障害者ということ

私は生まれた時からずっと生きづらさをかかえて生きてきた
周囲の人に勉強や会話でついていけない
コミュニケーションがとれない
大人になってからは仕事が覚えられない
仕事が出来ない
頑張ってついていこうとしてもついていけないし
とても疲れる
社会常識が理解できない
それがどうしてなのかもわからなかったし
考える能力もなかった
だからずっと生きづらいまま生きてきた
自分が生きづらい事にも気づけずに
今の病院にきて院長先生に私は知的障害だよと言われて
検査を受けて
自分が知的障害とわかって
私がどうして今まで生きづらくて
人生もたくさん失敗してきたのかがわかった
知的障害者という事は私にとってマイナスな言葉ではなくて
自分の中の生きづらさの理由をすべて受け止めてくれる言葉になっている
私が知的障害者では無いのなら
今と今までの生きづらさの原因は何処に向けたら良いのでしょうか
今は知的障害や精神疾患を理解してくれる人に囲まれているから生きづらさは少し減ったかもしれない(一番身近な家族が理解してくれていないが)
でも今健常者の中に放り込まれたら私はついていけるでしょうか
自分が知的障害者という事は私にとって安心と納得をさせてくれる大切な言葉になっている
私に対して知的障害と思わない
普通だよという事は私を不安にさせる言葉でしかない
普通なら
どうしてこんなに生きづらいの?
またこの理由探しに戻されてしまう
確かにこうやって自分が書きたいと思うことに時間をかけて文章を書くことは苦手では無いし
自分で読み直しても上手に書けていると思う
ただそれは長い時間をかけて書いた文章だから
これをフリートークで話せと言われたら到底出来ない
時間をかけて文字で会話出来る
文章が書ける
配慮して話してくれる人とならゆっくりなら会話が出来る
それを普通と言えるのか
健常者の会話のペースには到底ついていけないし
話しを理解することも出来ない私は普通なのか
小学校低学年以下の学力
理解力しかない私が普通なのか
普通と言われる理由がわからない
普通と言われるのが怖い

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