そして、母や祖母に同情し、台所に一切立ったことのない父に怒りを感じる。

あの時は、祖母が作る料理に文句を言っていた。得意料理が「鍋」の母を卑下していた。あの時の自分がもしポテトサラダのニュースを聞いたらおじさんと同じことを思ったのだろうか。


お湯を入れるだけのカップ麺。コンビニ弁当。出来合いのデパートの惣菜。

この世には便利なものが溢れている。毎日それでいい。気分が向いた時だけ料理を作ればいい。いや、なんなら外食すればなんでも食べられる。


それでも、毎日料理をする。
これが習慣というものなのか。
今日の家族全員の「晩ご飯」の責任が私にかかっているからなのか。




そんなことを思いながら、18時30に今日も私は台所に立つ。




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