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私たちは生まれる家を選べない だから生きながら生まれ変わりたい 続き

先日、卒業した中学高校へ行く機会があった。15年振りにお会いした副校長に「最近どう?」と聞かれたので「人生思い通りにはいかないっすね!」と返したら爆笑された。「そりゃそうよお~!まだまだ青いなあ~!」だってさ。そうっすよね。

ところで前回の記事↑に『命の誕生は奇跡である』『チャンスは平等ではなく、選ばれたものだから生まれてこられたんですよ』という内容のご感想を頂戴した。

内田の返答は以下。

おっしゃっていること、大人の今だからこそわかります。生命の誕生はすべて奇跡だと思います。
ただし、子供は産まれてくる家庭を選ぶことはできません。私は自身が健康的な愛に包まれた家庭で育まれていたら、今とはもっと違った人生があっただろうと感じます。何をもって豊かな人生とするかはその人次第だと思いますが、毎日生きづらくて自殺することを考えていた10代を思い出すと、今でも暗澹たる気持ちに苛まれます。だからこそ、自身が産まれてきたことに対して100パーセントの感謝を注ぐことが難しいのです。
しかし、幼少時代の環境を変えることは不可能だからこそ、大人になった今、自身の選択でもって人生を変えて行きたいと思っています。

すっごく難しい。30代になった今、頭でも気持ちでも自分の受けた命が奇跡だってことは多分わかっている。産んでもらったことも育ててもらったことも感謝したい。けれど、子供の頃の自分が全身で「私を忘れるな」と泣き叫ぶから。情けないけれど私はまだ大人になれないようだ。

ご感想を下さった方とは少しだけやり取りをした。メッセージの最後が『あなたが生まれてきた意味もきっとあるんですよ、それをがんばって探してくださいね』といった内容で結ばれていて、以前カウンセラーの方に「あなたの人生を考えてくださいね」と言われたことを思い出した。

副校長とご感想を下さった方は同年代。きっと、私が10代・20代の子に対して「わかるわかる、がんばれがんばれ」と見守るような眼差しを、おふたりとも持ってらっしゃるんだろう。

人の優しさに触れると、そういう風に私もなれたらいいなといつも思う。

遺伝子を選んで思い通りの自分で産まれてこられたなら、こんなに苦しくはなかったかもしれないし、逆に言えば生き甲斐もなかったかもしれない。

「いばらの心臓」 内田すずめ パネル、油彩、PhotoShop

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私は作品を通じて「生きながら生まれ変われる」ことを証明したいのです。そのためには「命のありか」と「心のありか」を解き明かさなければなりません。2020年は自分の子宮の音を録音する予定。いつか子宮コンサートを開きたい。頂いたサポートはそれらの研究費用とさせて頂きます!