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絵の練習の「情報過多問題」と「頑張っても上達しない問題」を紐解く仮説3つ

前々回の記事で自分の”観察”に近い考えを、分かりやすく言語化された記事を見つけて嬉しくなった話を書いたのだけど

実は「イラスト 観察力」で検索すると、真っ先に「観察力なんて無い」的なタイトルの記事が出てきたりする

ざっくり読んだ所、観察して、数値化できるような情報が入ってくるなんて幻想、大事なのは経験と知識、結局人は描いたものしか描けないから、描きたいものをピンポイントで描くこと、みたいな感じだったのかな…(解釈間違ってたらすまん)

noteだったので3桁のスキがついてるのを見て「自分と考えは合わないけど、この記事そりゃ評価されるよね」と妙に納得してしまった、だってこの言葉を言って欲しかった人結構いるよなぁ

もしかしたら、こういうのががお絵かき練習情報過多問題の根幹にあるのではないだろかと気がついたので、ざっくり3つの仮説を立ててみました

とにかくお絵描き練習法に関しては情報過多なうえに真逆の意見が同時にまかり通るカオスで、言葉だけが独り歩きして解釈がバラバラすぎて何を信じていいか分からない

それを複数の仮説で紐解いてみようというのが今回のお話


仮説1:答えの見えない問題に自分に都合の良い解答(言葉)を求めて、視野が狭まる

絵の練習は同時に複数の能力を上げたり、学びを得ないといけない、だからその練習で何が身につくのか、自分のしたいこと、足りない物を埋めるのに何をすれば良いのかがものすごく分かりにくい

だから自分のやってる事(練習)が正しくて、効果があるのか、皆不安なのだ

だから自分の不安を払拭する都合のいい言葉が欲しい

模写を頑張っても全然上達しないなら「模写はムダ」という言葉と理由を語る記事が欲しい

クロッキーが難しいし、やりたくないから「クロッキーをやらなくても上手くなった人がいる、やらなくてもいい」理由を知りたい

本当はその人に一番必要なのは「この練習の本質は○○で、自分はここを理解せず練習していたから上手くならないんだ、そのために何が必要か」って言葉なんだけど、それに見向きもせず、自分に都合の良い言葉を沢山集めて思い込みを強化して、武装する

観察力が大事だとか言われても、ちゃんと見てるし、自分に何が足りないか分からない、本当はその”足りない物”を探すべきなのに、そこに至る道筋が見えないから、「観察力なんて無い、幻想だ」というより分かりやすい言葉に飛びついて、問題の本質を見失う

本質を見失っている限り問題は解決する事も無く一歩も先に進めない、それが新たな答えの見つからない問いを生み、それを埋める都合の良い言葉や解釈を求めることを繰り返す

自分が捨てた問題の本質、先に進めない現実という強大な的から目を逸らし続けるために”武装”するのだと思う

絵の練習について色々調べてるとモヤモヤやストレスを感じる事が多かった理由は”視野が狭い人が多すぎる”事にあったんだろうと今は思う

仮説2:上手い人、上達が早い人がその理由を自覚しづらい、言語化しづらいから、他人が言葉の”上っ面”だけで解釈するから、ズレる

とにかく絵の練習はなんのためにその練習をしているのか、きちんと身についているのか分かりにくい

それは逆に上達の早い人、上手い人にも言える事で、そういう人達もまた自分の頭の中で何が起こっているのかを自覚し、言語化する事が難しい

それ故に上手く伝わらず、周りが、言葉の上っ面だけを見て解釈しようとする

その上自分の都合の良い解釈を探している視野の狭い人間が多いのだから、言葉の意味を考えるよりも、自分の都合の良いように解釈をする事が優先されるのは当然で、それぞれに都合の良い複数の解釈に惑わされているうちに、言葉の本質は消え、言葉だけが独り歩きする

観察力の問題で言えば、絵の観察力という言葉には大きく2つの解釈がある

2024年6月14日追記と訂正
一つ目の観察の解釈は観察力より洞察力の方が近いのではないかという指摘をいただき、自分が洞察の意味を理解してなかった事に気がついたので書き直しました

一つは、絵にかかわらず、問いや物事の本質を知ろうとする”洞察”の為の観察

二つ目は、模写やデッサンの時に、描く対象を見て、絵を描くために必要な情報を得るための力

前者の”観察”は、絵を描くために本質を知ろうとする”洞察”の為のトリガー、前段階で、その先に繋がることが前提であり

後者の”観察”はその工程のみで先に繋がらない

「観察力などない」と謳った記事は後者の観察の話で、その記事にスキした人もまた後者の観察しか知らないのだろう

ただ”観察”という言葉だけで解釈するからこういうズレが起こるのだ

そして自分自身も洞察という概念がすっぽ抜けてた為解釈ズレを起こしてしまったわけで、自分の考えが間違ってるかを疑ったり、指摘や違う考えを受け入れる、柔軟性などは本当大事ですね、本当ごめんなさい

さておき、私なりの解釈でいうと、観察力が高いというのは、物を見る時に”気づきスイッチ”を沢山見つけられるかなんだと思う

この間自分の”観察”を考えて気づいたけど、観察で気づきを得るだけではダメ
「これはこうなのか、なるほど」だと分かった気になっただけで先に続かない

「これはこうなのか、だったらこれはどうなの?もしかしたらこの時はこうなるのかも…?」と次へ連動させて、観察結果と仮説をまとめたり、分類して方程式を作って、始めてその観察を活かすこと出来るのでは無いかと思う

観察が次に続かない、他と連動せず、比較や検討のためのカテゴライズも出来ない、”独立した観察結果”しか出来ないから、描いたものしか描けないから、描きたいものがあればピンポイントに描く経験が必要、という理論が成り立つのだと思う

仮説3:絵は芸術だから、勉強などの他の事では通用しない理論も成り立つんだという思い込み

絵の練習法を調べて、しんどいと思ったのは、勉強や仕事などに照らし合わせると、全く通用しない、おかしな常識がまかり通ってること

模写やクロッキーを、とにかく数をこなしていれば、ある日突然分かる日がくるとか

コレを勉強に例えて、とにかく答え合わせや復習をせずに、ひたすらドリルを解き続ければ、ある日突然問題の解き方を理解できるようになる

これを教師に言ったら、大抵の人は怒って説教が始まるだろうし、他の生徒も呆れるだろう

正直、基礎力を上げることに関しては勉強も絵の練習もそこまでセオリーは変わらない

でも絵は芸術だから、勉強などでは非常識と言われることが常識になってもいいのでは
だってアートは感性だし、天才の感性には常識が通用しないし、と思ってしまうんだろう

そもそも自分に都合の良い解釈を探してる時点で、表面的なものしか見ようとしてないし、そんな人が、天才的どころか、自分なりの感性やセンスを磨ける土壌が出来ているかは疑問なんだけど、そこはさておこう

あと、「ひたすら数をこなしてたら、分かる日が来る」って話って3つの仮説のハイブリッドの典型だと思うんですよね

この言葉の本質を推測すると、この「数をこなすもの」は模写やクロッキなどの練習ではなく、実践の”絵を描くこと”だと思われる

絵を描き続けていたら、ある時に解像度が上がる、何かをつかめたと感じる瞬間が来る、そういうことなんだと思う

ただ「解像度が上がる」は自分は意識のアップデートが行われる事だと思ってて、それには気づきスイッチの蓄積が必要で、絵を書き続ける中で、無意識のうちに気づきスイッチが蓄積されていく、けどそのスイッチや観察結果や仮説が独立して他と噛み合っていないパズルのピースのような状態で、バラバラだったピースが噛み合い、それを知覚できた時、アップデートが起きて「解像度が上がる」

ただそこに至るプロセスとそれぞれのピースの内容を自覚できないから、「突然何かを掴める感覚がきた」と思うのだ

逆に言うと、そのピースをきちんと分類、管理し、上手く当てはめることが出来れば、意識的に、早く、その状態に持っていく事ができるはず

何の為にやっているか分かってない練習の数をこなしても、気づきスイッチは見つけにくい、それでも0じゃないから、いつかは来るんだろうと思うけど、そのいつかは何年…十何年後かもしれない、でもいつか来ると信じてるうちは手を動かし続けられる、けど無意味な練習に明け暮れるのはとてもしんどい

数をこなしたらいつか報われるという、上達するために自分に足りないものを探すことを放棄した人が、目をそらすため都合の良い解釈をして言葉が独り歩きし、普通に考えると通用しないと知りながら、芸術だからと言い訳して、成り立たせようとする

絵は何のためにその練習をしているのか分かりづらく、自分の足りないもの、抱える問題を解決するためのヒントを得るのが難しい

だから、自然にそのヒントを得て、自分なりの正当な道選択し、進んでいける人とそうでない人で大きな差がついてしまう

そして、そのヒントを探し、問い続ける事を放棄してしまうと、問題から目をそらし続ける為に自分に都合の良い解釈を求め、その人それぞれに都合の良い解釈が広がった結果、今のお絵描き練習法の情報過多とカオス化があるのだろうと思う

頑張ってるのに、自分より練習してるようにみえないのに、速いスピードで上達する人がいる、あの人は才能があったんだ、私とは違う、と嘆く前に自分の思う絵の常識を疑ってみたほうがいいと思う

誰だって報われない努力ですり減ったりなんてしたくないよね

まぁ絵の練習より文を打ってる時間の方が長い自分もどうかとは思うけど、言語化したい事がありすぎて、絵の練習する時間がないという、この言語化が絵に必要だと思ってるから頑張ってるけど、自分自身も正直本末転倒じゃないか不安ではあるんだ

今の所言語化したいテーマは
「絵柄が古い、という言葉がよくわからない」

「描きたいけど、表情やポーズが思いつかない、という悩みの裏にあること」

「初心者が持っていたらすごく便利なスキル”面で捉える”で出来ること(他の記事にチョロっと書いているのでまとめ)」

「私の練習法、クロッキー+2について(これもまとめ)」
「目的と必要な手段を絞れば、ドン引きしちゃう位効果の出る練習もできる、という話」

「アナログ絵描きとデジタル絵描き、考え方の違いを考察(両方やってる方も含む)」

「私の観察法について、大人の塗り絵民が考えた”洋服のシワの出来方”についての考察」
模写しないと、描かないと覚えられないというけど、模写を一切してないお絵かき練習前に観察、仮説で服のしわのつきかたを理詰めである程度推察しようとした自分の経験の話

…多くない?
いつ絵の練習するんだよ!
絵の練習を始めたせいで、小説を書く羽目になりそうなんですけどぉ…

そろそろ長文打つのがしんどいので、壊れたパソコン買い直したい…




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