”数学”と”国語”の本質は実は同じかもと思った話

必要に迫られて、ちょっと今中学生の数学を学び直すことになりました
既にうっすらバレてそうな気がしますが、私は学の無いお馬鹿でして、5教科で一番苦手だったのが数学

算数の段階でダメ過ぎて、高校受験の時、文章問題しか解けなくて、せめてそこだけでも、と頑張ったのに、何故か受験の年に文章問題を1問減らされて涙目になった悲しい過去があります(バカ高だったので受かったけど)

そんな私の数学ですが、図書館で見つけて借りてきた数学勉強本を読んだら、今まで抱いていた数学のイメージがひっくり返りました

算数と数学が似て非なるものだなんて、考えもしませんでした

算数では計算の正確さが、数学では論理の正しさが求められているとの事

いわば問題を読みとり、解答を得るまでのアプローチ、論理(考えの道筋)や問題解決力を学ぶ、鍛えるのが数学

思い返せば中学の数学って証明問題や図形の問題、解答へのプロセスが重要な問題が多かったような、とはいえ中学時代の私はその道筋が全く見つけられなかったのでひどい有り様だったわけですが

計算は未だに壊滅的にダメ(暗算出来ない、3桁の引き算無理、未だに繰り下がりが理解できない)なので算数は諦めたけど、これなら私でもできるのではなかろうかとほんの少し希望が見えた

この本では現代に生きる私達には”独自の視点で本質を見抜き、筋道を立ててそれを他人に説明できる力”こそが必要と述べられています

”人に説明できる”というのは難しく、相手に合わせ、内容や言葉を選び、自分の持つ知識やイメージを相手に伝わるようにしないといけませんよね

ここで記事を描かれてる方はご存知だと思いますが、ブログで分かりやすい文章を書くのもめちゃくちゃ大変です、文章などを読み取る読解力や、自分の考えなどを相手に分かりやすく伝える言語化力の大事さを痛感しています

…って今は数学の話してるはずですよね?
”読解力”も”言語化力”も国語の力だと思うのですが、この本の序章を読んでると、なんでか国語の話をしてるように見える不思議

 しかし、本当は印刷された解答の行間には泥臭い思考の過程があります。ですから教科書や問題集を読む時には、詩を読むような感覚で「行間」に注目することが大切です。回答者がどのように発想して、どのように解答に辿り着いたかを想像するのです。
 数学においての解答の「行間」を読むことを意識せざるを得なくなる魔法の言葉があります。それが、
「なぜだろう?」
です。

出典:永野裕之  / 大人のための中学数学勉強法  仕事と生活に役立つ7つのテクニック

…もうこれ国語なのでは(いや、違うから)

「行間」というのはよく小説を読む時などに言われることが多い言葉というか、文字や文としてはっきり描かれていない事を読み取る力と自分は解釈してますが、小説を読んでると、「今日は6月○日です」と描かれていなくても、今は6月かな、初夏かなとか分かるヒントは案外色々描かれているものですよね

国語同様、数学も問題文や図形の奥にあるもの、小説などにおける行間を読み解く”読解力”が必要で、解答を導くために”イメージ力”が必要になるという事なのでしょう

という事は、国語は小説等の行間を読み、登場人物の心情や状況、情景などをイメージし、言語で出力するけど

数学は問題文や図形の行間を読み、設問の中で起きていることを読み取り、イメージし、その解決への道筋を探し、解答として出力する

解答へのアプローチや出力が違うだけで本質は同じなのでは?

とはいえ、その解答までのプロセスとその導き方が全く違うし、別の物を求められるので、やっぱり違うものではあるのだけど、全く意味がわからない物として捉えていた数学が国語に近い部分があるという事が分かっただけでも、頑張れそうな気がしてきました

とはいえ、負の数の計算を学んでる段階で集中力続かなくて涙目ではあります
とはいえ、学生時代全く意味がわからなかった負の数の計算が「そういうことなのか」ってうっすらとでも理解出来たのは凄いことだと思います

パラッとページをめくった時に二次方程式の
グラフとか図形問題や分数が見えると拒否反応が起こるのなんでだろう?

中学数学の苦手が克服できる日が来るのか
あとこの本、練習問題や問題集はないので、問題ドリルなどは別に買ってきた方がいいです
アウトプットしないと身につかない質なので、中学生用の問題集買いに行かねば

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