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お節介おばちゃん参上!

またプロフ画像を変えてしまいました(笑)大好きなnakawoさんのスズメのイラストと、配色は変えてないから、大差はないでしょう。

さてさて、今日は最近の私の困りごとを、ちらっと書いてみたいと思います。




私とボランティア活動

私は十数年、いやある意味20年以上もの間、ボランティア活動をしてきました。しっかりと養成講座に通ったり、大学の福祉系の授業を聴講したりして、地域活動をするようになってからも10年が経つようです。早いな。

で、この2年くらいは、それらをほぼやめています。(少しだけ細々とつづけてはいます。かなり細々とね。)

三鷹のスズメベースという場所をやって、無料の限界を感じたり、家と我が身が不安定になった時に、ボランティアは自分自身がしっかりしていないとできないもの…というか、やるべきことじゃないな!と感じたからです。ボランティアは自分の体、精神、生活、経済…のどれかに難を抱えている状態だと、やってもうまくいかない気がします。


今現在の私の状況

長年ボランティア活動してきた街から引っ越して、それ以来ボランティアは何もしていません。引っ越し後は完全に専業主婦で、習い事とかもしていないので、家族以外と話す機会がありません。ほとんど引きこもり状態です。

あれだけ外にずっといて、誰かと話してばかりいた私が、今では全く話さない生活をしている。数年前の私は、こんな未来を全く想像していませんでした。

ただ今はネットがあるせいか、出かけないなら出かけないでいても、精神的にあまり困りません。同居家族が数人いることも大きいかもしれません。

そうこうしているうちに、以前ボランティア活動をしていた自分を、不思議に思うようになりました。「私はなんで活動していたんだろう?」と、思うんです。別に悪く思うとかじゃなく、単純に「なんで?」です。

引っ越し前の私を知る人からすれば、外見が変わった訳でもないし、大事故とかにあった訳でもないし、私は私であって、以前通りの私と思っていると思います。でも実際の私は、以前の私とは違う部分がある気がしています。


変わった私と変わらぬ私と

少なくともこの1年間、私は1人でいる時間がとても増えました。1人でいる時はラジオを聴いていることも多いから、人が喋っているのは聴いています。でもラジオは私と会話してはいないんですよね。言葉や考えのやりとりは一切ない、完全な一方通行状態なんです。

ちょっと前までは、誰かと話したいな~と思っていた時もあったけど、以前の毎日のように誰かと話していた日々よりも、今の状態の方がいいかもな~と思う自分が最近はいて、愕然としてしまいました。

今でも月に1回だけ、三鷹にあるスズメベースに私は行きます。行けばいろいろな人が来て、スズメベースを閉めるまで話しっぱなしです。正直なところ、行く前は「あまり行きたくないな…。」と思うことも多々あるけれど、行ったらやっぱり楽しいし、以前通り、大したことはできないけど、誰かの役に立つならば、やれるだけのことはやりたい!と思うんです。

でも、また1人でいる時間を過ごしていると、段々その思いが薄れてしまう。…と、ここ数ヶ月はそんなことを繰り返しています。


お節介が性分なのか

人と話さないことが良くないことなのかどうか…。それはその人次第なんだろうな~とは思うけれど、私の場合をいえば、完全に退化してしまっている気がします。

では、私はどうするのがいいのか…。ここのところはその辺のことを考えています。

私は足の血流問題があって、座ってばかりだとまずいので、週に何日かはイヤでも外を歩くことにしています。その時に道に迷っているような人がいれば、やっぱり声をかけてしまうし、リュックのファスナー全開の人を見れば「開いてますよ」、服が裏返しの人を見れば小声で「服が裏返しですよ」と言ってしまいます。性分なんでしょうね。

とすると、この今の寡黙な生活ばかりなのは、あまり向いていないのかもな~と思ったりもします。

かといって、今の場所でボランティア活動をやるのは、少し気が引けます。あと何年もしない間にまた引っ越しをするからです。しかもボランティアするくらいならば、稼げ!という経済状態でもあるから、なおさら気が引けます。

じゃあ収益がある活動として、何かできないものかな~と思ったりもするけれど、まぁなかなか難しく…。


これが私の特性だ


私は履歴書とかの得意なことの欄に、長年「歌唱」と書いてきました。本当に私にはそれしかなくて。だけど忙しかったPTAから、あまり忙しくないPTAに変わった頃に、声帯が弱って声が出づらくなって、ボイスクリニックに通院した経験があります。

その時は元に戻ったけど、それ以来しゃべらない日がつづくと、すぐ声帯が弱るようになりました。もうこの数年は通院していないので、声が普通の人より出なくなってしまいました。

となると、得意なことの欄に書くことが、消滅してしまうことになります。人間って、そういう些細なことで「自分っていったい…。」と思うもので、私ももやっとしていました。ただ昔の私と違うのは、そこからマイナス方向にはとりあえずいかず「他の人と私の違い、何かないかな~」と考えるようになったこと。

街中にぼんやり立っていたり、満員のカフェで1人佇んでいると、自分の特性が浮き彫りになったりします。

さっき書いた、人に話しかけてしまうことなんですけど、渋谷駅で大勢の人がいる中、リュックのファスナー全開の人がいても、私より先に声をかけた人はいなかったんです。みんなは気づかなかったのかもしれない。だったら私は「周囲をよく見てる方」なのかもしれない。他の人たちも気づいていたけど、声はかけなかったのかもしれない。それならば私は「お節介な方」や「世話焼きな方」なのかもしれない。

これが私の特性であり、得意なことなんでしょうね。

実際には私にはもう1つ得意なことがあります。情報収集や調べものです。これはたぶん図書館好きからはじまったことだと思います。

そんな特性を活かして何かできるといいな。でも経済的には、ボランティアはやめておきたい(笑)


最後に…。


結局また長い文章になりました(笑)より伝えたいと思うと、どうしても短文じゃ終わらないですよね。

私の子どもは視覚障害なんですけど、視覚に障害があると目からの情報がないから、他のことから情報を得ようとするパワーがあるんですよ。

目って見えてるとわからないけど、目を開いてぼんやり前を向いてるだけでも、かなりの情報量が一気に入ってきているんです。だから視覚に障害のある人は、私にはとても聞き取れない早さで、目から得られない分の情報を聞き取ります。2倍速は当たり前みたいです。

だから一緒に歩いていると、「4歩先に階段。2段。」とか、私も早口で言います。早口で言わないと段がきちゃうし。でもうちの子からしたら、全然早口じゃなさげです。

一方、もう1人には短期記憶障害があるので、長文は聞き取れない。だからなるべく短文で話してきました。幼い頃は難しい単語はわからないから、簡単な短文で伝えるのが凄く難しかったですね。今ちょうど「舟を編む」のドラマをやっているようですが、まさに辞書のような状態です。だから映画版「舟を編む」を見た時は、頷きっぱなしでした。辞書も好きだし。

そんな短文で伝えることに限界を感じていたせいか、普段の私は長文です。

金王八幡宮は渋谷城跡

昨日はあまりツイてなかったから、祓うために金王八幡宮に行ってきました。ここは昔のしんどい思い出があるんだけど、最近はもう大丈夫になりました。よかったよかった。

東京三鷹生まれの三鷹育ち。自分の居場所を求めて富良野、京都、東京多摩地区を転々としたのち三鷹に戻り、以降ずっと三鷹に在住。2016年2月、本好きと、長く続いた居場所探しの経験を活かし、地元でゆるい感覚のまちライブラリーをスタート。ひっそり人好き。地域クリエイター。