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切手はどこへゆく【第二十話】

蒼太さんはこの前と変わらず、切れ長の穏やかそうな目をしていた。

小さく会釈するわたしを見て、優しく微笑んだあとに、古谷の方をちらっと見て、少し不思議そうな顔をしていた。

古谷を見ると、愕然とした表情をしていた。人の顔を見て、いきなり「え?」は失礼だろう。愕然としたいのはこっちの方だ。

蒼太さんの前で失礼なことをするなんて。一言言ってやりたい気持ちもあったが、蒼太さんの前で文句を言うところを見せたくない。わたしは一人、心の中でせめぎ合っていた。

「稲村、俺先行くわ」
古谷は、そう言うと、ずんずんとファーストフード店へ入っていった。

文句を言う前にいなくなったのはいいが、なんだか心はすっきりしなかった。あんな立ち去り方は、蒼太さんへもっと失礼な気がする。

「……はるちゃんの、お友達?」
「友達……ですかね? 中学と高校の同級生です。……同じバスケ部で。」
歯切れの悪い私の返事に、蒼太さんは「そうなんだ」と優しく答えた。わたしは、また「はい」と歯切れの悪い返事をした。

「はるちゃんの同級生だったら、どこかで会ったこと、あるのかなあ。」
蒼太さんは腕組みをしながら、少し眉間にしわを寄せて、そうつぶやいた。

わたしはその様子をぼんやり見ながら、何かを話そうかと考えていた。どうも、蒼太さんの前だと調子が狂う。翠がいれば、割と自然に話せるんだけど。

「……ああ、ごめんね。ちょっと考えこんじゃった。友達とご飯食べるんだよね。」
蒼太さんは、はっとした表情をした。そのあと、ちらりと古谷がずんずんと入っていったファーストフード店を見た。

「いや、大丈夫です。……蒼太さんは、なにしてたんですか?」
なんとか会話をしようと、とっさに出た言葉がこれだった。質問が適当すぎる自分に、少し落ち込んだ。

「俺はね、卒論作ってたんだ。」
「……卒論。」
「そう、大学もあっという間だよねえ。気づいたらもう4年生。」
穏やかに笑う蒼太さんに、つられて愛想笑いをした。大学生の生活なんて、漫画かドラマでしか見たことがない、未知の世界だ。

「大学生、かあ……。」
「はるちゃん、大学どこ行くとか決まってるの?」
「……いや、まだ全然。想像ついてないです。」
うなだれるように話すわたしに、蒼太さんは笑っていた。これが三上や古谷だったら、笑うな、と怒っていただろう。

「そうだよね、俺もこの時期は、ぼんやりしてたよ。理系に進む、くらいしか考えてなかったし。」
「蒼太さんも、そういう感じだったんですね。」
思わず声に出てしまった。蒼太さんと「ぼんやり」という言葉が、紐づかなかった。なんでもしっかりこなしているタイプの人だと思っていた。

「はるちゃんも、きっとこれから決まっていくよ。大学とか、もっと先の将来とかさ。」
蒼太さんは、そう言いながら微笑んでいた。わたしはまた歯切れの悪い「はい」と共に少しうつむいた。

わたしには、蒼太さんの言う、「もっと先の将来」は、どのくらい先のことを言っているのか、想像もできなかった。一か月後の部活の大会のことも想像できていないのに、将来なんて考えられるわけがなかった。

「あ、そうだ。もし進路とか困ったら、相談乗るよ。」
うつむいたわたしに、蒼太さんは明るく声をかけた。思わず顔をがばっと上げた。

「……ほんとですか。」
「ほんとだよ。でも、大学受験って、ほんとに人によるから、参考になるかはわかんないよ。」
「いや、でも、嬉しいです。」
きっと、今のわたしの顔は、間抜けに喜んでいるだろう。鏡を見なくても、自分の表情が想像できてしまう。
また、蒼太さんと会える可能性がある。それだけでもう、もやもやも何もかも吹き飛ぶくらい嬉しかった。
蒼太さんは、また微笑んでいた。途端に表情が、変わった。

「あ、それか、俺の彼女の方が、役に立てるかも。」
「……彼女?」
心臓が、どくんと音を立てた。そこからどんどん血の気が引くような感覚がした。蒼太さんが、どんどん遠くへ行くような気がした。

蒼太さんは、にこにこしながら話続けた。もう、聞きたくない。そんな心の叫びは、当然蒼太さんには届かない。

「そう。俺の彼女、キャリアアドバイザーの仕事しててさ。学生さん相手にも仕事してるらしいから。」
「はあ……。すごいですね。」
「ね、すごいよね。俺の2コ上なんだけど、仕事ばりばりやっててさ。俺も就職したら負けてらんねえなって感じ。」
そう言うと、蒼太さんは笑っていた。

あんなに憧れていた、あんなに見たいと思っていたのに。蒼太さんの笑顔を、見たくないと思ったのは、今日が初めてだった。「彼女に相談したくなったら、連絡してね」と蒼太さんは言った。

いやですとは言えずに、連絡先を交換して、蒼太さんと別れた。
きっと昨日までのわたしだったら、メッセージアプリに蒼太さんの名前があるだけで、飛び上がるほど喜んでいたはずだろう。今日のわたしは、断れなかったことが、どこかみじめで、悔しかった。

「あ、稲村きた。」
頭の中がぐわんぐわんした状態で頼んだ、チーズバーガーのセットを持って、店内を見まわしていると、三上の声が聞こえた。

声の聞こえた方を見ると、三上がポテトを右手に持ったまま、こちらに手を振っていた。古谷は背中が丸まっているから、ハンバーガーにかじりついているのだろうか。二人のいる席に着くと、古谷がいきなり話しかけてきた。

「さっきの男の人、知り合い?」
「うん。……知り合い。」
古谷の顔を見ずに答えた。

わたしはポテトをひとつ、口に運んだ。咀嚼している間は、話さなくてもいいだろう。そのまま黙ってわたしはチーズバーガーに手を伸ばした。

妹の友達、なんてただの「知り合い」だ。わたしは、本当は、蒼太さんと「知り合い」なんて言葉で、終わらせたくなかったのかもしれない。そんなことに、今気づくなんて。

もう「知り合い」以上になれないと、わかった時点で気づくなんて。

「あの人、高塚の彼氏じゃねえの?」
「はあ?何言ってんの。蒼太さん、翠のお兄ちゃんだよ。」
いつも以上に語気が荒くなった。古谷はまた「え?」と言っていた。人の気も知らないで、のんきな奴め。

「……なんだよ、勘違いかよ……あほじゃん。」
古谷は、はあ、とため息をついた。三上とわたしは、ぽかんとしていた。

「……もしかして、高塚と一緒にいた男が、高塚の兄ちゃんで、古谷は兄ちゃんを彼氏と勘違いしたってことか?」
三上は、説明をするかのように話した。古谷はそれを聞いて、静かに頷いた。

「古谷は、あほだな。……ってか、兄妹だったらわかりそうじゃん。」
「わかんねえよ。あんな顔を高塚、見たことねえもん。」
「それは古谷が、高塚と仲良くなりきれてない証拠だな。」
三上は、がははと笑うと、またポテトを食べ始めた。わたしは黙って、チーズバーガーを食べ始めた。

古谷は、一人落ち込んでいるのか、うなだれたようにしていた。しばらく経って、勢いよく顔を上げた。

「高塚、……彼氏いないんだよな。」
「さあ、多分いないんじゃない。」
「……よし。」
古谷は少し笑顔になった。三上はそれを見て、吹き出すように笑っていた。

「古谷、単純だな。仲良くなりきれないのに。高塚、山梨いるのに。」
「……うるせえ。」

三上は古谷をいじって満足したのか、紙コップに手を伸ばした。古谷は嬉しそうな顔して、ハンバーガーを食べ始めた。わたしは、表情筋がすべていなく消えたかのような無表情で、チーズバーガーを食べていた。

わたしは、不可抗力で終わらされたのに。古谷はこれから始まるかのように大喜びしている。こんな不平等で、残酷なことはないだろう。

チーズバーガーを流し込もうと飲んだジンジャーエールが、いつもより喉を強く刺した。

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