短文SNSで読解力が落ちるとは? 読解力がないとどうなるか考えてみた

最近、いろんな物事に興味を持って調べたり、本を読んだり、考えたりしているのですが、全く違う分野に思えるジャンルの本の内容と本質的に繋がっていると感じたり、同じことを言っている記述を見つけたりする事が多く、それが新たな視点を見つけたり、新たな興味の発見や、面白さを見出す事に繋がってると思っていて

その繋がりの下地になるのが”国語力”なのではと考えているのです

国語力と一口に言っても色々あると思うのですが、今回は”読解力”ついて、自分が経験して考えたことなどを踏まえながら考えていきたいと思います


読解力、とは簡単に言えば”文章を読み解く力”
といっても、文章だけではなく、他人との会話などで相手が何を伝えたいかなどを理解しようとする力でもあると思います

この能力は才能ではなく、習慣なので鍛えられるもので、逆に習慣によって能力が落ちていくこともあるんです

自分の話なんですが、少し前に数学の学び直しをしていて、その時問題文がなかなか理解できなかったんですね、自分自身は国語が得意だったからこそ衝撃や疑問が大きく、元々あった能力が落ちているのか?自分に何かが足りないのかを考えてるうちに

最近”文章を読み飛ばしている”事に気がついて唖然とした経験が何度かあった事を思い出し、読解力が落ちているのかもと気が付き、色々本を読み始めたりなどしていています

実はこの読解力という力は、能力が劣っている、低下している事を本人が自覚しにくいのです

読解力が無い人はなんで文章や話を読み取れないのか、読解力が無いと何が起きるのか、自分なりに調べてみたのですが

読解力が無い、低い人は長い文章の一部だけよんで”分かった気になって”いるようで、全体の内容や書き手や相手が言わんとしていることを理解できないのだそうです

私は数学の問題文や説明がなかなか理解できない、文章を読み飛ばした経験から、自分の読解力の低下に気がつくことが出来ました

ですが本当に読解力の無い人は”理解できてないのに、分かった気になっている”ので、自分が本当はそれらを理解していないという事に気が付きません

読解力がないと社会で生きていくのは大変になるいうこと


そもそも読解力が無いと何が起きるのでしょうか

読解力が無いと、文章や人が話している言葉の内容や、書き手や相手が何を言いたいかを理解できません、そうすると

国語だけでなく、数学や社会など様々な教科の教科書や参考書の文章や板書、授業をしている先生の説明の意味をきちんと理解できず、試験の問題文も理解できないので勉強が苦手になったりします(暗記や計算は別ですが)

大人になって新しい事を始めようと思い、それに関する本を読んだり、教室に通っても、学生時代ほど砕いて説明してもらえず、理解できずにやめてしまう

仕事のメールや資料の内容が理解できずに、何度も聞いてしまったり、読むのに時間がかかったり

上司や同僚の指示や言葉がちゃんと理解できず、間違った作業をしたり、ミスやトラブルを引き起こし、仕事が出来ない人と判断される可能性があります

人と会話していても会話が噛み合わず、相手を苛つかせたりします

読解力がないと他人に負担を強いたり、他人を苛つかせたり、不快にする、自分自身も不利益をこうむるわけです

友人、知人なら何も言わずに距離を置いてしまうだろうし、親しい友人や職場の上司などがそれを指摘したり、説教をしてくれる事もあっても、本人が”何故自分が説教されているのか””相手が何に対して怒っているのか”が理解できないので、反省や改善ができず、職場の人間に「この人に仕事を任せられない」と判断されてしまう、という事が起こり得るということです

人が何かを知ろう、学ぼうとする時に、本や書類を読んだり、他人の説明や話を聞くことを避けるのはとてもむつかしい

そして社会の中で他人とのコミュニケーションを取らずに生きていくのは非常に困難です

それらの為に必要な力が欠けていることは、社会の中で人が生きていくのに大きなハンデとなりますし、逆にその力があれば、色んなことが出来、快適に生きていけるかもしれない、という考え方もできますね

読解力の無さの問題が一番深刻なのは、これだけ重要な力でありながら、それが無い、低い事を本人が自覚しづらいという事

自分が劣ってる、という事に気がつけなければ、工夫したり、鍛えようという発想そのものが生まれないし、それで起きる問題解決の糸口すら見つけられません

自身の読解力の無さが原因で問題が生じても原因と改善方法すら分からず、積み重なる複数の問題に、原因不明の生きづらさを抱えながら辛い思いをして生きている人はとても多いのではないでしょうか

何故読解力が低下するのか、考えてみる

私が調べてみた所、読解力が無い、低下する原因は
読書の習慣がない
長い文章を書かない
なども挙げられているのですが、最も大きな要因として言われているのがSNSやインターネットです

SNSやネットに関しては自分や他人とのやりとりなどで思い当たる節が多くあるので、その話を交えながら考えていこうと思います

画像&短文SNSを長時間利用すると読解力が低下する理由

自分が最初思っていたのが「情報過多」によるもの、だと思っていたのですが、どうにも”どういう投稿するか”にも読解力の低下に影響するようです

SNSで大量の情報に触れ続けることで、読解力だけでなく、思考力や判断力が低下する

私はSNSはX(Twitter)のみしかやっておらず、今は閲覧専用として利用して発信はしていないのですが

何年か前、期間として一年ほど、ある程度積極的に人と繋がっていた時期がありまして、当時のフォロー、フォロワー数は最大で140人程でしたが、タイムラインを毎日見るにつれ、大量のポストと、その中でも自分が読みたいものより圧倒的に多い、興味のない情報に触れ続ける事に疲れてしまいました

その辺りからなんだか思考が前より上手くまとまらなくなってる気がして、検索したりして原因を調べてるうちに、情報過多シンドロームというものの存在を知り愕然とした事あるんですね

情報過多シンドロームをざっくり説明すると[膨大すぎる情報を処理しきれず脳がオーバーフローを起こしてしまう]事なのですが

人間の脳ってそこまで大量の情報を処理できるように出来てないようで、膨大な情報に触れそうな時は勝手にざっくり捉えるモードに変更したりするらしいのです

大量の情報の断片が流れてきても、それをいちいちしっかり理解するなんて出来ないので、重要そうな所や興味ある所だけを読んだり、全体をざっくり捉えようとしたりするわけです

長時間もSNSのタイムラインなどで膨大な情報に触れ続けていると、脳は疲れ切ってしまうのですが、筋肉痛と違って脳の疲れは精神的なものと捉えて自覚しにくい事もあるので、脳のSOSに気が付かぬまま、脳が疲れ果ててる事が当たり前になり、心の健康すら損なうというケースは意外とあるように思えます

あと情報を得るって刺激になるので多少の快感を得られるんですね
脳が情報を処理できなくても、情報を入れておきたくなるような情報中毒的なものになったりします(自分は現在その兆候があり、なんとかしようと試みてます)

脳の話を差し置いても、人と面と向かって話ししても、上手く伝わらない、話がすれ違う事が多々あるのに、そんないい加減な読み方で相手の伝えたい事を正確に把握出来るなんて出来るわけ無いんですよね

たった2、3文字の接続詞や助詞を読み飛ばしても文章の意図が大きく変わってしまうのですから、内容を理解しながら読み飛ばす事がいかに難しいかは想像つくと思います

頭に浮かんだまま、考えずに文章を投稿することで失われるもの

Xみたいな短文SNSには驚くほど、短く、内容の薄い投稿をする人が結構いるんですよね

「おはよう」「明日は休みだー」「〇〇ちゃんかわいい」とか、あと他人の投稿を引用して、「これいいなぁ」「面白いね」みたいな一言だけの投稿
気持ちは分かるけど、わざわざそれだけ投稿する理由あるかな、と自分は思ってしまうんですが、これは序の口

「怖い、怖い、怖い#(番組名)」「え、どういう事?#(番組名)」とか、テレビを見ながら実況感覚で書いてるツイートとか、この瞬間観てる人しか理解できないし、時間たったら本人すら頭をかしげちゃうような投稿も目にする事が意外とあるんですよね

そういう投稿って毒にも薬にもならないし、ある程度微笑ましく流してたんですが、その認識が甘かったと今は感じています

中身のない短い投稿をする人ってちょっと言葉が足らないだけでなく
「伏線や前後の話の完全に読み飛ばして、一つのシーンや出来事だけを捉えて、批判的な感想を投稿する」

「説明しても、全くかすらない斜め上の解釈で噛みついてきたり、説明しても話が全く噛み合わない」

というトラブルを引き起こす可能性があるのでは、とそういう投稿していた人とのトラブルに自分が遭遇して始めて気づきました

一概には言えませんが、これらの行動の原因は「ストーリーやセリフの内容が理解できていない」「相手の投稿の内容と投稿者の意図を理解できてない」、読解力の低さにあると思われます

頭に浮かんだ言葉をそのまま投稿することで失われるもの

先ほどふれた「明日休みだー」のような、内容と文字数が少ない投稿はどういう考えでやっているのでしょう

おそらく何も考えていない、ただ思ったことをそのまま投稿しただけではないでしょうか

人と会ったり、電話などで会話している時、何も考えずに、思いつくまま脈絡なく話していると「何言ってるの?」「いきなり話題が変わると困るんだけど」言われたり、困った顔をされるかもしれませんが

返信がない限り一方通行のSNSはそんな反応を気にしなくて良い分、気楽に思いつくままに投稿出来ると思っているのかもしれません

ですが、画面の向こうにいるのは人間です。本当は対面で話す時と同じく、読む相手や伝えたい事を考えなければいけないのですが、SNSは基本一方通行なので、読み手にきちんと伝わってるか確認できませんから、これでもコミュニケーションが成立すると勘違いして考えることをやめてしまっているのでしょう

そして読む側としても、投稿する時と同様に考えず、文字だけを読み取って、分かった気になっているのだろうと思われます

この”考えない”という事こそが一番の問題

何かしらの考えや、想いがあり、それを使えるために人は文を書き、言葉を話すのです

考えずに言葉を発する、投稿すること当たり前になれば、その逆も然りで、人が考え、何かを伝えるために言葉や文字を使ってるという、コミュニケーションの大前提すら気付けない、または忘れてしまうのではないでしょうか?

字数制限のあるSNSで文章力は鍛えられるか

自分の話になるのですが、私はnoteやTwitterをする前にもブログをやっていまして、その時は今のような記事ではなく、読んだ本の感想や好きなゲームの話などをする日記を書いていたのですが、要点をまとめるのが苦手でダラダラ長い文章になってしまうのが悩みでした

字数制限のあるTwitterなら要点をまとめる練習になるのではと思って始めたのですが、そうはなりませんでした、むしろ悪くなりました。
その理由をいくつか上げてみます

短い字数で書くために、言葉を省略する事でより読みづらくなる

編集出来ない、下書き出来ない、あるいは制限があるので、短時間で書いて投稿しないといけないので、じっくり文章を考えて投稿しづらい

短い字数の中で、分かりやすく伝えるため、説得力を持たせるための、具体例や根拠を入れる余裕がなく、結論や主張しか書けない

140文字で分かりやすく、内容のある文章を書くのって無茶苦茶難しいです

最後の「結論や主張しか書けない」は丁寧に説明が出来ない分、主張や結論の強さだけが伝わります
また誤解も招きやすく、問題を生みやすい、SNSが炎上しやすい理由にもなっているように思います

そもそも、その”結論”や”主張”を伝える、理解してもらう為に具体例や根拠を書いたり、示したりするのです

あと、具体例や根拠を交えて、伝わりやすく文章を考えるのは、読者の為だけでなく書き手の為でもあります

他人に伝わるように考え文章を考えていくうちに、より理解が深まったり、新たな視点や発想、次に繋がる問いを得たり、他との関連に気づけたり、書く(描く)という行為は頭の中にある曖昧なモヤモヤしたものを具現化する行為でもあります

前述のような良い発見もあれば、書いてる途中で「あれ…この結論もしかして成り立たないんじゃない?」「この結論ちょっと強引になりそうだぞ」と元々の主張や結論の問題(主に論理破綻)に気が付くことが出来ます

短文SNSでは自分の主張や考えの結論を、深堀りもせず、そこに至る経緯すら示さず、分かりやすく伝える事もせずに投稿するから、極論や論理破綻になりやすく、強くきつい印象を与えて揉める原因になるのは推察できます

そして、伝わるように文章を考える事は、自分の頭の中にあるモヤモヤとした形のないキモチを自分が理解する為の行為でもあるので

言い換えれば、それが出来ない、する習慣がないと、自分の気持ちに鈍感になり、そして他人の気持ちにすら鈍く、感じにくくなってしまう可能性があるということでもあります

前後の話の流れやキャラのセリフを無視して、批判的な感想を投稿する人達に起きていること

これは自分が見ていたアニメの感想の話なのですが

まずA君、B君、C君がいて、A君は今自分たちが戦っている敵に自分の家族が関わっているのではという疑念を抱いていましたが、仲間のB君とC君にはその話を出来ませんでした

そして、戦闘の最中にその疑念が確かなものとなり、動揺したA君は動けなくなり、敵を倒すチャンスを逃し、そのせいで街に被害が出て、B君の大切な人であるDさんが巻き込まれ、緊急搬送され、現場が混乱しておりDの怪我の具合等の情報が全くわからない状況です

戦闘が終わり、部屋に集まった3人はDの話を聞いたあと、B君とC君はA君を責めます
敵に自分の家族がいるのではないかという疑念を抱いていた事を「何故言わなかったのか」「君がきちんと話を共有していれば、違う対処ができたはずだ」と

このシーンでB君の行動は問題があったでしょうか?(C君に関しては話がややこしくなるので省きます)

私はその話を観ていて、B君の行動は妥当だと思いました
だって、大事な人が緊急搬送されて、安否が分からない、そんな状況で動揺し、余裕を失い、他人を責めたり、きつい対応をしてしまうことなんて大の大人でさえやってしまう事です

問題がデリケートでA君が二人に言い出せない気持ちも理解は出来るのだけど、仲間として信頼関係があるからこそ、疑念を抱き悩んでたAが何も相談してもらえなかった事が悔しいし

実際、きちんと二人が事態を把握出来ていれば、上手く対応し被害を防げた可能性があり、A君の行動に問題があり、今回の被害の要因にもなったとも言えるわけで、怪我人が出ている以上、なぁなぁで済ませることは出来ず、A君に責められるだけの理由はあるんですよね

ですが、なんとなく他の方の感想しりたいなと、Xでタグ検索して感想を見てみたら、きちんと今までの伏線や描写を読み取って感想を述べてる人も結構いたのだけど、それより圧倒的に多かった感想が「A君が辛い思いをしているのに、なんで二人がA君に優しくせず、怒っているのか分からない」「あいつらキツすぎ、友達じゃない」「A君のつらい気持ちを汲み取ってやれよ、二人ともクズだわ」「二人共なんでA君に優しくしてあげないの?」だの”つらい思いをしてるA君がB君とC君に責められてる”出来事だけ見て書いたであろう投稿が出るわ出るわ

「A君の気持ちを汲んでやれ」というならB君の気持ちも汲んでやるべきで、そうしたらそんな状況じゃない事位想像がつくはず

街に被害が発生し、怪我人が出ている、そしてA君の行動がその要因の一つになっているし、仲間の信頼を裏切ったともいえる、そんな状態で「誰も悪くないよ、ドンマイ」と優しく済ませられる状況ですらない

そもそもDさんが巻き込まれたシーンはA君が責められる1分位前にあるし、Dさんが緊急搬送されたシーンも例のシーンの数秒前、二人の怒りの理由もきちんとセリフにある

自分が言及しているシーンの1分以内のシーンやそのシーンのキャラのセリフ、それすら理解できていないって事なの?

…そういう人がいない…とも言い切れませんが、「どうしてそうなった?」と叫びたくなるような曲解には、思い込みや認知の歪みが根底にあることが多いようです

要するに、他人と会話をするとして、本来は相手の話を聞き、言い分を理解したうえで「私はこう思う」と考えるべきなのだけど、相手の話を聞いてる途中に「この人はこう言いたいのだろう」と決めつけてかかっているて、解釈に都合の悪い部分を聞き飛ばしたり、都合の良い補完をして話しているので、相手の言い分とは全く異なる解釈を前提として話しているので、全く話が噛み合わない、そういう事が起きていいるということ

自分の見たアニメの感想で考えると、A君が今戦ってる相手が自分の身内だという事実を知り(ロボアニメだと操縦者の姿が見えないのでその手の展開は多い)動けなくなった

そんな彼を仲間の二人はA君を励まし、立ち上がったA君は敵になった家族と向き合う覚悟を決める、そんな展開になると想像していた視聴者が多かったのだろう

だが実際はそんな展開にはならず、先の展開を思い込んだ故に多くの描写やセリフを読みとばしてしまい、きちんと作中で提示されているはずの仲間の怒りの理由や行動が理解できず、批判したと考えたら、まぁ納得は出来るのかなぁ(個人的な感情としては許せやしないけれども)

例えにもあるように、これはTV視聴だけでなく、日常で起きる”読解力の無さ”が引き起こす一番の問題にとても近い

相手の話をちゃんと聞かずに曲解するのも、相手の話を聞いても理解できないのも、それによって引き起こされる問題や、相手に抱かせてしまう悪感情はさほど大差がない(辛抱強く説明すれば理解できる可能性があるだけ後者の方がマシな位か)

どちらにせよ、相手を不快にし、多くの問題を引き起こし、自身への信用や好意を失う事になりかねず、記事の最初の方で述べた「読解力がないと社会で生きていくのが大変になる理由」を見れば明らかです

読解力が落ちる理由を5つまとめてみた

だいぶ話しが長くなってしまいましたが、これまで語った「読解力が落ちる理由」として考えたものをまとめてみます

  1. 大量の断片的な情報に触れずぎて、ひとつひとつをじっくり見ていられず、ざっくり内容を捉えようとして読み飛ばしや勘違いが発生したり、情報過多で脳がつかれて判断力や思考力が低下する

  2. 考えずに思ったままの言葉で投稿するのが当たり前になると、相手が何かを使えるために文章を書いているという前提を忘れる、思いつけない

  3. 短文SNSは字数や時間の制限により、具体例や根拠を示す余裕がなく、結論と主張だけ書いて投稿しがちになる

  4. 自分の考えや、伝えたい事を深堀りし、形のない想いを具現化できないので、自分の気持に鈍感になり、他人にも鈍感になる

  5. 話の途中で「こういう事だろう」と決めつけてかかるので、解釈に都合の悪い部分が目に入らない、読み飛ばしてしまう

思ったままを言葉にして投稿する事は楽ですし、自分に都合のいい解釈でものを見るのもまた楽ではありますが、考える、理解する(しようとする)事を忘れてしまうと、一気に”人が快適に生きていく事”が大変になってしまう

言い換えると、伝えるために考えて話す、書く、相手の言う事、書いてあることを理解する事は人が現在社会で快適に生きていくために必要な、忘れてはいけない事とも解釈できます

とはいえ、人の言葉は本心と裏腹であることも多く複雑で、誤読してしまうことも多いでしょう、だからこそ「この解釈であってるのだろうか」と時に疑いながら、冷静になって読み書きをする姿勢が大事なのだろうと思います

と、ここまで読解力が落ちる原因や読解力が無い、低いことで何が起きるかを考えてみましたが、肝心な読解力を上げる方法についてはというと、まぁここまで語った原因の逆をするってのも有効だと思うのですが、まずは読解力に関しての本を読んで見るのも手だと思います

先週この本を読んでいたのですが、要点の見つけ方、見分け方や主語と述語の捉え方、接続詞の役割や副助詞のニュアンスの読み取り方、文章を分解し、図解化して理解する方法など、日常で触れる文章を読み取りやすくする為の方法を説明してくれています

とはいえ、あくまで文章を読み取りやすくする方法なので、読み取った内容を理解できるかは、私達読み手次第です

文章の裏にある相手の想いを読み取り、自分に取り込むには、ひとまず主観はさておいて、書き手の伝えたい事を理解しようとする姿勢を持って読むことが大事だと思います

あとは慣れかなぁ、沢山文章やエンターテイメントに触れて考えたり、読むならSNSの短文などの断片の内容の薄い文章などより出版されている紙の本や新聞などの文章を読む事

自分で思いつくのはこれくらいかな、むしろ自分自身がその方法を知りたい、読解力を上げていきたいので、色々本を読んだりしながら考えたりしていきます

9000字近い長い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました

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